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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ウンヒの涙 三たび ~ダイヤル50を回せ~

2018-06-27 12:51:06 | 海外ドラマ

 『私の心は花の雨』(BS朝日)に続いて『ウンヒの涙』(BS日テレ)と韓国KBSのTV小説を二本続けて視聴して、もうひとつ思うのは、「韓国ドラマにおいては話に朝鮮戦争をはさめば(だいたい)何でもアリになるんだな」。

  我が日本のNHK朝ドラでも「戦中戦後をはさんだ女性の一代記が“王道”、ハズレなし」とずいぶん前から言われていますが、むしろ連想したのは1980年代のアメリカ映画のほう。この時期、設定やストーリーにやたら“ベトナム戦争の影”が入れ込まれていました。 

 『地獄の黙示録』『プラトーン』『フルメタル・ジャケット』などベトナム戦争そのものを題材にした名作、『ディア・ハンター』『7月4日に生まれて』のようにベトナム従軍が“もたらした悲劇”主眼の秀作も数々ありますが、もっとココロザシの低い、その場限りの娯楽作、B級ヒーローアクションやギャングもの犯罪映画でも、主要人物がベトナムで負傷し障害を抱えていたり、親友や兄弟を失ったり、ベトナムでの極限体験で人生観が歪んだり、その結果除隊復員したのに家族が崩壊したりという設定が、よく飽きないわと思うくらいもれなく付いてくるだけでなく、頻繁にストーリーの主軸になってもいました。 

 個人の努力や、愛や友情でどうすることもできずに、理不尽に無慈悲に人生が転変するというドラマの契機として、やはり洋の東西を問わず“戦争”は最強のモチーフであるらしい。

 戦争によりどん底に突き落とされることもある一方、それまでの人生をリセットして、まったく別の立場や環境、ときには別のアイデンティティを得てやり直すきっかけにも、戦争はなり得ます。日本にも“戦後のドサクサ”を利して大儲けしたり、戦前までの失敗した事業や没落した実家を“なかったこと”にしてのし上がった人は少なくなかったはずです。 

 『私の心は花の雨』では序盤で、天涯孤独の酒場女イルランが身重の体で戦火のソウルから南へ避難する途上、心優しい医師スンジェと同じく身重の婚約者ヨニに助けられ、一時的に車に同乗して身の上話などしつつ先を急ぐさなかに北の空襲が直撃。スンジェもヨニも死んだと思ったイルランは、話に聞いたスンジェの大邱(テグ)の実家をたずね、あれよあれよと“嫁のヨニ”になりすまし、お腹の子をスンジェの子と偽って生み居座ってしまいます。

 休戦後、平和が戻ると首都ソウルに移り、アメリカ流の製パン業を興して成功。イルランを嫁ヨニ、彼女が生んだ娘ヘジュを息子ソンジェの忘れ形見と疑わない姑ゲオクを社長に、イルランは常務におさまって何不自由ない生活を手に入れます。

 一方『ウンヒの涙』はもっと戦争の影が濃い。現在は北朝鮮領内になっている開城(ケソン)の朝鮮人参栽培卸会社で働いていたチャ・ソックは、幼い息子の入院費に困り、女社長グムスンの息子ドクスに給料の前借を懇願するも断られ、揉み合ううちドクスは転倒して頭を打ち絶命。死んだとは思わず金を持ってソックが去ったあと現場に来た、ソックの親友ヒョンマンがグムスンに見とがめられ、殺人容疑で逮捕されてしまう。

 息子が小康を得たあと事態を知り驚いたソックは、冤罪のヒョンマンを救おうと警察に出頭しますが、そこへ北軍の空襲が。ヒョンマンは荷車の下敷きになって息絶え、警察署もろとも開城は戦火につつまれ、自供できないままソックは妻子と避難の旅路に。

 南へ逃れる避難民の列にはドクスの遺児ソンジェを連れたグムスンもいました。空襲の混乱の中ドクスの棺とともに家財道具を積んだトラックを盗まれてしまったグムスンは、もはやこれまでと夜半ソンジェを抱いて河で入水自殺を図る。偶然見つけたソックが夜襲をぬって河に入り、命からがら二人を救い上げます。

