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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

トゥザヘヴン

2009-04-30 17:17:49 | CM

自分の中での“ラジオ黄金時代”は、自宅労働者になった頃、95年前後から、概ね2001年頃までで、ピーク時には新聞も週刊・月刊誌もほとんど読まず、日中から夜中までニュースも天気予報も交通情報も、地元で聴けるFM3局をローテーションして摂取していたものです。

世紀が替わった頃から、世の中万事“ケータイ・ネット本位制”になり、音楽市場でCDが売れず、徐々に音楽消費の媒体がダウンロード主体になってきたためか、比較的肌理細かく提供してくれていた新譜情報コーナーや、6080年代にスポットを当てたスタンダード曲中心の番組もめっきり減ってしまい、生活リズムの変化もあってなんとなくラジオと疎遠になっていました。

それでも、レギュラーで聴いている番組に送ったリクエストが、耳に馴染んだDJ・司会者さんの声で読んでもらえるとわくわくする、この感覚は何度味わってもいいものですね。

昨日(29日)の朝、NHKFMSP番組『今日は一日戦後歌謡三昧(ざんまい)』、朝900過ぎに突然『青い山脈』が流れてきて「なんだ、今度のSPは懐メロ番組か」とチャンネルを変えようとしたら、昭和歌謡曲をこよなく愛する立川志らく師匠の「昭和歌謡は懐メロではありません」「英語圏ならビートルズに匹敵する、日本人のために日本人が作った、立派な“名曲”です」という熱弁が耳に飛び込んできて、久々に終日ラジオお伴にできる祝日だし、騙されたと思って付き合ってみるかという気になったわけです。

“戦後”間もない時期の楽曲ならさすがに月河も“懐メロ”以上の関心は持てませんが、昭和40年代前半~中盤ぐらいからなら実家にTVもあったし、近所や親戚の大人たちの会話で、どんな歌や歌手が売れていたかの記憶もあり、子供心に、流れてくると心はずんだ曲、見かけると嬉しい、歌マネ振りマネしてみたくなる顔もありました。

NHKオンラインの公式サイトを探し出し、駄目モトでリクエスト送ってみたら、なんと!フルネーム読んで、曲もかけてもらえましたよ。しかもアナタ、天下のNHKの大御所、“女子アナのパイオニア”生きる伝説とお呼びしても良い加賀美幸子アナウンサーの、しっとり落ち着いた美しいお声で。

加賀美アナの声で読まれると、なんかえらく格調高い、NHKアーカイブスに入る級のメッセージに聞こえますな。有り難味倍増。ちゃんとまじめに払おう、NHK受信料(いままでも払ってるけど)。

番組は2500までの超長尺ナマ放送とあって、さすがに夜の深い時間はフル聴けませんでしたが、昭和34年=1959年の第10NHK紅白歌合戦の音源が聴けたのは拾い物でした。懐かしの銀幕スターとしてしかお名前を知らなかった島崎雪子さんや水谷良重さんもしっかり歌手として出場しておられたんですね。今度ばかりは月河に“随伴聴取”してくれた高齢家族たちのほうが、さすがに楽曲はともかく名前や背景を知っていて、いろいろ教えてくれました。

もちろん朝丘雪路さん、島倉千代子さん、シャンソンの石井好子さんなど、いまも現役で歌っておられる方もみずみずしい歌声を披露しています。

この年初出場の森繁久彌さんは、この頃(=50年前)から枯れた感じだったのだなあ。この番組のこのコーナー、故・ナンシー関さんに聴かせてあげたかった。半田健人さんは聴いていたかな。

さて、吉井怜さん扮する明里が女優転向して仰天瞠目七転八倒の演技を連日繰り広げている『エゴイスト egoist~』、ドラマ本編のほうはさておき、草彅剛さんがお休みに入って以来P&GアリエールのCMが流れなくなったなと思う一方、KINCHO関係はオンエア頻度が上がったような気がします。あの会社のCMは昔から、思いがけないタレント有名人を、妙な味付けキャラで起用したり、「結局、何の宣伝なんだ?」と首を傾げたくなる仕上がりにわざとしたり、なんか鼻につくというより、確信犯的に鼻に“つけに来て”いるのが多いですよね。

