弁理士『三色眼鏡』の業務日誌     ~大海原編~

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詰め込み教育の意義を考える。

2008年06月24日 09時18分25秒 | 名作シリーズ(笑)
Web2.0って言葉がすでに古臭く感じる程のスピードで世の中は進んでいる。
・・・いや、「進む」にはポジティブな意味があるから、必ずしも適切ではないか。少なくとも動いている、ように感じる。

けれども、わが身を振り返ってみると、氾濫する情報に時には興奮し、時には辟易するも、結局あまり変わることなく日々をおくっている。世の中の過半の人間はそうじゃないのだろうか?

前にもちょっと書いたけど、世の中に流通している情報量は、ここ数年で25倍にもなったのだそうだ。玉石混交の「石」の方がその数を膨張させて。
一方で、ちょっとアレを調べたいな、と思ったときの手軽さといったら、10年前の比ではない。Wiki、はてな、あるいはちょっとググればたいていのことは書いてある。

こんな『共有知の時代』に、知識偏重型の教育はナンセンスだ、
と主張される方も多い。が、私はそうは思わない。
以下その理由を述べる。

1.キャパシティの拡張

PCであれば、メモリ拡張するにはボードを買ってきて差し込めば良い。
ところが人間はそうはいかない。
メモリ(=作業領域)は、訓練しないと広がらないのである。
頭脳と肉体を対置して捉えることが多いが、こと“訓練”という観点からは肉体と頭脳とは共通している。鍛えないと衰えるのだ。

なお、ここでいっている「キャパシティ」とは、もっぱら「メモリ」の方の意味であって、HDD(=ストレージ)の方ではない。

メモリが増すと何が起きるか。
頭の中で知と知の融合がおきるのである。
人間が知識を頭の中で整理するとき、それをまるはだかで“ディスク”に書き込むことはしない。むしろフォルダを作って、場合によっては以前に作った、他の知識分野におけるフォルダの階層構造を参考にしつつ整理する。一般的にはこれを“アナロジー”といったりする。
その過程で、外部から吸収した知を自分のものとして再解釈するのだ。
この営みは、Wikiにも載っていないしGoogleでも調べられない。
こういう作用を生じさせるためには最低限必要なキャパシティというものがあり、それは鍛えないと身につかないのだ。

2.『眼鏡』を手に入れる。

よく、「色眼鏡で見る」などという表現を使う。往々にしてあまり良くない意味で。

しかし世の中とのかかわりを持つとき、複数の『色眼鏡』を持っておくことは大事だ。

世に起きている事象は、決して単色ではないし、事物のありのままの色であらわされているわけでもない。それに、色のフィルタをかけることによって浮き彫りになってくる真実というのもある。
『算数』の目、『歴史』の目、あるいは『マネジメント』の目、『経理』の目・・・
色々な視座から事物を捉える訓練をする必要がある。

そのためには、その『色眼鏡』で見えるものをあらわす「コトバ」を知っておかなければならない。英単語を知らなければ英語は話せないし、そのコトバを操って生きている人たちの思考回路はわからない。


そんなわけで、詰め込み教育にはそれなりの理由がある、と私は思っている。
もちろん、それは手段であって目的ではないことは、よくよく理解しておくべきだ。それこそ無目的に憶えること(憶えさせること)は、青春の浪費以外のなにものでもない、と思う。
コメント
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