 夜中ですから、働いていた会社の女社長、かつドクスの母親だと、ソックが河岸から目視認識して救助におよんだのかは不明。とにかくこの件以来グムスンはソックを命の恩人と感謝し、自分の息子のように頼りにし、ソックも避難中にもともと病弱だった息子を亡くすという悲しみから立ち直って、休戦後はグムスンの養子となり、グムスンの弟が仁川(インチョン)に持っていた工場を譲り受けて、最初は借金して苦労しますが、持ち前の勤勉さ(プラス、恐らくは贖罪の念)で軌道に乗せ、地元一番の豆腐製造業に育て上げます。グムスンが社長、ソックが工場長で、ソックの妻ギルレはグムスンに嫁として頼られ、ソンジェもソックを実の父のように尊敬し本当の家族同然になっています。

 一方ヒョンマンが容疑者のまま戦災死し残された妻ジョンオクは夫の無実を主張するも聞き入れてくれる人もなく、赤子の娘ウンヒを抱えてなんとかソウルに逃れる。父の顔を知らずに成長したウンヒも高校を中退して働き家計を支えていましたが、1970年に避難者バラックが撤去され、ジョンオクはウンヒを伴い旧友マルスンを頼って仁川に。しかしマルスンはすでに病死しており、行き場に困ったジョンオク親子に、マルスンの息子でウンヒにも幼なじみのジョンテが、下宿を世話し就職先として自分も配達係を務める豆腐工場にウンヒを紹介するに至って、運命の歯車は動き始めます(マルスンが生前開いていたクッパ店も下宿の大家さんの所有で、料理上手のジョンオクが引き継ぎ近隣の評判店となり月河にもプチ・クッパブームが訪れたのは前の記事通り)。 

 そもそものドクス殺しからして、警察が通常運転で捜査していればヒョンマンは当然釈放、ソックも殺意はなく情状酌量の余地もありありで、過失傷害致死ぐらいで済んだ事案のはずで、さらにその後の展開はまったく“戦争さえはさまらなければ”の連続。 

 自供する覚悟十分だったはずのソックが、まずは自分が生き延びるため、次いで妻子を、やがては義理家族も含めた生活維持のため、ようやく軌道に乗った事業存続のために、口を拭い犯した罪をひた隠しにする、誤った方向に舵を切っていくのも、彼の人間的弱さと言ってしまえばそれまでですが、戦争のためにいたずらに間が空いてしまった、このめぐり合わせの悪さまでソックの罪なのかというと、何とも言い難い。

 人間、家族なり財産なり、名声や立場なり“守らなければならないもの”が増えてしまうと、臆病にもなり、逆に倫理的に図太くもなるのです。本音を言えば自分の保身のため以外の何ものでもないのに、「犯罪を知られると家族が傷つく、会社が立ち行かなくなり従業員も路頭に迷う」をエクスキューズに、呼吸するように嘘つく偽装する、もっと凶悪な犯罪を重ねる。 

 あの日、開城空襲の日に、決心通りすんなり自供できていれば、或いはソックは真っ当な裁判と量刑を受け、罪を償いおおせて善良な人生を再スタートできたかもしれない。

 彼が出頭を決意した日、妻ギルレに宛てて真相と贖罪の思いを吐露した手紙をポケットにしのばせて家を出る(妻は息子に付き添って病院泊まり)のですが、数時間後に襲った戦火で行方不明になったこの手紙を、二十余年後ソックを追求する立場になった或る人物が燃え残りの状態で入手、「こんな(正直な)手紙を書いた同じ人間が、いまでは嘘をつき通し、隠蔽のため人を手にかける事も辞さない悪人になってしまった・・年月は人を変えるものだ」と慨嘆する場面があります。 

 年月の重さ、度重なる苦難や、紡いだ絆、たくわえた財力以上に“戦争”は人の人生を理不尽にリセットし、ひいては人間性まで変えることがある。 

 ドラマの中で、養子にしたソックの秘密をまだ知らないグムスンが、開城にある家代々の墓に息子ドクスの遺骸を葬ることができないままトラックごと奪われた件を寂しげに回想し「いつか南北統一して、開城に帰れたら、あのお墓の管理はあなた(=ソック)に任せたいの」と語るシーンもあり、 “あの戦争”で多くを失った人たちの思いをこんな台詞においても象徴しているようです。

 このドラマは韓国では2013年放送で、劇中設定の1970~74年からはさらに四十年近く経過しています。半島を分断した“あの戦争”にリアルな記憶のある世代はすでに六十代後半から七十代。1970年代になお残っていた爪痕も、親世代以上の年長者から聞きづてにしか知らない視聴者のほうが多数でしょう。