しかし、まさか茶系ツヤありの、ゴキブリ色のチュニックを着て、アタマに触覚まで付けて歌い踊らされるとは思っていなかっただろうな、舞闘冠(ぶとうかん)の諸君も。

♪一度で二度効く“ゴキブリ用コンバット”、舞闘冠5人が、ゴキブリの好みそうな夜の暗がりっぽいフロアでカッコよくダンスを繰り広げている画面の下では、「エサを食べたゴキブリが死ぬ。」「フンや死骸を食べた仲間も死ぬ。」と小っさーい文字で、しかし考えてみたらさっき食べた昼食がモドってきそうなエグい説明テロップが展開されるわけです。

しかもテロップと並行して、コンバット仕掛けのエサを食べたゴキブリが仲間のところまで戻って来たところでひっくり返って赤くなり(=死に)、一拍おいて仲間もヒクヒクして赤くなり、死んだことを示す白い天使の環っかが頭上に浮かぶ…というかなり即物的な図解入り。

こう言っちゃなんですが、いくらジャニーズ事務所期待の新進ユニットとは言え、舞闘冠程度のヴィジュアルで薄めたり和らげたりできるやわなメッセージではないと思います。北国生まれ北国育ちの月河、東京に住んでいた期間はわずかでしたが、シャレにならないっつうか、人生観変わるくらいのごっつさですからね、ゴキブリとのバトルin台所は。

近所の若いママさんと、幼稚園前の御令息たちはすでに ♪イッチロレニロきく こんばっと~ と浮き浮きダンスのマネっこを始めていますが。

ところで、♪舞闘冠がCM中~ のフレーズが、♪…Cへ夢中~に聞こえるのは月河だけでしょうか。その昔、男女のお付き合い深度をA・B・C・D(中略)・Iで示すのが流行ったことがあり、故・沖田浩之さんというアイドルが……いや、やめとくか。

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裸で悪いか

2009-04-23 15:11:34 | CM

コント55号を離れて、ピンでの活動が多くなってからの萩本欽一さんは、どこがどうというわけではないのですがどうも苦手で、おもしろいと思えなくなったので、“視聴率100%男”として絶頂にあった頃の萩本さんの番組はほとんど見ていません。

従って清水由貴子さんも、欽ちゃんファミリーの一員というイメージはあまりなく、“『スター誕生』でピンク・レディーよりもプロダクションの入札件数が多かった子”として細く長く記憶していました。

デビュー当時から、“母子家庭育ちで病身のお母さんと幼い妹のために頑張っている”という属性を前面に出しての活躍だったせいでしょうか、笑顔の写真でも底抜けに明るい感じにならず、どこか遠慮したような、おずおずした佇まいが印象的でした。10代の頃は線が細くはかなげなイメージでしたが、欽ちゃんファミリー押しになってからは庶民的雑草的な、働き者でたくましく生活感に満ちた肝っ玉お姉さん寄りでドラマでも顔を見ることが多くなり、ぶりぶり可愛い子ちゃんアイドルよりもこっちのほうが持ち味に合っていたなあと思っていました。

ただ、いま思えば東海昼帯ドラマの中でも高評価人気作の『幸福の明日』(2000年)で我が子が取り違えられる平凡な主婦に扮したときも、それなりのヘアメイクであるにもかかわらず、どこか骨の髄までオカンではなかったように思う。“自分が母親でいいのか?”“母親という立ち位置に戸惑っている”ような気配がつねに微量あり、それが劇中の橋本かな子が遭遇する数奇な運命や状況での翻弄され感につながって、我が子取り違いドラマのテンションを保つのに貢献していたような気がするのです。

先日の、あまりにショッキングすぎる自殺の報に接すると、清水さん自身が一度も結婚の経験がないだけではなく、幼少時から“お父さんお母さんが揃った安定した満ち足りた家庭”の味をまったく知らずに、懸命に台本を読み込み、想像力をはたらかせて演技していたのだなと、改めて胸を打たれます。

