熊取町文化振興連絡協議会の社会見学会で奈良市を訪れ、「奈良・日帰りの旅」シリーズとしてご紹介しています。
今日は当日午後に見学した世界遺産「元興寺」をご紹介します。
「元興寺東門(「重文)」
この門は鎌倉時代の建物として、雄大な気風と優れた意匠を持つ四脚門です。
元、東大寺南西院にあった門を、元興寺の極楽坊正門として、応永18年(1411年)この場所に移築されたものです。
「元興寺(国宝)」
元興寺(がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる由緒ある寺院です。
蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身で、その法興寺が平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となりました。
飛鳥の法興寺は元の場所に残って、今日の飛鳥寺となっています。
奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院でしたが、中世以降次第に衰退しました。
なお、南都七大寺とは、東大寺、興福寺、西大寺、薬師寺、大安寺、法隆寺、そして元興寺の七寺院を言います。
「国宝 極楽堂(極楽坊本堂)」
説明によれば、東室南階大房(僧坊)の三房(室)分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、僧坊の一室(極楽坊)の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の堂々たる建造物となっています。
奈良時代の往生人智光、礼光両法師の禅室として、また、百日念仏講衆の往生極楽院として極楽堂、智光法師感得の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれています。
南都における浄土教発祥の聖地として古来有名な堂宇だそうです。
・曼荼羅堂とも呼ばる所以となっている、智光法師感得の浄土曼荼羅です。
「かえる石」
元興寺の境内北側にあるガマガエルのような石は、古くから有名な奇石で蛙石と呼ばれています。
現在、この蛙石は、以前にかかわった有縁無縁一切の霊を供養して極楽カエルへ成就しているそうです。
極楽堂に向って誓願をたてた極楽カエルは、今や「無事かえる」、「福かえる」等の衆生の願いを聞いてくれると言われています。
「仏足石」
境内南側に石塔・石仏を並べた浮図田(フトデン)の正面に、75㎝四方・15cm厚の庵治石を陰刻した佛足石が据えられています。
佛足石は、古代インド仏教圏で仏像無き時代の、仏陀そのものを象徴する、生きた釈迦の両足尊として信仰されました。
本来、信者は足跡を両手で仰ぎ、頭を付け礼拝したと言われていますが、手を触れるだけでも有難い功徳があると信じられてきています。
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南都の呼称は、都が京に移ってからだと思いますが、大阪時代にこの呼称を識りました。しかし、南朝も政権から
外れた名ですが、南都はなんとなく耳触り好く響きます。
稲作に、春の風物詩である苗を運んで田植えするのを見て、直接まけばよいものをとは、漠然に思ってました。モミは
軽すぎて風で飛ぶし、水に浮くため直播きできなかったのでした。
日本の品質は、高くブランド化したものは尊重されますから、TPPで海外から安い米が輸入されても買われるでしょう。
国が農業を護ったという割に農家は衰退し、専業農家だけで生活ができなくなってますから、やはりこれまでの政策は
いびつだったのでしょう。守ったのは、統括する側の方で守るべき農家のことを考えていなかったのでしょう。