 しかし、『花の雨』や『ウンヒ』のような、平日のオビのごく敷居の低い時間帯に、ルーティーンで制作され放送されているTVドラマにも“世が世なら(戦争がなければ)もっと違う自分がいたはず、人生があったはず”という悔恨や喪失感、不条理感が底流に流れているのを、部外者である日本人の月河が視聴しても、じんわり、でもしっかり感じ取れる。 

 今年4月の南北首脳会談以降、韓国でも北への心理的障壁感が下がり、北の指導者のパブリックイメージも最悪時よりはめっきり向上しているとの報道もあります。

 しかし、実のところ、“あの戦争”は終わっていないのです。北緯三十八度線という仮のボーダー、虚構の国境線を引いて“休戦”しているだけです。しかもその休戦協定に、往時の韓国のトップは敢えて署名しませんでした。

 “戦争からすべての歯車が狂っていった”という、いささか安直かなと思う設定が韓国ドラマに出てくるたびに、あの国の人たちが老いも若きも潜在的に秘める“本当の自分、本当の自分の人生、本当の世の中は、いまのコレではないのではないか、いやないはず”という歯がゆさ、“不本意に置き去りにしてきた、本当に大切な何かが、ここではない何処かにある”という閉塞感、混迷感を、場面や台詞の端々にいつも感じるのです。 

 ドラマ後半でウンヒの運命とストーリーを大きく動かす役割のソウルホテル女社長が登場、彼女の(いろいろあって)(←ネタバレになるので)不在時に、社長室の金庫に何者かが手を触れた形跡を発見した、彼女をよく知る或る人物が「社長は金庫を閉めたとき必ずダイヤルを“50”に合わせておく。大切な家族を(戦争で)失った1950年を忘れないためだ」それが50からずれているのはおかしい、彼女以外にこの金庫を開けて何かを奪おうと試みた者が居る・・と看破し、やがてソックに疑いを向けるきっかけになります。

 休戦後のかりそめの平和の中で生きる、いまの韓国の人たちにも、心のどこかにそれぞれの“50”があるのだと思う。最近の“ナッツ姫”“水かけ姫”スキャンダルや、冬季五輪スケート選手へのバッシングなど、とかく“沸点の低いお国柄”に見えることの多い国ですが、思うに、きっと彼らは嬉しいにつけ盛り上がるにつけ、あるいは怒るにつけ、心のダイヤルが“50”にカチンと当たるたびに、やりきれない、行き場のない感情にとらわれる。

 ひとしきり号泣したり慨嘆したり、偉い人ならパワハラしたりしたあと、またそっとダイヤルを“50”に戻す。 

 国営放送の平日オビの朝ドラに「戦中戦後をはさめば王道」と納得している私たち日本人にも、同じではないけれどどこかコードの似通う琴線がある。

 だから何度めかのブームが去っても、韓国ドラマがとっかえひっかえBSやCSで放送されたり配信されたりし続けているのかもしれません。 

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ウンヒの涙 再び ~人の為と書いて~

2018-06-17 19:59:14 | 海外ドラマ

 今年前半、同時期に視聴していたドラマの中で『ウンヒの涙』(BS日テレ)だけ、1月から4月上旬まで完走できたのは、録画がほかの番組と重ならない真っ昼間(12:00~)、且つ、提供スポンサー名ベース画面などがなくて録画編集のしやすい枠だったこともありますが、途中、全70話の40話過ぎあたりから、1月末に一足先に完結した『私の心は花の雨』(BS朝日)と、アレ?なんだか似た話になってない?と気づいて、逆に興味津々になってきたんですね。

 もともと、この2作は韓国KBS“TV小説”という同枠で、『ウンヒ』は2013年、『花の雨』は2016年に放送されたものです。

 どちらも、お話の芯は“わけあって実の両親から離され自分の出自を知らずに育ったヒロインが、荒波を乗り越えて幸せをつかみ、本当の家族のきずなを取り戻すまで”ということになっているのですが、冒頭で“何故ヒロインがそういう気の毒な境遇になったか”“何が起き、誰が張本人なのか”がねっちり描かれるので、視聴者も、ヒロインを応援目線で見守るのと同等の体温で、“張本人”の動静、一挙手一投足に目が離せないように出来ている。

 そういうわけで、『ウンヒ』も『花の雨』も、ある時点からは逆境ヒロインの起業や恋模様などのけなげな幸福追求物語は脇に押しやられ、“悪いヤツの偽装、隠蔽シラ切り大作戦&雪だるま式巨悪化顛末記”に変貌していきました。