現場の状況が状況でもあり、母上の介護に専念するため芸能活動引退していたなど、ここ数年の暮らしぶりが報じられるにつけ“長年月の介護疲れ”もしくは“自身の更年期(49歳)と相乗しての鬱状態”“老実母と独身長女ゆえの共依存”などと取り沙汰されていますが、個人的・家庭的すぎ、実態が媒体を通じての又聞きの、そのまた又聞きになるせいか、月河はあまりそっち方向には深刻な感銘を受けません。

それより、“元気”“明朗”“前向き”“頑張り屋さん”というセルフイメージが強いる消耗の残酷さを思います。なんとなく、ZARD坂井泉水さんの闘病中転落死とも重なる。

「いつも笑顔で、明るく元気」でなければ、“清水由貴子”という商品が成立しない。30年来の実績もあり顔もつながっていて実入りもいいはずの芸能の仕事から退いた原因はそこなのでしょうが、顔をさらさない仕事に転職しても、たとえば月河のような地方在住のいちシロウトにすら“ピンク・レディーを上回った”ぐらいの記憶は持たれている。自分でも「明るく愛嬌あってこその私」「明るい笑顔のできない私なんか、私が嫌い」と思ってもいたのではないでしょうか。落ち込んだとき落ち込んだ顔をし、不機嫌なとき仏頂面をし、情けないとき人目もはばからず泣きべそをかく自由は、清水さんは生涯一度も持てなかったはずです。

人類史上類例をみない長生き社会、少子化社会日本において、実親の老後にどう対応するかは万人の“そこにある危機”です。老後をまたず両親ともに若々しいまま逝ったという人は少ないでしょう。

それプラス、最近の日本は“明るさ”を過大評価しすぎ、というよりほとんど「どうにかして明るくしていないと大変な事になる」という強迫観念に浸されているような気さえする。

スターやアイドルに憧れた幼い日も人並みにはあった月河ですが、月河を“いつも明るくほがらかで、笑顔と元気を振りまいている”人間と思っているであろう人は、何と幸せなことに、近隣にも身内にも職場にも誰もいません。賭けてもいいがいません。

もちろん社会生活上、なるべく好感度高く、“無愛想な人”“感じ悪い人”“根暗な人”と思われないほうが圧倒的に世渡り有利だったに決まっていますが、清水さんの生前の、茶目っ気と温かさに満ち、一抹の含羞をただよわせた笑顔の遺影を媒体で見る機会が増え、“暗いとき好きなだけ暗くしていられる”身の幸せをつくづく思ったこの一両日でした。

あと、今日はニュースページを見て一言「どうするんだ地デジ」

……そうでなくても拙速だ、利用者置き去りだとさんざん言われ、麻生さんが選挙対策かたがた買い換え切り替え支援策発表したばかりなのに、よくよくけちのついた施策になってしまいましたねぇ。

それと、酒は本能の重石を取っ払い解放すると言いますが、飲むと脱ぎたがる人、果てしなく最後の一枚まで脱ごうとしてやまない人っているものですよね(月河は違いますよ)(本当に違いますよ)。その一方で、飲むと着込みたがる人って見かけませんから、やはり人間の、本能に忠実な姿はマッパなのか…ってこの話は改めてまた。

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想像してごらん

2009-04-21 15:33:56 | CM

『エゴイスト egoist~』を毎日録画再生していると、川島なお美さんヴォイスのタイトルコール「エゴイスト。」が日増しにクセになってきますな。

ここ3週めまで週替わり、5話ごとに変わってきたタイトルロゴバックも、オーロラ風、イルミネーション風、サテンドレスの衣襞(いへき)風と、昼帯サイズの夢々しさをサブリミナルさせてくれて、賛否あるでしょうが以前のイメージV的な、主題歌とクレジットテロップを乗せた長いOPより効果的かもしれませんね。

このドラマでは本編のタイトルがキャストのヴォイスで発声されるわけですが、夜のドラマも最近は、スポットCMで主演キャストさんがタイトルを「○○。」と言うヴァージョンが多いように思います。

最近までいちばん頻繁に耳にしていたのは水谷豊さんヴォイスの「相棒。」

亀ちゃんありし頃寺脇康文さんの声ヴァージョンもあったのか、残念ながら未聴なのですが、新相棒役・及川光博さんは次seasonもまだおなじみ感のない劇中新参だし、歌手活動もされているわりには主張しない、ぶっちゃけて言えば通らない声質なので、当分水谷さんのお仕事でしょうね「あいぼう。」。

