しかし、花巻さん(伊勢志摩さん)のレイディオ・ガガは海女カフェの客席をどう「いい案配に温めといた」のだろうか(@『あまちゃん』)。
て言うかアレ見て、対応に困ってフリーズ極寒にならないで、温度上昇した客席が逆に凄い。恐るべし北三陸。恐るべし海女カフェの磁場。
はたまた子連れ出戻ラー花巻さんの秘めたる、“わかるヤツだけわかりゃいい”いさぎよきロック魂が、奇跡のアイワズボーントゥラヴユーを惹起したか。
今日(14日)放送の65話はある意味『あまちゃん』という半年放送のドラマの、最後の分水嶺になったかもしれません。ステージ上のアキ(能年玲奈さん)につかつかと歩み寄り平手打ちする母・春子(小泉今日子さん)の勢いは、もはや“好奇の目にさらされる娘を心配する母心”の域を超えて元ヤンまる出し、「ババア引っ込め!」「誰だババアっつったの!」「メガネは黙ってろ!」「メガネはずしたらメガネじゃねぇし!」と客席との真っ向罵り合い、しかもその客席にアキの高校担任教師(皆川猿時さん)までいて「たまたまです!」と言い訳しているという、もう大人の威厳も尊厳もヘッタくれもない世界。
4月の放送開始からここまで、「なんかあり得ないけど、笑えるからまぁいいか」「ヒロインかわいいからいいか」と消極的に追尾してきた視聴者のうちの相当数が、今日の放送で「やっぱりあり得ないし、あり得たとしても耐えられない」と退いていったのではないでしょうか。
(退いてもそのうちのまた相当数が、しばらくすると気になって再乗車するんですけどね)
このドラマの作家さん=宮藤官九郎さんには、基本的に“オトナろくでもねぇ”という、きわめて作家的な思い込みがある。
親や教師にしろ、ちゃんとした組織の管理職にしろ、メジャー媒体のディレクターやプロデューサーにしろ、世間で一目置かれるような立場の大人たちが皆、実年齢より精神年齢が低く、享楽的で感覚的で、その場その場の勢いで右と言ったり左と言ったりし、勢いに任せて暴言や暴力を振るったり、あっさり反省したりする、まことにもって一貫性のない、アテにならない連中ぞろいだ、という前提でないと話が作れないらしいのです。
従ってこの人の作るお話に、“格調”や“品のよさ”や“落ち着き”“つつしみ”、“一本スジがとおっている”等、世間的な“大人の味”を求めるのは八百屋で魚を買おうとするようなもの。
逆に筋金入りの、遠慮会釈のない、ネットスラングで言うところの“厨房(ちゅうぼう)”臭さをこそ堪能し賞味すべき。これを「臭いけど旨ぇ、癖になる」と思うことができない人は、自然と脱落後退していくでしょう。
こんなに峻厳な、ごまかしようのない分水嶺が屹立するドラマがいまのところ全媒体的に「視聴率好調」「元気が出ると好評」「話題沸騰」と不気味なくらいポジティヴ潮流なのは、とにかく朝ドラにおいては“明るさ”“笑い”が底知れず万能だということと、もうひとつは同枠3月までの前作が“にぎやかなのに暗い”“あり得ないほど笑えない”極北の朝ドラだった影響ではないでしょうか。
♪アキもそこそこ じぇじぇじぇじぇじぇ じゃないけどなんだか上げてるんだか下げてるんだかわからない書き方になってしまいましたが、宮藤さんの『あまちゃん』、月河は断然支持しますよ。すがすがしいまでにチュウボウ臭く、幼稚で、ガラの悪い『あま』的世界観自体よりも、これだけ厨臭さ幼稚さガラ悪さを隠し立てしない作風に、朝ドラという伝統看板枠を半年間まる委ねしつつ、子飼いの演出スタッフ総動員で盛り立てているNHKの果断に、ミズタク(松田龍平さん)じゃないけど“本気を見る”気がするからです。