 かの国の脚本家さんやプロデューサーさんの擁護をするわけではありませんが、これは50話から100話を超える長尺の場合、流れ上やむを得ないというか、自然と言えないこともない。

 名もなく貧しいながら人の道を守り、人を愛して勤勉に生きる善人が身の丈の幸せを願う熱量よりは、悪事と欺瞞で財をなし地位や名声を得た悪人がなんとしても逃げきって栄華を極めようというエネルギーのほうが熱っつく、切実で、ドラマチックに決まっているからです。

 現に、両作とも「アレ?なんか違う話になってない?」「主役こっちだったっけ?」と気がついた辺りからのほうがずっと面白く、次回が見逃せないテンションになっているのです。

 『花の雨』の良家のなりすまし偽嫁イルランと、一度は彼女を棄てた元・情夫でイルランの生んだ娘の実父でもあるスチャンが、かつては“色”で結びついていたのを一旦封印して、いとこ同士と周囲を偽りひたすら事業乗っ取りの“欲”に深入りしていくさまは逆に危うい色気があったし、『ウンヒ』でヒロインの父親に(最初は心ならずも)殺人の罪を着せて被害者一族の養子に入り、事業を成功させ社長になったチャ・ソックが、ウンヒと母ジョンオクを遠ざけるためデマを流し、当時の目撃者が現れるとヤクザを使って追い払い、真相を知られ恐喝されると自ら手にかけ死体遺棄し、ついには過去を握りつぶすため権力志向となり、国会議員に献金しまくって国政選挙出馬を画策、資金作りに裏帳簿、原材料偽装、恩人たる義母から権利書を盗み出して闇金から借金、金塊密輸・・と急坂を転げ落ちるように悪の倍々ゲームにはまっていく過程は、特にウンヒの出生を実母・養母・ウンヒ本人、全員がそれぞれ別のタイミングで知ってしまい、誰からも言い出せず三すくみで膠着してからの41話以降は、独走で物語を引き回す圧倒的な驀進力でした。

 そして、これだけのパワーで欲と保身に突っ走る悪の張本人が、無欲で無力で私心のないヒロインに“なぜかいつの間にか負けてしまう”のも不思議な見どころです。概ね、重ねた嘘が、重ねワザであるがゆえに思いがけないところから剥がれてきたり、ヒロイン側にひょんなことから強力な味方がつき、彼女を援助する、守るためにしてくれたことが、期せずしてピンポイントで張本人の痛いところを突いたりする。かの国製に限らず、主人公が都合のいい人に都合よくめぐり会うのはドラマのつねですが、必ずしもヒロインが悪人の存在に気がつき、自分の境遇との因果関係を認識していなくても、そこに存在してまじめに生きているだけで勝手に悪が追い詰められていく。悪のほうは自覚があるから、「彼女がいずれ事態を察知したら、こっちは必ず暴露され失脚する」という予測を立てることができ、それを防ぐべく次々と画策するのが、ことごとく躓きのもとになる。自分で自分の墓穴を掘る、自滅スパイラルに陥るわけです。

 一方、そんなことはつゆ知らぬヒロインのほうは何の計算も予測もなく、目の前に起きていることに対処しながら、日々の無事を願って淡々と暮らしていくだけ。このへん、イソップ寓話風というか、“無私無欲が最終的には最強”という価値観を端的に表現しているようで興趣深いところです。

 『ウンヒ』と『花の雨』、前後して続けて視聴して共通に気がついた点、もうひとつあるのですが、次の記事で。

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ウンヒの涙 ~韓貞玉のクッと煮てパッ~

2018-06-14 23:26:44 | 海外ドラマ

 1月~2月~3月と寒い時期に、前のエントリで書いた通り韓国ドラマ『ウンヒの涙』(BS日テレ)を視聴していたので、なんだかしみじみとクッパっちゅうもんが食べたくなり、放送の間じゅうレシピをいろいろ当たってみては、かなりの頻度で試作、試食していました。

 ここ三日ほど、急にカレンダーを二か月分くらい逆にめくったような寒さなので、再びプチ・クッパブームが訪れています。 

 だってね、『ウンヒ』の劇中のお母さん(ネタバレすると正確には養母)=ジョンオクさん(演・キム・ヘソンさん。『宮廷女官チャングムの誓い』のお母さんでおなじみ)の作るクッパが、やたら美味そうなんですよ。と言うか、出てくる人物出てくる人物みんな「ウンヒのお母さんのクッパは美味い」と褒めちぎって、ドラマ内の演技とは思えないくらい本当においしそうに食べるもんで。 