個人的には岸部一徳さんや、川原和久さんの声でも聞いてみたい。いっそ木村佳乃さんでやってみても、思わず耳がそば立つかもしれません。

同枠後番組に参戦の内野聖陽さんも最近かなり聞くかな「りんじょう。」。

どの局でもこれ方式のスポット、やっているのでしょうかね。だいぶ前になるけど印象的だったのは仲間由紀恵さんの「エライところに嫁いでしまった!」、タイトルがセンテンスになっている長いものだし、仲間さん独特の頼りな系の“年中お困り・アタフタ声”で、結構インパクトがありました。

番組のスポットCMがいまほど盛んではなかった頃のドラマに、これ方式のがあったらおもしろかったかもしれません。

 田宮二郎さんの声で「白い巨塔。」とか、松田優作さんの声で「太陽にほえろぉ!」なんてあったらその部分だけでお宝価値発生しますよね。

 山口百恵さんと三浦友和さんのユニゾンで「赤い疑惑。」なんてささやかれた日には、それだけで微量泣きそうです。

東野英治郎さんの声で「水戸黄門。」もいいし、八千草薫さんの声で「岸辺のアルバム。こうじゅん。」……これはないな。自主却下。

岸本加世子さん「にゅーよーく、」→田村正和さん「こひものがあり(=“恋物語”を鼻詰まりで)。」……小耳にはさんでも「何だったんだ、いまの」で終了しちゃうか。桜田淳子さん→真田広之さんのほうがいいか。この場合柳葉敏郎さんはお休みの方向で。

そんなに昔の作品ではなくて、スポット一度や二度は聞いてそうなものなのに記憶がないドラマも多いですね。「もう誰も愛さない。」は劇中で同じセリフを実際に言う場面のあった吉田栄作さんがいちばんやってそうですが、山口智子さんが言っても、田中美奈子さんでも、伊藤かずえさんでもCMとして成立します。この作品の本放送時(91年)前後がいちばんTVドラマと疎遠だった時期なので、実際これ仕立てのCMはあったのに、月河が未視聴なだけかな。

いっそ主要キャスト一巡して、最終話放送前のスポットは江波杏子さんのヴォイスで締めてもらうのもよかったかも。

「スチュワーデスものがたり。」は堀ちえみさんから始まって、風間杜夫さん秋野暢子さん、高樹澪さん白石まるみさん山咲千里さん春やすこさん…あと誰いたかな…ときて、最後に片平なぎささんに、手袋クチにくわえないで(当たり前だ)発声してもらうのが常道でしょう。

 キャスト声のスポット、いちばん聞きたいのはやはり時代劇ですね。放送当時(1968年)25歳の北大路欣也さんによる「龍馬がゆく。」。もちろんいまも美声だけれど、当時の青い感じの声でCMしてほしかった。…「スピーチを聞け!」はつけなくてよろしい。

そして松本白鸚8代目松本幸四郎)さんによる「鬼平犯科帳。」…現役鬼平の2代目中村吉右衛門さんのお声がそっくりなだけに、ますます先代ヴォイスで聞きたくなってしまうんですよ。

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耐えろ!

2009-04-12 19:53:11 | CM

NHK『つばさ』視聴中、背中で音声だけ視聴でも頻々と感じる当惑感。これに似たものは最近いろんな媒体、いろんなコンテンツで感じます。

一例が、自分もユーザーなのに引き合いに出して悪いけど、OCN光のTVCM、♪ 初めてだって セキュリティだって~と、『アタック№1』のテーマ曲に乗って相武紗季さんが鮎原こずえの格好をして、パソコンで“迷惑メール”や“ウイルス”を跳ね返したりするアレ。

本郷コーチ役は誰が扮するのかと思ったらアニメまんまだった、という拍子抜けはさておき、『アタック№1TVアニメ版と言えば、こりゃもうピンポイントで月河プラスマイナス3歳ぐらいの年代の、女性向けです。週刊マーガレットに連載されていた浦野千賀子さんの漫画限定なら、プラスのほうにもう2歳ぐらい高いかもしれない。

