8月1日で第5週25話を数えた『白と黒』(月~金13:30)。
先に19話での、山中採集ツアーで雨に降り込められた礼子(西原亜希さん)と救助した聖人(佐藤智仁さん)の二度めのキスシーンについて、「婚約者・章吾(小林且弥さん)のほうにどうしようもなく向かうベクトルが礼子に弱いから、聖人をぎこちなく斥けようとして屈する場面の哀切さもいまひとつ弱かった」というような意味のことをここで書きましたが、礼子が“万難を排して章吾の嫁になりたいのっぴきならない理由”は25話で礼子の口から明らかになりました。
当初「赤ん坊のときに父が亡くなって、母がひとりで育ててくれたけど、母は身体が弱かったから、4歳で里子に出された」などと章吾らには語っていた礼子、本当はそんななまやさしいものではなく、水商売に身を落とした母は男を次々に自宅に咥え込むようになり幼い礼子をネグレクト。里親に預けてくれたのは、見かねた近所の住人から通報を受けた児童相談所。優しい養父母が実母と最後の別れにともうけてくれた食事会の日も、男と飲み歩いて姿を見せないような母でした。
「母のような女には絶対ならないと心に決めて、自立するために必死に勉強してきたし、いつか理想の家庭を築けるパートナーとめぐり会うまではと、(恋愛やデート、コンパなど)遊びとも無縁だった」と礼子。なるほど、どう考えても飛びつきたいほどには魅力的でない章吾&桐生家との結婚に執着したのは、そういう動機があったのね。そりゃ確かに切実と言えなくはない。いまどき珍しい、良く言えば世俗の手垢にまみれていない、浮き世離れした父子だから。
章吾にも、舅となる桐生所長(山本圭さん)にも詳しくは語らなかった心の秘密を、聖人にだけ打ち明けたこの場面には、もちろん岩本正樹さんの作曲になる、全篇でも屈指の甘美なストリングス曲が流れたのですが、うーん、胸を打つ度合いはやはりいまひとつ。
なぜか?“理想の結婚=子供を淋しくさせない家庭=尊敬できる清廉な相手とともに操正しく誠実に生きる人生”という礼子の孤独な幸福観が、あまりに頭でっかちで堅苦しく、“エモーション”“パッション”の部分が薄いせいもあるかもしれない。
“母に構われない、捨てられたおさな子の淋しさやるせなさ”という、人間の最もプリミティヴでウェットな情緒からの反作用としての“理想主義ガチガチ”だとしたら、逆にかえって切なく思えてもいいのですが。
それより食い足りないのは、物語を織り成す要素がどうも散漫でしっくり収斂してこないことが原因だと思う。
礼子の理想の結婚を目前にしての親友・一葉(大村彩子さん)の殺意疑惑が、ふらりと帰宅した聖人の“偽善的な父と兄を蹂躪したい”願望を刺戟し、いろんな悪事に手を染めて行く聖人、それによって明らかになる章吾と一葉の交際歴、若死にしたと父から聞かされていた兄弟の実母が実は存命で、サロンの女主人・彩乃(小柳ルミ子さん)として研究所の近隣に越してきていることが“形見”の婦人像を介して知れる過程、完成間近な“セフィロニウム”研究を盗み出させるために所員・小林(白倉裕二さん)を美人局で脅迫など、いろんなことが究極的にはベクトルの先端を“礼子と聖人の許されない(礼子にとっては生まれて初めての、封印し遠ざけてきたはずの)(聖人にとっては生まれて初めての、自分を犠牲にしても相手を愛しいと思う)情熱恋愛”にフォーカスして来なければいけないのに、ひとつひとつがどうにもバラバラなのです。
バラバラで、かつ平坦。息をつめてじわじわと頂上に向かう上り坂もなければ、一気に奈落に突き落とされるようなスピード感もいまのところありません。
章吾一葉の過去の経緯にしても、闇金業者・吉住が聖人を仲介しての彩乃の物語参入にしても、桐生所長の好みで採用されたと思しき所員たちが軒並み異性免疫がないことが起因する土地管理問題や美人局事件など、ひとつひとつの事象単体では破綻なく起承でき、転結できている。人物にしても「この状況でこの人物が、普通こんな台詞言わないだろう」「こんな行動あり得ないだろう」と思える、昼ドラによくあるトンデモキャラには誰もなっていない。