 (・・ところでこのドラマのタイトルではヒロインの名前が“ウンヒ”と表記されていますが、劇中ではみんな「ウニ」「ウニ」と発音しています。フルネーム“キム・ウンヒ”、劇中二度ほどちらっと映った履歴書によると漢字では“金恩煕”で、なんだかどっかの国の指導者の一族みたいな字並び。日本向けに日本語タイトルを付けるにあたって、『ウニの涙』だとダーウィンが来た!みたいになっちゃうと思ったんでしょうか)(ちなみに、『カッコウの巣』のヒロイン=ヨニさんは“ペク・ヨニ”と字幕でも表記され、セリフでもそう呼ばれ、一瞬映った離婚届によると漢字は“白延煕”でした)

 クッパというと、月河のイメージでは“韓国風雑炊”もしくは“韓国風おじや”。これに尽きていました。

 野菜各種、海藻類、鶏肉などを入れた、だしがきいて辛味のある具だくさんのスープに白いお米のご飯を炊き合わせて煮立てて、スープと具材と、お粥ほどは煮融けてないご飯を、行平みたいなスプーンで掬って一体にして、ふーふー食べるものだと思っていたら、非高齢家族が「チガウ」

 「それは普通に“雑炊”であって、クッパは同じようで全然違うのだ」と厳然と断じました。

 曰く、「クッパの“クッ”はスープ、“パ”がご飯」であるからして、スープとご飯は最初から一体にして火を通すのではなく、飽くまでも“具だくさんスープの独立した完成形”と、“まっさらのご飯”とが別々に用意されて、食べるときに両者を一体にするという手続きを取らなければ「正しいクッ・パにはならない」のだそうな。

 はいはい、クッにパで要するに“スープご飯”てことね。月河もこう見えて(どう見えて?)カレーライスにおけるライスへのカレーのかけ方、つまり「如何にしてカレーとライスをカレーライスと為すか」にはひと頃、かなりのこだわりの深さを誇っていましたから、「スープと具とご飯を合わせて煮て食べるものと、具入りスープにご飯を加えて食べるものとは全然別物」という、わかるようなわからないようなリクツに付き合ってあげる心の余裕はないではないのです。

 そんなことはさておき、スープのほうは本場韓国風にこだわらず、かつおだしやこんぶだし、いりこだし等いつもの味噌汁や煮物に使っているやつをガンガン使いまして、野菜も冷蔵庫にあるやつをガンガン使う。

 洋風のチキン味やビーフ味コンソメも、キャベツや玉ねぎ人参、ブロッコリーを入れて、びっくりするほど米のご飯に合うことがわかりました。胡椒は控えて、ショウガのおろし汁をちょっと加えるといちだんと体も温まります。和風でも洋風でも、最後に磯のりかアオサをトッピング。

 そういえばドラマ内で、ウンヒが生き別れの娘とわかり、本人には告げられないまま理由を作って自邸に引き取ったローラ・キム社長(演・キム・ボミさん。現在絶賛放送中BS11『漆黒の四重奏』でも地味に味だし中)に「食材は何が好き?」と訊かれて「ほうれん草が好きです」とポパイみたいな返事をしていました。それでというわけでもありませんが、思いついたのがパン食のお友達=フリーズドライのほうれん草&ベーコンのスープ。ベースがチキン味とかつおだしなので、自前の薄味のかつおだしをたっぷりに、顆粒減塩鶏だし調味料で味を補強して煮立てて、このフリーズドライを一個煮溶かす。別鍋でやわらかめに湯がいた白菜の白いところと、ほうれん草は特に根の薄紅色のところをこれまた惜しげなく。玉ねぎと椎茸は手ごろに入れて煮立て、白いご飯とマッチング。ベーコンはヘタに足すと塩っからくなるので、自前はやめておいたほうがいいようです。

 ・・こうして自己流のスープで、その、あれだ、クッ&パ=クッパをいろいろ作って食べてみると、改めて実感するのはお米のご飯の底力ですな。ご飯の柔らかさ、食感となじむ歯ごたえ・舌触りとサイズの具材なら、だいたい何でも合わせられるし、動物性のスープでも、植物系、海洋系のだしでも、塩味加減さえ間違えなければほぼ全方位。

 クッパで食べる場合、炊きたてほかほかよりも、朝炊いたのをお昼に食べるぐらいの時間経過がちょうどいいみたい。昨夜の夕食のご飯の残りを冷蔵庫に入れて翌日のブランチに食べる場合は、霧をシュッと吹いてレンチンしてからスープにイン、ですね。

