そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

平成20年が終わる

2008-12-31 17:15:59 | Diary
大晦日。

今年一年を振り返れば…

我が家では、長女の誕生、そして長男の幼稚園入園が決まったことが大きなイベントでした。
二人の子育ては想像以上に大変で、この点ではヨメさんをねぎらう以外ありません。

仕事のほうは、こういうご時世には有難いことですが、後半は特に忙しかった。
この傾向は年が明けてもしばらく続きそうです。

公私ともに忙しかったので、個人的な趣味の面では、ひたすら読書をした、という印象。
一年の読了数は46冊
ハードカバーで300~400ページある本もけっこう読んだことを考えれば、結構なペースだったと思います。
経済学の知見を広げることが今年のテーマだったので、経済学関係の本、ブログもかなり読みました。
来年は、「環境」「生物学」「宇宙」あたりを重点的に攻めてみたいと考えています。

世相に目を転じれば、暗い感じで年が暮れていっている印象です。
「100年に一度」というフレーズが当たり前のように使われていますが、簡単にそう言ってしまうのも安易な感じがします。
本当にそこまでの転機なのかどうかはずっと時代が過ぎないと判らないような。
ただ、いろいろな意味で過去の経験をそのまま当てはめることがますます難しい時代になっていくのは間違いないように思います。
自分自身、そろそろ人生の折り返し地点に手が届こうとしているわけですが、たとえば我々の親の世代をモデルにして、これからの人生後半のビジョンを描くことはできないと思うし、まだ幼い我が子たちにも、我々がこれまで成長してきた体験をそのまま被せても同じようにはいかないと思う。
発想を切り替えながら、じっくりと様々な判断をしていかなければならないな、という気がしています。

そういえば、今年は平成20年でしたね。
昭和天皇の崩御、そして平成の始まりという時代の異様な空気はいまだにその感覚が肌に残っている感じがします。
あれから20年。
昭和も遠くなりにけり、です。
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携帯電話を機種変更する

2008-12-30 21:19:38 | Diary
久々に携帯の機種変更をしました。
今まで使ってた端末は、ちょうどこのブログを始めた頃に買ったので、3年半以上使ったことになります。

以前は、1~2年で結構機種変更してたんですけどね。
当時は、端末が薄くなったり、液晶が白黒からカラーになったり、カメラの性能が上がったり、新しい通信方式に対応したりと、買い替えるたびに明らかな進歩感があったけど、最近はねぇ…
通話とメールとネットくらいの基本的な使い方しかしないので、壊れでもしない限り機種を買い替えるきっかけもないんだよね。
これまで使ってたのはCASIO製なんですけどね。
とにかく丈夫だったなあ。
まったく不具合が起こらない。

今回新たに買ったのはSHARP製です。
今更ながらワンセグも初めてみてみたんだけど、結構綺麗に映るもんですね~。
たぶんこの先ワンセグを使う機会は殆どないと思うけど(テレビ自体あんまり視ないし)。
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東京タワーに上る

2008-12-29 23:05:58 | Diary
例年、うちの会社は年末29日から休みで、今年は一昨日から年末年始休み突入。
今年はヨメの実家に帰省する予定もないため、自宅でゆっくり過ごすことに。
といっても、幼児2人を抱えていると「ゆっくり」などということはあり得ないわけですが。

今日は、ヨメが浜松町に用事があったこともあり、唐突な発想ですが家族4人で東京タワーに行くことに。
東京タワーにちゃんと行くのなんて何年ぶりかなあ。
たぶん小学校の低学年のころ以来なので30年ぶりくらいか。

今年で50周年の東京タワー。
リリー・フランキーや「ALWAYS 三丁目の夕日」でスポットが当たったこともあり、最近は人気復活との噂は聞いてたのですが、いやはや凄い人出。
昼前に到着すると、展望台へのエレベーターは大行列。
不景気で安・近・短の年末休みにはもってこいの観光スポットなんでしょうか。
でも、外国人の観光客もかなり目につきましたがね~。

30分以上並ぶと聞いて上るのは一旦あきらめたんですが、昼ごはんを食べて外に出てみると、行列の長さがだいぶ短くなっていたので、結局上ってみることに。
それでも15分は並んだ気がするけど。
150mの高さの大展望台に上りましたが、いざ上ってみると正直普通…
上の2歳のコドモは展望台から景色を眺めて「東京タワー見えないねぇ」と言ってましたがw
そう、東京タワーはやはり上るよりも、近くまで行って下から見上げたほうがずっといいですね。
あの威容と迫力は他には代えがたいものがあるように思います。
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「容疑者ケインズ」 小島寛之

