イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ウンヒの涙 三たび ~ダイヤル50を回せ~

2018-06-27 12:51:06 | 海外ドラマ

 『私の心は花の雨』(BS朝日)に続いて『ウンヒの涙』(BS日テレ)と韓国KBSのTV小説を二本続けて視聴して、もうひとつ思うのは、「韓国ドラマにおいては話に朝鮮戦争をはさめば(だいたい)何でもアリになるんだな」。

  我が日本のNHK朝ドラでも「戦中戦後をはさんだ女性の一代記が“王道”、ハズレなし」とずいぶん前から言われていますが、むしろ連想したのは1980年代のアメリカ映画のほう。この時期、設定やストーリーにやたら“ベトナム戦争の影”が入れ込まれていました。 

 『地獄の黙示録』『プラトーン』『フルメタル・ジャケット』などベトナム戦争そのものを題材にした名作、『ディア・ハンター』『7月4日に生まれて』のようにベトナム従軍が“もたらした悲劇”主眼の秀作も数々ありますが、もっとココロザシの低い、その場限りの娯楽作、B級ヒーローアクションやギャングもの犯罪映画でも、主要人物がベトナムで負傷し障害を抱えていたり、親友や兄弟を失ったり、ベトナムでの極限体験で人生観が歪んだり、その結果除隊復員したのに家族が崩壊したりという設定が、よく飽きないわと思うくらいもれなく付いてくるだけでなく、頻繁にストーリーの主軸になってもいました。 

 個人の努力や、愛や友情でどうすることもできずに、理不尽に無慈悲に人生が転変するというドラマの契機として、やはり洋の東西を問わず“戦争”は最強のモチーフであるらしい。

 戦争によりどん底に突き落とされることもある一方、それまでの人生をリセットして、まったく別の立場や環境、ときには別のアイデンティティを得てやり直すきっかけにも、戦争はなり得ます。日本にも“戦後のドサクサ”を利して大儲けしたり、戦前までの失敗した事業や没落した実家を“なかったこと”にしてのし上がった人は少なくなかったはずです。 

 『私の心は花の雨』では序盤で、天涯孤独の酒場女イルランが身重の体で戦火のソウルから南へ避難する途上、心優しい医師スンジェと同じく身重の婚約者ヨニに助けられ、一時的に車に同乗して身の上話などしつつ先を急ぐさなかに北の空襲が直撃。スンジェもヨニも死んだと思ったイルランは、話に聞いたスンジェの大邱(テグ)の実家をたずね、あれよあれよと“嫁のヨニ”になりすまし、お腹の子をスンジェの子と偽って生み居座ってしまいます。

 休戦後、平和が戻ると首都ソウルに移り、アメリカ流の製パン業を興して成功。イルランを嫁ヨニ、彼女が生んだ娘ヘジュを息子ソンジェの忘れ形見と疑わない姑ゲオクを社長に、イルランは常務におさまって何不自由ない生活を手に入れます。

 一方『ウンヒの涙』はもっと戦争の影が濃い。現在は北朝鮮領内になっている開城(ケソン)の朝鮮人参栽培卸会社で働いていたチャ・ソックは、幼い息子の入院費に困り、女社長グムスンの息子ドクスに給料の前借を懇願するも断られ、揉み合ううちドクスは転倒して頭を打ち絶命。死んだとは思わず金を持ってソックが去ったあと現場に来た、ソックの親友ヒョンマンがグムスンに見とがめられ、殺人容疑で逮捕されてしまう。

 息子が小康を得たあと事態を知り驚いたソックは、冤罪のヒョンマンを救おうと警察に出頭しますが、そこへ北軍の空襲が。ヒョンマンは荷車の下敷きになって息絶え、警察署もろとも開城は戦火につつまれ、自供できないままソックは妻子と避難の旅路に。