 よくわからないのは、ウンヒ母=ジョンオクさん(一瞬映った旦那さんの墓所の登記証によると姓が韓=ハン、漢字は“韓貞玉”)がお店で注文受けて出す評判クッパ、広口のドンブリみたいな鉢によそってあってスプーンがついているのは月河家とだいたい一緒ですが、小皿と中皿の中間ぐらいのサイズのおかずが4~5種類一緒に出されるんですよ。韓国では「ご飯ものや肉料理系を注文すると頼まなくても豪快にキムチがついてくる」と聞いたことがあるので、赤いのがキムチなのはわかりますが、ほかがよくわからない。日本で“カレーライスに福神漬とラッキョウの甘辛酢漬け”みたいなお約束が、本場のクッパ、もといクッ&パにもあるのかしら。今後の課題としたい。

 とかく栓を開けてから、賞味期限内に使いきれずに終わりがちな出汁醤油、しじみ醤油や牡蠣醤油などもこれからはクッパ用スープに積極的に使ってみようと思います。何より、クッパで何とでもできることがわかってから、野菜が冷蔵庫内にこまごま中途半端に残るのが鬱陶しくなくなりました。ウンヒのお母さん(しつこいけど本当は養母)に感謝です。

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大韓航空ナッツ&水かけシスターズ ~もうお姉妹~

2018-04-25 14:15:23 | 海外ドラマ

 韓国ドラマ、特に戦後~現代ものを見ていると、男性キャラがドス声でガナったり女性人物がキイキイ金切り声で泣きわめいたりする音声と並んで、激昂のあまりテーブルの上にある水でもお茶でも、差し向かいの相手にビシャーぶっかけるシーンは、無い作品が無いくらいお約束のようについて来るのですが、これってドラマだからオーバーに演出しているんじゃなくて、リアルに日常やっている人たちがかの国には存在するらしいのでした。

 くだんの大韓航空チョ姉妹のお母さん=オーナー会長夫人も、現場で警備員や庭師、家政婦などに“銅板の様なもの”を投げつけたりしていたとの証言が出ていますね。いやードラマの典型的な“財閥の奥さん”まんまじゃないですか。

 ドラマは、退屈な現実をそっくりなぞっていたら面白くないし視聴率も取れないので、大袈裟に、カリカチュアライズして演出されているのだろうということは想像できますが、それにしても母国の視聴者が見て「あるある、ありそう」「財閥一族の奥とか娘ってこんな感じだよね」と日頃抱いているイメージとある程度一致しないと、逆に「嘘っぽい」とそっぽ向かれそうでもあるので、実はかなり現実の、実在人物たちの赤裸々な実態を切り取っているのかもしれません。

 問題の一族女性たちが会議室や役員室で社員たちを叱ったとされる録音音声、あの韓国語なのか何語なのかすら判別しがたい(でも放送では翻訳テロップついてました)、ジャングルの野獣の咆哮のような叫び声は、ドラマ中、財閥や大企業一族の設定でなく庶民の女性設定でも、裏切った恋人や、恋敵の女や、亡親の仇の金貸しとかを罵倒する場面でしょっちゅう発していますし、目下の女性から目上に対しても頻々と水をかけます。「怒りや悲しみの激しさを、声量で表現する」「あなたを軽蔑します、大嫌い、死ねばいいのにという意思の表現として水をかける」というのは、ドラマならぬ実生活上の、かの国の伝統文化にあるのでしょうか。

 いまBS11放送中(月~金AM10:00~)『明日もスンリ!』なんか、ヒロインのスンリ(最近はアイライン目尻長めの般若メイク、チョン・ソミンさん)と財閥会長夫人の連れ子ジャギョン(ネットでは“偽三田寛子”でおなじみユ・ホリンさん)がほとんど毎回咆哮し合っているし、咆哮の末デスク上のファイルや文房具をぶちまけたり、水かけも一再ならず。ヒロインを一途に守るヒーロー役ホンジュ(イノシシ顔なのにちょいナルシスト設定なソン・ウォングンさん)も、息するようにウソつく隠蔽する出世の亡者ソヌ(“リトルヨン様”でおなじみチェ・フィリップさん)も、女たちに結構かけられてます。