2008-12-27 12:21:07 | Books
容疑者ケインズ (ピンポイント選書)
小島 寛之
プレジデント社

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推理小説っぽいタイトルですが、経済学の本です。
ケインズの『一般理論』の解説をベースに、バブルなどの経済現象をケインズの思想・理論との関係から論じています。
非常に平易に書かれていて分かりやすいのは分かりやすいんだけど、元々ブログにコラム的に書いたものを大幅加筆修正して出版したもののようなので、全体に論旨が体系だてられておらず、つまみ食い的にいろんな話題が散りばめられているので、新たな知見を得るという点ではかなり物足りなさを感じました。
入門書としてお勧めできるタイプの本でも無さそうなので、ある程度経済学の基礎知識がある人が気分転換や暇つぶしに読むのに適しているという感じでしょうか。

数学科出身の塾講師だった著者は、市民講座でケインズの理論に出会って衝撃を受け、大学院に入り直して経済学者になったという経歴の持ち主のようで、ケインズに対しては一方ならぬ思い入れがあるみたいですが、勿論ケインズ理論を無批判に信奉しているわけではありません。
経済学者の間では、ケインズ理論は既に「過去のもの」として否定するのが通説になっているようで、著者もそのことには同意をしています。
が、それでも著者はケインズの発想には魅力があると言います。
ケインズは、「緻密にすきのない論理体系を構築できる、というタイプの天才」ではないが、「反面、そのロジックには磨きがいのある夢やアイデアがふんだんに埋まっている」と評価しています。
確かに、学問的には否定されていながらも、半世紀以上経った現代においてもその影響力が残存している現実をみれば、著者の評価は当たっているようにも思えます。
その分、厄介な存在だ、とも言えそうですが。
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生活保護訴訟とフレーミング効果

2008-12-25 23:15:24 | Society

生活保護訴訟で原告敗訴 「加算廃止は裁量権の範囲」 広島地裁判決(産経新聞) - goo ニュース

生活保護の見直しにより一人親世帯や高齢者に上乗せ支給されていた「母子加算」と「老齢加算」が廃止されるのは憲法が保障する生存権の侵害にあたるなどとして、広島県内の40~80代の生活保護受給者27人が、広島市など居住する自治体に廃止決定の取り消しを求めた訴訟の判決が25日、広島地裁であった。能勢顕男裁判長は「保護基準の改定は厚労大臣の裁量権に委ねられており、廃止は不合理、違法であるとはいえない」として請求を退けた。

加算の廃止によって困窮している人がいるのであれば本当に気の毒な話だと思うし、廃止することの是非については議論があるべきだとは思うけど、これを憲法訴訟で争うというのは、直感的にはやや無理があるように思います。
老齢加算も母子加算も、無いよりはあったほうがよいに決まっていますが、それは社会保障という大きな枠組みの中で、限られた原資をどのように分配するかという行政の、或いは政治の問題であって、司法に判断せよというのはちょっと苦しいのではないでしょうか。

それと、今回のケースは、もともと加算という制度があったものが廃止になったから問題になったのであって、最初っから制度設計として加算という仕組みが無かったとしたらそれを憲法違反として訴えるという発想が果たして出てきたのか、という点も気になるところです。
もともと貰えていたものが無くなったのでけしからん、とうことになったのであって、はじめから貰えるものではなかったとしたらあまり気にならない、ということなら、それを違憲云々というのもバイアスがかかっていますね。
これもフレーミング効果の一種でしょうか。

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「ラッシュライフ」 伊坂幸太郎

2008-12-21 11:47:30 | Books
ラッシュライフ (新潮文庫)
伊坂 幸太郎
新潮社

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パズルのような構成を組み立て、それを解きほぐしてみせることだけを目的に書かれたとしか思えない。
読んでいる間は、果たしてどこがどう繋がるのかという関心から、最終形にさっさと辿りつきたいがために、次々とページをめくる誘惑に駆られたことは認めます。
が、それは自分が考える「小説を味わう」という行為とはかけ離れた、単に「ページを消費している」という言い方がぴったりくるような時間に過ぎなかったような。