 南へ逃れる避難民の列にはドクスの遺児ソンジェを連れたグムスンもいました。空襲の混乱の中ドクスの棺とともに家財道具を積んだトラックを盗まれてしまったグムスンは、もはやこれまでと夜半ソンジェを抱いて河で入水自殺を図る。偶然見つけたソックが夜襲をぬって河に入り、命からがら二人を救い上げます。

 夜中ですから、働いていた会社の女社長、かつドクスの母親だと、ソックが河岸から目視認識して救助におよんだのかは不明。とにかくこの件以来グムスンはソックを命の恩人と感謝し、自分の息子のように頼りにし、ソックも避難中にもともと病弱だった息子を亡くすという悲しみから立ち直って、休戦後はグムスンの養子となり、グムスンの弟が仁川(インチョン)に持っていた工場を譲り受けて、最初は借金して苦労しますが、持ち前の勤勉さ(プラス、恐らくは贖罪の念)で軌道に乗せ、地元一番の豆腐製造業に育て上げます。グムスンが社長、ソックが工場長で、ソックの妻ギルレはグムスンに嫁として頼られ、ソンジェもソックを実の父のように尊敬し本当の家族同然になっています。

 一方ヒョンマンが容疑者のまま戦災死し残された妻ジョンオクは夫の無実を主張するも聞き入れてくれる人もなく、赤子の娘ウンヒを抱えてなんとかソウルに逃れる。父の顔を知らずに成長したウンヒも高校を中退して働き家計を支えていましたが、1970年に避難者バラックが撤去され、ジョンオクはウンヒを伴い旧友マルスンを頼って仁川に。しかしマルスンはすでに病死しており、行き場に困ったジョンオク親子に、マルスンの息子でウンヒにも幼なじみのジョンテが、下宿を世話し就職先として自分も配達係を務める豆腐工場にウンヒを紹介するに至って、運命の歯車は動き始めます(マルスンが生前開いていたクッパ店も下宿の大家さんの所有で、料理上手のジョンオクが引き継ぎ近隣の評判店となり月河にもプチ・クッパブームが訪れたのは前の記事通り)。 

 そもそものドクス殺しからして、警察が通常運転で捜査していればヒョンマンは当然釈放、ソックも殺意はなく情状酌量の余地もありありで、過失傷害致死ぐらいで済んだ事案のはずで、さらにその後の展開はまったく“戦争さえはさまらなければ”の連続。 

 自供する覚悟十分だったはずのソックが、まずは自分が生き延びるため、次いで妻子を、やがては義理家族も含めた生活維持のため、ようやく軌道に乗った事業存続のために、口を拭い犯した罪をひた隠しにする、誤った方向に舵を切っていくのも、彼の人間的弱さと言ってしまえばそれまでですが、戦争のためにいたずらに間が空いてしまった、このめぐり合わせの悪さまでソックの罪なのかというと、何とも言い難い。

 人間、家族なり財産なり、名声や立場なり“守らなければならないもの”が増えてしまうと、臆病にもなり、逆に倫理的に図太くもなるのです。本音を言えば自分の保身のため以外の何ものでもないのに、「犯罪を知られると家族が傷つく、会社が立ち行かなくなり従業員も路頭に迷う」をエクスキューズに、呼吸するように嘘つく偽装する、もっと凶悪な犯罪を重ねる。 

 あの日、開城空襲の日に、決心通りすんなり自供できていれば、或いはソックは真っ当な裁判と量刑を受け、罪を償いおおせて善良な人生を再スタートできたかもしれない。

 彼が出頭を決意した日、妻ギルレに宛てて真相と贖罪の思いを吐露した手紙をポケットにしのばせて家を出る(妻は息子に付き添って病院泊まり)のですが、数時間後に襲った戦火で行方不明になったこの手紙を、二十余年後ソックを追求する立場になった或る人物が燃え残りの状態で入手、「こんな(正直な)手紙を書いた同じ人間が、いまでは嘘をつき通し、隠蔽のため人を手にかける事も辞さない悪人になってしまった・・年月は人を変えるものだ」と慨嘆する場面があります。 