当時の小学生女子はあの影響でみんなバレーボールが大好きで、一度でいいからネットを張って前衛後衛に分かれたレシーブ、トス、スパイクの本格的なゲームをしてみたくてたまらず、滑り台の前にゴム跳びのゴムを張って、審判役が台の上に座って、ふにゃらふにゃらのビニールボールで、ゲンコツでバン、ボボンしては「そんなことじゃレギュラーに入れないワヨ!」なんて富士見学園ゴッコをしていたものです。早川みどり役の子はわざわざお下げほどいて手で外巻きにしたりなんかしてな。ホラ恥ずかしいだろう。言葉攻めか。

残念ながら月河は年齢的にはじゅうぶん真っ只中だったものの、身体が小っさすぎる上、外遊び、とりわけ女子グループでの集団遊びがまったく駄目な子ちゃんだったので、窓からビニボーで、「魔球木の葉落としー!」なんちゃらやってるのを眺めては“TVでやってることをまんま真似するのはえらくカッコ悪いもんだな”との認識を深めていた昭和40年代でした。

それはともかく、このCMと『つばさ』に共通する当惑感「参っちゃうな」という感じは、ある特定の層に向けて、狙って狙って、なりふり構わず“当てに来ている”という息苦しさのもたらすものだと思う。『つばさ』も昭和40年代中~後半から50年代初頭頃の、あえて絞れば“ドラマの”という冠語が付いていた頃のTBSのドラマを思い出させるように作られているのは明白です。

「あぁこれこれ、このキャラ好きだったんだよね」「この感じ、懐かしいね」と言ってほしい気持ちが製作側にあるのはひしひしと伝わってくるし、乞われてそう言ってあげることのできる層の中に自分もいるという自覚はあるのですが、そういうものを見せられて「懐かしい」という気持ちになれるような心理や気分には、こちらはすでにないのです。

むしろ、その狙って来かたの、なりふり構わなさが恥ずかしいし、しらけると感じる。仮面ライダーやスーパー戦隊など、まがりなりにも(まがりなりかい!)新作コンテンツがリリースされ続けているものならともかく、鮎原こずえなんて、記憶の中に辛うじて残ってたようなキャラや、あの時代でさえすでに古めかしかった家族卓袱台ドラマのフォーマットを引っ張り出して、無理クリ喚起した懐かしさから、認知度好感度アップに結びつけようというのならあまりにさもしい。

しかも、そのさもしさが、まさに自分のほうを向いて、狙って繰り出されているさもしさだとわかったときの当惑感、“参っちゃうな”感は相当なものです。

OCNCMの場合、相武紗季さんがアイドル出身女優でありながら、巨乳や美尻といったセクシュアル方面をあまり訴求せず、女性客にも反感を持たれにくいキャラであることがこの企画を成立させてしまったのかもしれませんが、広告効果的に「食いついてきたのは紗季ちゃんのショートパンツ太股ジャンプに釣られて来たお父さん、おっさん、お兄さんだった」という結果に終わったほうが気分がいいですね。

『侍戦隊シンケンジャー』12日放送が第9幕。もうそろそろはっきり言った方がいいと思うので言ってしまおう。『シンケン』、暗いわ。お話が。物語世界もキャラも。とにかく暗い。

剣の腕なら殿・丈瑠(松坂桃李さん)と互角、教科書的な太刀筋の端整さならむしろ上かも…と仲間内でも一目おかれる流ノ介(相葉弘樹さん)がアヤカシに操られて敵性人格となり味方に刃を向けてしまい、ならば致し方ない俺が倒す!と立ち会う丈瑠、「流さん、目を覚まして!」とことは(森田涼花さん)、「アンタ殿様と戦ってるのわかんないの!?」と茉子(高梨臨さん)、「(丈瑠が)いつも殿様の顔崩さねぇから、こういうとき(流ノ介を本気で斬ってしまわないか)100パー(セント)信じられねぇじゃねーか!」と千明(鈴木勝吾さん)(←丈瑠が本気で立ち会う理由としてヒトミダマが“手加減したらすぐさまブルーに腹を切らせる”と釘を刺している)、丈瑠の腕を値踏みするように見守る腑破十臓(唐橋充さん)…という高テンションなお話だったのですが、ここまで流ノ介が“アナクロ忠臣”としてコメディリリーフも担当してきたことが筋にほとんど活きていなかった。