辻褄は合っているのに、なぜか心をぎゅっと掴まれない、先が気になって仕方がなくならない物語。礼子や章吾は優等生、一葉はお嬢さまだから仕方がありませんが、“黒”代表格の聖人にしても、やってることはエゴくても基本的に動機がマザコン幼児的な上、結構愛嬌上等で、「コイツが次何やるか目が離せない」と思わせるほどの迫力は未だしです。
成功すれば多大な人命を救うらしいセフィロニウム研究の行方はもちろん、息子2人を残して桐生所長のもとから彩乃が去らなければならなかった理由なども、大体想像がつくし、正直さほど興味をかき立てられません。
“物語がひとつの情念テーマに求心しない”のは、実はこのような長期間・多話数の帯ドラマや、1年間の大河ドラマでは別に致命的欠点ではありません。
引き合いに出して失礼かもしれませんが現放送中『瞳』を筆頭にしたNHK朝ドラ歴代作や、『渡る世間は鬼ばかり』のような長寿シリーズなどは、“いろんな人物がごちゃごちゃ出て来て、それぞれにキャラに合ったいろんな動きやイベントをまき起こして”“別にどうでもいい、大勢に影響のないエピソードばかりが次々並ぶ”だけで半年、1年、数年もっており、それが逆に固定ファンを離さない魅力になっている。
そういう方向戦術の帯ドラ作りもあってもよく、否定はしませんが、我らが(誰らがだ)『白と黒』はいまのところ、脇の人物絶対数がまったく少ない上、軒並みアクも少ない好人物揃いで、“いろんな人がいろんなことをしでかしてワイワイ”の羅列でもちそうな空気感のドラマではない。
とりあえず礼子、章吾、聖人、若いトライアングルに「もっと怒れ!もっと燃えろ!」と“パッション注入”でもしておきますか。
それに比べて…と言うとどちらにも失礼になりますが、『炎神戦隊ゴーオンジャー』は夏休み劇場版併行で息切れしがちなシーズンにもめげず、気持ちいいくらい飛ばしておるなあ。
ゴーオンジャー5人と新規共闘始めたゴーオンウイングスとの距離感や協調度がいまいち消化不良かな?とも思えた矢先、GP‐22(7月20日)~24(8月3日)の3週は、ガイアーク害地副大臣・ヒラメキメデスが一気に実質主役に躍り出、魅せ、笑わせ、泣かせてくれました。
一介の発明家として下積みに耐え、一時は「ヨゴシュタイン様をこの手で亡きものにして害地大臣の座を…」と下剋上反逆の意志まで温めていた矢先、手腕と頭脳を買って副大臣に取り立ててくれたヨゴ様のため、いっさいの計算戦略を打ち捨てたデタラメデス、倒された後は怨霊ウラメシメデスにまでなってゴーオンジャーに立ち向かったヒラメちゃん。「織田信長がもうチョット心の広い人間で、本能寺に向かう前に“天下統一したら副将軍はキミね”と約束した場合の明智光秀」みたいだった。
特撮ヒーローワールドは、キャラをしっかり作り込みさえすれば「こういう状況ならこのキャラはこんな動きをするから、こんなエピソードができるね」とストーリーが自然と立ち上がります。
企画先導する玩具メーカーから「こういう武器玩具を何月何週に発売するから、その前の週エピに登場させて」と要請がくれば、「その武器ならこういう設定でこんな戦法だから、こういう状況が詰めに来るようなストーリーにすれば特性や魅力が際立ち、購買意欲につながるね」「そういうストーリーなら、このキャラにこういう動きをさせれば自然だね」「そのキャラがそう動けば、こっちのキャラはこんなリアクションをするよね」と、縛りから逆算して脚本を起こすこともできる。
“縛りが数々あること”が逆にストーリー構成のガソリンになっている幸福なシリーズ。ともあれヒラメキメデスよ安らかに。お盆ですしね。ポクポク、チーーーン。
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