この小説のように、微妙に重なり合う複眼視点の群像劇に時間軸ずらしをからませていく手法は、これが2002年に書かれた小説であることを勘案してもけっして新しいものではない。
タランティーノやガイ・リッチーの映画では当時既に広く知られていたもので、著者はどうやら映画好きのようなので、それを小説でやってみようという発想があったことは想像に難くない。
そのこと自体を特にどうこう言うつもりはありませんが、自分がこの「ラッシュライフ」を評価できないのは、そういった「巧みな構成」を組み立てることが最大の目的になってしまっているように思えること。
頭で「設計」して「構築」された小説という印象がぬぐえず、こういうものを「文学」とは呼びたくない。
何より気に食わないのは、登場人物の造形がどれもこれも空虚なこと。
小説の登場人物なんだから別にリアリティに欠けていたって構わないとは思うけど、誰も彼も「ストーリーを転がしていく」都合上配置されたキャラクターとしか思えず、まったく人間が描けていない。
科白も会話も上滑りしている。
しかも、「巧みな構成」と表現できるほど、ラストの集大成的伏線回収がカタルシスを生むほどのものでもないような…

こういう類の小説をエンターテイメントとして消費して楽しむ嗜好を、けっして否定するつもりはありませんが、個人的にはこれ以上御免蒙る、といった感じです。
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「お寺の経済学」 中島隆信

2008-12-19 23:55:39 | Books
お寺の経済学
中島 隆信
東洋経済新報社

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一般的な日本人にとって「お寺」「お坊さん」「仏教」といえば、「葬式」「法事」「お墓」といった連想が働くわけですが、これらは日本ローカルなもので、タイなどの他の仏教国では同じ発想は全く通用しない。
日本において、仏教と葬式やお墓が結び付いたのは、江戸時代に徳川幕府の統治体制に寺院が組み込まれ「檀家制度」として全国に行き渡ったことが起因している。
そのあたりの歴史を紐解きながら、現代のお寺・仏教を取り巻く状況を経済学的見地から眺めた一冊。

それにしても、オフィシャルな制度としての檀家制は明治以降存在しなくなったにも関わらず、現代においても寺壇関係というものが「文化」として社会に根を張っていることを考えるに、徳川幕府がこの制度をいかに強固にあまねく根付かせたかが痛感させられます。
まあ考えてみれば、明治以降まだ150年ほどしか経っていないわけで、徳川の260年はやっぱり日本人の生活のかなり深いところまで刻み込まれてるんだなあ、と。

同じ著者の「大相撲の経済学」に比べると、経済学的観点での掘り下げという意味ではやや物足りないところもあるんですが、雑学的にはなかなか面白かった。
特に、お寺と葬儀社・石材屋の関係を分析したあたりとか。
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「輸出型」が縮む未来

2008-12-17 23:52:32 | Economics
月曜は泊まりの出張で札幌に行ってました。
あまりに寒くて外出する気も起らず、やることがないのでビジネスホテルの部屋でテレビを見て過ごすしかなく。
NHKスペシャルで、非正規雇用にセーフティーネットが利かないことをテーマにした特集をやってました。

ここのところ国内の話題は、派遣切りや雇い止めの話ばかり。
つい先日まで史上最高益などと騒がれていた、トヨタやキャノン、シャープなどの日本を代表するメーカー大企業が雇用調整の先頭を切っている。
実感なき「戦後最長景気」を支えていた、これら輸出型製造業が、世界的な金融危機に際して、日本においてイの一番に逆風にさらされている。
そして、これら輸出型製造業にガタがくることで、国内の経済は急激な落ち込みを見せている。

これらの現象は、とても深刻な含意を示しているように思えてなりません。
金融危機による欧米や新興国での景気後退に伴う外需の冷え込みと、円高による採算悪化により、日本経済を支えてきた輸出型製造業は一気に勢いを失った。
つまり、これらの自動車メーカーや電機メーカーにとって、日本の国内市場よりも海外市場のほうがずっとずっと大きな重要性を持っているという構図がすでに成立していたということを意味しているのではないか。
そうだとすると、中長期的なスパンでみると、これらのメーカー大企業は、国内で製造して輸出する形態よりも、海外において現地で製造して現地で販売する形態へと次第に移行していくことが合理的な選択、ということになっていくのではないか。
現地製造、現地販売なら為替リスクも無いし。
日本経済を支えてきた、これらの製造業が日本を捨てて海外へと移転していったら、あとには何が残るのだろうか。