 年月の重さ、度重なる苦難や、紡いだ絆、たくわえた財力以上に“戦争”は人の人生を理不尽にリセットし、ひいては人間性まで変えることがある。 

 ドラマの中で、養子にしたソックの秘密をまだ知らないグムスンが、開城にある家代々の墓に息子ドクスの遺骸を葬ることができないままトラックごと奪われた件を寂しげに回想し「いつか南北統一して、開城に帰れたら、あのお墓の管理はあなた(=ソック)に任せたいの」と語るシーンもあり、 “あの戦争”で多くを失った人たちの思いをこんな台詞においても象徴しているようです。

 このドラマは韓国では2013年放送で、劇中設定の1970~74年からはさらに四十年近く経過しています。半島を分断した“あの戦争”にリアルな記憶のある世代はすでに六十代後半から七十代。1970年代になお残っていた爪痕も、親世代以上の年長者から聞きづてにしか知らない視聴者のほうが多数でしょう。

 しかし、『花の雨』や『ウンヒ』のような、平日のオビのごく敷居の低い時間帯に、ルーティーンで制作され放送されているTVドラマにも“世が世なら(戦争がなければ)もっと違う自分がいたはず、人生があったはず”という悔恨や喪失感、不条理感が底流に流れているのを、部外者である日本人の月河が視聴しても、じんわり、でもしっかり感じ取れる。 

 今年4月の南北首脳会談以降、韓国でも北への心理的障壁感が下がり、北の指導者のパブリックイメージも最悪時よりはめっきり向上しているとの報道もあります。

 しかし、実のところ、“あの戦争”は終わっていないのです。北緯三十八度線という仮のボーダー、虚構の国境線を引いて“休戦”しているだけです。しかもその休戦協定に、往時の韓国のトップは敢えて署名しませんでした。

 “戦争からすべての歯車が狂っていった”という、いささか安直かなと思う設定が韓国ドラマに出てくるたびに、あの国の人たちが老いも若きも潜在的に秘める“本当の自分、本当の自分の人生、本当の世の中は、いまのコレではないのではないか、いやないはず”という歯がゆさ、“不本意に置き去りにしてきた、本当に大切な何かが、ここではない何処かにある”という閉塞感、混迷感を、場面や台詞の端々にいつも感じるのです。 

 ドラマ後半でウンヒの運命とストーリーを大きく動かす役割のソウルホテル女社長が登場、彼女の(いろいろあって)(←ネタバレになるので)不在時に、社長室の金庫に何者かが手を触れた形跡を発見した、彼女をよく知る或る人物が「社長は金庫を閉めたとき必ずダイヤルを“50”に合わせておく。大切な家族を(戦争で)失った1950年を忘れないためだ」それが50からずれているのはおかしい、彼女以外にこの金庫を開けて何かを奪おうと試みた者が居る・・と看破し、やがてソックに疑いを向けるきっかけになります。

 休戦後のかりそめの平和の中で生きる、いまの韓国の人たちにも、心のどこかにそれぞれの“50”があるのだと思う。最近の“ナッツ姫”“水かけ姫”スキャンダルや、冬季五輪スケート選手へのバッシングなど、とかく“沸点の低いお国柄”に見えることの多い国ですが、思うに、きっと彼らは嬉しいにつけ盛り上がるにつけ、あるいは怒るにつけ、心のダイヤルが“50”にカチンと当たるたびに、やりきれない、行き場のない感情にとらわれる。

 ひとしきり号泣したり慨嘆したり、偉い人ならパワハラしたりしたあと、またそっとダイヤルを“50”に戻す。 

 国営放送の平日オビの朝ドラに「戦中戦後をはさめば王道」と納得している私たち日本人にも、同じではないけれどどこかコードの似通う琴線がある。

 だから何度めかのブームが去っても、韓国ドラマがとっかえひっかえBSやCSで放送されたり配信されたりし続けているのかもしれません。 


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