 どっちかというと水かけ=女の反乱、ヒステリー、という共通理解があるのかもしれない。

 それとも、逆にあれかな、あの国の大企業一族の女性軍、ヒマですることがないからテレビばっかり見ていて、ドラマに毒されて真似しているのかな。ドラマが現実をお手本にしているのか、現実がドラマを追いかけているのか。

 昭和40年代、月河が小学生坊主の頃は、親世代、学校の教師世代の大人がダカツの様にテレビを嫌い、敵視していて、「テレビばっかり見てたらバカになるから!」と口癖のように言っていましたし、テレビCMやアニメで覚えたフレーズや歌を口にしようもんなら「バカだからテレビのマネなんかして!」と烈火のごとく怒られたものですが、南北問題の緊張や政治危機をよそに、かの国のセレブ女性はまさに、日本の昭和40年代の小学生坊主レベルに居るのかもしれません。

 誰か言ってあげればいいのにね「お嬢さま方、テレビばかりご覧になっておられると、愚か者におなり遊ばしますよ」

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ヨニも不思議な物語

2018-03-01 22:13:17 | 海外ドラマ

 イ・ファヨン出所早過ぎ。

 2月26日(月)に絶賛最終回Dlife『カッコウの巣』、まー全74話(本国本放送では102話)の長丁場ともなると終盤は脚本も演出も息切れして細部に目が行き届かなくなるのはつねですが、ファヨン逮捕前ほとんどお腹の目立たなかったジンスクさんの赤ちゃんが、ヒジャ女史(ジンスクの義姉でビョングク母)におんぶされて元気に泣いてたし、このドラマのある意味核心人物=ジヌくんは幼稚園児だったのが贔屓目に見ても小2ぐらいにしかなっていないし、ファヨン、一年半ぐらいで仮出所したのかな。

 ガチ殺されかけたサンドゥが被害届を出さなければ、殺人未遂容疑は無し、横領等の経済犯罪と脅迫程度で裁かれたのだとすれば、そんなに長い服役でもなかったのかもしれない。そもそもあの国の刑法は、司法取引等もあり州毎にかなり違うUSAのそれ以上にさっぱりわからないところがあります。

 それにしても乗っ取った会社の代表時代と同じような服装ヘアメイクとハイヒールでヨニさんと再会ってのはちょっと。ムショ帰りらしく髪にパーマ気がなくなってるとか、肌が青白くなってるとかアイラインが細めになってるとかぐらいは演出してもよかったのではないかと思うんですが。このへんは女優さんが「ラストシーンぐらい美しく終わりたい」と主張したかな。ジンスクが痩せぎすのまま妊娠期間が飛んだのも同じ理由かも。人物、特に女性人物ごとに衣装に特徴があって、好みは分かれるでしょうがビジュアル面では「これがかの国のセレブ女性スタイルか」「かの国のアパレル業界人か」「かの国のDQNファッションか」等と退屈せず楽しめました。

 前の記事で「ファヨンが結局いちばんやりたいことは何なのかわからなくなった」と書きましたが、進退きわまったファヨンが最後のソラ(=やはり年の離れた妹ではなく、かつてサンドゥとの間にもうけて養子に出した実の娘でした)への電話で「あの女(=ヨニ)(兄ドンヒョンの)復讐したかっただけ」と、嘘はなさげに吐露していたし、財閥御曹司夫人の座とか、跡取りの子供を産めば捨てられないだろうとかより、ファヨンにとっては、優秀な医学生で一家の希望の星だったドンヒョン兄さんがある意味(ヨニ同様に)“初恋”の思い人で、横合いから出てきた(他に何でも持っている社長令嬢の)ヨニに奪われた・・という感覚のまま代理母→ビョングク誘惑→会社乗っ取りと突き進んだということなのでしょう。“母性”をモチーフに、あざとめに作った復讐系でしたが根っこは意外とシンプルな、女の嫉妬でした。

 恨みつらみずく、打算ずくでねじくれ曲がった関係と対照させるように、本能のおもむくまま異性を好きになり親密になって、進展すれば子を授かる・・という“自然”の関係がさりげなく称揚されているのも、サブストーリーとしてぜんぶ当たったとは言えないけど好感が持てました。

 世間知らずだったヨニが若気の至りで駆け落ち同棲したドンヒョンとの生活は、結果的にドンヒョンのバイク事故即死、ヨニの身体にも大きなダメージを残してその後の悲劇の始まりになってしまいましたが、最後までヨニはドンヒョンへの思いを失わず、後悔もせず、彼の骨壺と遺影に語りかけながら自分を取り戻す場面もあり、最終回のラストはあんなにやり合ったファヨンと初めて一緒に花を手向け、納骨堂の前庭で遊ぶジヌを抱きしめて終わることができました。