技術において上回るものの一本狙いにこだわる流ノ介が攻めてきた瞬間を狙って、一か八かモヂカラでの一撃でアヤカシの操り力を追い出し、正気に戻すことに成功した丈瑠が「あれだけのモヂカラを打ち込んだら、おまえは死んでいたかもしれなかった」「俺は勝手におまえの命を賭けた…ごめん」と、操られていたとは言え殿に刃を向けたことを悔いる流ノ介に不器用に謝るラストで感動の締めにしたかったようですが、持って行き方も落とし方もあまりに暗く、爽快感がない。

殿が人間らしい本音を垣間見せてくれたというより、“(人命を守る)大義のためには味方とも斬り合うし、味方の命を危険にさらしもする”というやりきれなさのほうが色濃く残ってしまった。

期待していただけに、脚本小林靖子さんどうしちゃったの?という気持ちです。作家さんにはたまさかあることですが、ちょっとした“鬱期”に入ってしまった時期の執筆なのでしょうか。クリエイティヴな仕事をしていてこれに嵌まると、明るい題材を扱い明るく書いているつもりでも、知らず知らずのうちに通奏音がマイナーコードになってしまい、差し引き暗くなってしまうものです。

月河は小林脚本作視聴デビューは遅めで、02『仮面ライダー龍騎』からなのですが、“手続きとしてドロドロどんよりしても、最終的には掬(救)ってくれる”という安心感があって、それが小林脚本の魅力だと思っていました。

今作、“ショドウフォン”という武器設定は玩具のバンダイ主導の提案でしょうが、モヂカラ=“言葉の力”で敵を倒すという結構も、いままでのところ物語の活性化にあまりつながっていないように思います。今回の第9幕も、レッドの“反”でヒトミダマの操り力をはね返す、あるいは先週の第8幕“影”でシンケンジャーの分身を繰り出す、いっそ“石”で石つぶてが飛ぶといった程度で、月河が期待した正義の“言霊(ことだま)”vs.三途の川=死の世界由来の.邪まな妖気パワー、という図式の具現化はなかなか見せてくれません。言霊が『ゴーオンジャー』の炎神みたいにひとつひとつキャラになって喋り出されたら尺的にもえらいことになるでしょうから、そこは各折神が言霊の霊媒的役割を果たすのかなと思ったら、“お子様人気安全パイの動物モチーフ”以上でも以下でもない。

こうなると、メインライターである小林さん以外の、サブ脚本家さんの担当回でどれだけ局面打開があるかに期待したい。世界観やキャラごとのスタンスは動かさず、如何にして解釈の幅を広げられるか。それによって小林さんが新たなインスパイアを受け、明るいほうに改めて舵を切ってくれる可能性もありますから。

明るさというのは、別に漫才チックなどたばたコントチックなやりとりで“笑いを取る”ということではないのです。今日の話でも、本気で対戦しなければかえって流ノ介の命が危ない、一瞬をついてモヂカラを撃ち込めば、流ノ介の力量なら耐えてくれるはず、耐えてくれよ頼む…という丈瑠の葛藤と並行して、「操られても眠らなかった部分の、流ノ介のヤミクモ忠義魂が土壇場でアヤカシの力を上回った!」「殿の信頼をこめた一撃を“殿のモヂカラに持ちこたえられず散るなら本望”と進んで受け、操り力を振り切った!」という転帰にすれば、殿ひとりハラにためてためて、チームメイト=臣下を危険に曝す痛みに耐えるという重さ鬱さが払拭され、見違えるように明るい後味になったはずです。