そんな明るくない未来が、なんだか見え隠れするような。
そんなことをぼーっと考えながらテレビを眺めていた札幌の夜でした。
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fished

2008-12-13 23:45:18 | Diary
今週、ヨメがクレジットカードの不正利用被害に遭いました(未遂ですが)。

心当たりのないカー用品のネットショップから、20万円の商品を買ったかどうか確認する電話がかかってきたとのこと。
ヨメの名前(住所、電話番号なども正しいもの)で注文があり、決済手段としてヨメ名義のクレジットカードが指定されていたが、商品の送付先が全く違う住所だったため、ショップ側で怪しいと思って確認の電話をしてきた、ということなんです。
注文した覚えはなく、購入はキャンセルとなったんですが、カード情報を含む個人情報が漏えいしている模様。

ヨメのほうで心当たりを探ったところ、どうもフィッシングに引っ掛かってしまったみたいだということが判明。
先月、ヤフオクに出品をした際、丁度そのタイミングでYahoo!の名前でYahoo!のフリーメールアドレス宛てに「登録情報を再確認する必要があるので、このリンク先のページから再度入力するように」と指示するメールが届いたとのこと。
ヤフオクへの出品も久々だったことから、ヨメはまったく疑いもせず、そのページにYahoo!のID・パスワードを入力し、さらに住所・電話番号・氏名に登録クレジットカードの番号まで入れてしまったらしいんです。
そのメールが残っていたので見ましたが、巧妙にできているものの、送付元のアドレスもリンク先のURLもよく見るとyahooのドメインではなく、明らかにおかしい。
yahooのログイン履歴を調べると、家のPCとは違うIPアドレスから一回ログインがされており、ネットショップで不正購入がされたのと同じ日のほぼ同時刻だったため、間違いなくこれが流出元だな、と。

カードの購入履歴も調べましたが、不正利用されたのはこの一件のみで、被害額はゼロ。
一応、警察には届け出ましたが、IPアドレスを調べても飛ばしのケータイからで、商品の届け先も詐欺でよく使われる私書箱にリンクされた住所だったとのことで、足はつかず。
プロの仕業なんでしょうね。

フィッシングされるのも不注意といえば不注意ですが、メール送ってくるタイミングとかが絶妙なんですよね。
自分も絶対引っかからないと断言するまでの自信はなく…
気をつけねばいけませんなぁ。
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「排出権取引とは何か」 北村 慶

2008-12-10 22:40:38 | Books
排出権取引とは何か (PHPビジネス新書)
北村 慶
PHP研究所

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排出権取引の入門書。
読み易くて分かり易い。
一方で、深みがなくって物足りなさを感じてしまうのも確か。
まあ排出権取引自体始まったばかりの新しい概念であり、深く論じるだけの材料がまだ揃っていないということもあるのだとは思いますが。

この本でも解説されていますが、国別に排出枠を割り当てる京都議定書の排出権と、企業が排出枠を売買するEUの排出権(取引)とを同列に扱うことはできない。
自分も、排出権に関する報道を眺めていても、どうも混乱があるような気がしてましたが、そのあたりが頭の中でクリアになったのが、この本を読んでの一番の収穫かな。

排出権取引は、エネルギー問題に、権利売買という「経済」的手法を持ち込んだものですが、国別でも企業別でも、排出枠の最初の割り当てをどのように行なうかという点は、きわめて「政治」的な問題なわけです。
京都議定書の国別排出枠割り当てがそもそもEUや新興国に有利で、日本は損しているというのはよく指摘される話です。
この本においても、そのあたりの問題点は指摘されていますが、わりとあっさり看過されてしまっている。
プロフィールによれば、著者は「グローバル金融機関勤務」だそうなので、「どうあるべきか」というアカデミズムよりも、「どうするべきか」というプラグマティズムのほうに関心があるということでしょうか。

それから、排出権取引が金融商品として新たな投資対象たりうるか、という論点。
これも本の中で指摘されていますが、排出権という概念自体が人為的に設定された擬制であることを考えると、それが果たして永続的な価値を持つ資産たりうるのか疑問な気がします。

ちなみに、この本は、地球温暖化が進んでいること、および、温室効果ガスがその原因であることについては全く疑問視せず、所与の前提として書かれています。
この論点については、他の「温暖化懐疑本」を読んでみたいと思います。
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