 ヨニの父チョルは自分の会社に財閥のバックを得るためヨニをドンヒョンとの愛の巣から力ずくで連れ帰り、ヨニが望まなかった御曹司ビョングクにヨニ名でラブレターを偽筆するまでして政略結婚させ、ビョングク母で財閥会長のヒジャ女史は何としても男子の跡取りを得るべく、不妊のヨニを蔑ろにして代理母を使いジヌをもうけるという、きわめて不自然で人間の生理や心理や摂理を無視した策動で傷口をひろげましたが、そんな中でもファヨン叔父のチャンシクとビョングク叔母のジンスクは、両家族がめちゃくちゃ対立して罵り合っているにもかかわらずいつの間にか職場恋愛、授かり婚。

 そのジンスクを熱烈に追い回していた常連客のギソプ教授は、チャンシクとのバトルで一歩退いて、同じレストランマネージャーのゴンヒに惚れられいつの間にかカフェ経営に転身、なかなか指輪でプロポーズできませんでしたが最終回では結婚も決まっていました。どちらも、状況を考えるとヒョウタンからコマみたいなものでお世辞にもお似合いのカップルには見えないのですが、縁は異なもの味なもの。男と女が惹かれ合って結婚に至るなんてのは、そもそもこんなノリと勢いでいいんじゃないかという、物語世界の一縷の救済ともなりました。

 ヨニの大学の後輩で、生前のドンヒョンとも交流がありファヨンの報復感情を心配していたユ・ソンビン室長は「ヨニ先輩は初恋の人、だから幸せになってほしい」「それ以外を望んでいない」を貫き、ヨニ妹ジュヒの、姉への対抗心も混じった好意をさらりと受け流しながら、最終回では警察とともに駆けつけてファヨンの入水を食い止める大活躍。

 チョルの会社で駆け出し時代に法務顧問を務め、恩があるというミョンウン弁護士は、最初から「あなたが美人だから」とあっけらかんとヨニに接近、ジヌの親権を取り戻しファヨンの会社乗っ取りのからくりを暴くべく法廷で強い味方になってくれた上で「あなたに必要とされたいと頑張ってきたが、考え違いだった。僕があなたを必要としていた」と告白しますが、「私はいま母親であって、女ではない」とやんわり退けられると、ストーカー化したり逆ギレしたりもせず、「待ちましょう、でもずっとは困る」と距離を置いてくれました。皆が皆、好き勝手に惚れたり憎んだりの一方的肉弾戦ぶちかましているわけではない、こういう、ちゃんと理性を介在させた好意の持ち方だって可能なんだという形を示した。

 強引な設定で無理無体な展開、何かっつったら怒声、号泣、殴り合いド突き合いの典型的な韓国製マクチャンながら、それなりにバランスはとれていた。前回も書いた通りジヌの親権訴訟決着後はあからさまな尺伸ばしが目立ちましたが、視聴中途放棄しようとは不思議に一度も思いませんでした。

 ただ、月河と違って「子供が好きで好きでたまらず、幼い子が泣いたり笑ったりしているのを見ただけでキュンとなる」タイプの感性の人はこのドラマ視聴しないほうがいいです。とにかく一貫して“子供をダシにして大人同士がさや当て”という話ですから。ジヌとソラ役の子役さんは演技頑張っていますが、頑張られるほど胸が痛んで正視に耐えないという向きも多いでしょう。

 普通に素(す)で爆笑できるところもいっぱいありましたよ。ジンスクさんのレストラン(=財閥の外食産業部門本店)では従業員を「マイケル」とか「ミランダ」とか英語名の源氏名で呼んでたりする。キャバクラか。ロールプレイ風俗か。

 代理母のギャラ受け取って復讐を誓い姿を消したファヨンが、外資食品企業のアジア地区渉外責任者として財閥家の前に再び現れたときの変名が“グレース・リー”って。今作に限らず韓ドラは“心機一転、別の身分で再登場”の際に、まったくそれっぽい容貌になってないのに無駄に英語名名乗るというお約束があるみたい。

 そう言えば昭和40年代の日本製なんちゃって国際スパイドラマ『キイハンター』等でも、コテコテの日本人俳優さんがよくジョニーとかジョージとかジェームスとかの役名で出て来たなあ。日本で言えばあのへんの時代のセンスに、いま韓国ドラマ制作現場は居るのかもしれません。

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