とにかく、“ヒーローらしさ”の部分が、殿の一本かぶりという構造を変えないことには明るくなりようがないと思う。

やっぱりスーパー戦隊も、脚本家としての小林靖子さんも好きなので、暗いからといって視聴を打ち切る気にはなれない。当面「がんばれシンケンジャー」です。

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春はバブル

2009-04-11 17:50:25 | CM

さほどあたらしものに敏なほうではないのですが、まぁ気温も上昇、空気も乾燥、ぼつぼつシーズンですし、先日店頭で見つけて「いちばん旨い発泡酒を、決めようじゃないか。」という、豊川悦司さんのさすらいの剣豪チックなCMを思い出したので、Asahi“クールドラフト”を試飲。

ちなみに、なんとなくですが、Asahiってビールの“スーパードライ”で業界をリードしている自負があるんでしょうか、他社に比べて、発泡酒・新ジャンルにはあまり熱心ではなくチカラ入れてないイメージを持っていて、“新生3(スリー)”“極旨”などは特に、飲んではみたけれど、積極的にいただけないなぁと思っていました。ビール的な爽快さが少なくて、単純に、甘いんですよ。あとクチもなんかねっちょりしていて、“ビールにちょっと見、似せた清涼飲料水”風。

Asahiで“スーパードライ”以外に「これならいけるかも」と思ったのは“ぐびなま”と“贅沢日和”、いま市場で好評中の“クリアアサヒ”ぐらいでした。“クリア”はそれでもちょっと甘め寄り…と思えたのですが、甘めは甘めでも、Clearを商品名に掲げてるだけあって、わりとさわやかで後をひける甘めです。

まぁ嗜好品ですから、純粋に嗜好の勝負になりますが、月河の場合、香りや旨みより、飲み口の軽さ、切れのよさ、あと微量のホロ苦さだけはこだわりたい。最近は若者層を中心に、ビール伝来のこの“ホロ苦さ”を歓迎しない向きが増え、そこで各社苦労していると聞いたことがあります。

しかし個人的な意見を言わせていただければ、この“ホロ苦さ”であまり妥協し過ぎると、将来にわたって、ビール本来の魅力を解しない客を増やすことになって、首を絞めると思うのですがね。

…さて、剣豪風名乗りの“クールドラフト”、第一印象としては「なんてことないな」。いや、いい意味での、イヤな引っかかりのないなんてことなさです。もっと詳しく言えば、甘さと切れと軽さ、ホロ苦さといった諸要素のバランスがとれている。ただ、バランスが取れているがために、あまり「他の銘柄ではなくコレ」というピンポイント支持を受けにくいかもしれない。

本格シーズン開幕を前に現時点で整理すると、

ビール:①サッポロ“CLASSIC”。当地限定でもあり飲食店で注文するとき、地域外からの客にも積極的に薦められる。

    ②Asahi“スーパードライ”。安全パイという以上に、やはり特に暑さピーク時の爽快感は随一。

発泡酒:①サッポロ“生絞りみがき麦”。同社のCLASSICや黒ラベルを忠実に発泡酒エリアで再現した几帳面作。

    ②Asahi“贅沢日和”。金色地のパッケージを採用、ビールの中でもヱビス的な、ちょっと引っかかる濃いめの風味を積極的に表現した勇気作。

 新ジャンル:①サントリー“金麦”。ウイスキーの会社だけに麦と水の風味が前面に出ているが無駄な甘みがなく飽きない。

       ②Asahi“クリアアサヒ”。上述の通り。

 やはり地元だからかな?サッポロへのシンパシーが全般に高いんですよね。店頭でも、他の地域よりは陳列スペースが広いはずです。

ちなみに、サッポロの新ジャンル“麦とホップ”は、昨年3月発売で全国的にもだいぶ定着してきたようですが、月河は同社の廃番になった“WDRY”のほうが好きだったなぁ。最近コンビニで広く展開中の“冷製SAPPORO”はちょっとパッケージデザインに新鮮さが感じられず、いまだ未試飲。でも最近は新ジャンルも消長サイクルが速いので、シーズン中に一度は試してみたいと思います。

今回試飲したAsahi“クールドラフト”は、発泡酒の③ぐらいに入れてもいいかな。シルバーを広く、ゴールドをラインでコンビネーションさせたパッケージデザインは悪くないと思いますよ。キレ感がありますからね。これも嗜好の問題だけど、麒麟“淡麗(生)”ぐらいには定着、広く長く愛される銘柄になってもいいと思います。

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