そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『闇に香る嘘』 下村敦史

2015-04-13 23:19:15 | Books
闇に香る嘘
下村 敦史
講談社


最後の真相明かしはよく考えられているが、そこから逆算してすべてが構築されていることが透けて見えてしまう。
しかも文章が硬いというか、「描写」じゃなくって「説明」になっている。
これじゃあ、とてもページを繰る手が止まらない、という感じにはならない。

人物造形もイマイチ真に迫るものがなく、特に主人公が70歳近い老人であるという印象が全く伝わってこない。
まあ、映画やドラマなど映像作品では描くことが難しい、「常闇」という主観に文章作品でチャレンジした意欲は買うが。

この程度で江戸川乱歩賞受賞と。
ちょっと信じられんなあ。
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『イスラームから見た「世界史」』 タミム・アンサーリー

2015-04-11 23:40:27 | Books
イスラームから見た「世界史」
タミム・アンサーリー
紀伊國屋書店


「アラブの春」が巻き起こった2011年に発刊された本だが、世界がイスラム国による猛威に曝されている今こそ読まれるべき一冊と思う。

著者はアフガニスタン出身、米国在住の著述家、米国で世界史の教科書編纂にも携わった経歴があるという。
日本の世界史教科書においても、古代の記述はメソポタミアなど中東地域を中心に書かれていても、ギリシャ・ローマ以降はヨーロッパの歴史を辿ることが主軸となる。
後は、もう1つの軸が中国史、残りの地域は数百年分がまとめられて記述が散在するという形式にどうしてもなってしまう。
本書は、日本語タイトルの通り、そうした欧米中心の世界史像を脱構築し、中東のムスリム社会を中心軸に据えて世界史の流れを追っていくことにより、新たな世界史観を見出すとともに、ムスリム社会への見方を変えることを試みている力作である。
ちなみに「中東」と書いたが、本書では中東だけでなく、東はインド・アフガニスタン・ペルシアから西は北アフリカまでのムスリム世界を「ミドルワールド」と呼び、その世界を中心にして歴史観を再構築している。
600ページを超える大著だが、読みづらさは感じない。

まず何より、かつてミドルワールドは、ユーラシア大陸のど真ん中、文字通り世界の中心であった、ということを実感させられる。
もっとも繁栄し、文化・文明が進んだ地域で、それに比べるとヨーロッパなどローマ帝国分裂以降は貧しい辺境の地に落ちぶれていた。
十字軍の遠征にしても、確かにミドルワールドのムスリム世界に惨禍をもたらしたものの、ムスリムからは「キリスト教との文明の対決」という位置付けには見えておらず、単に侵略を受けたとしか受け止められていない、と(結果的に十字軍遠征は失敗に終わっているし)。
むしろ、その後のモンゴル族の侵入の方が、ムスリム世界に壊滅的な打撃をもたらした(モンゴル族が彼の地で酷い大虐殺をしていたとは、個人的には本書を読んで初めて認識した…)が、最終的にはそのモンゴル族もムスリム化することになる。
さらにオスマン・トルコがビザンツ帝国を滅ぼし、ペルシャのサファヴィー朝、インドのムガル帝国との「三大帝国」の時代となる。
この時代まで、ミドルワールドのムスリム世界は、まさに世界の中心であった。

ところが、大航海時代以降、ヨーロッパの各国がミドルワールドに次第に勢力を拡大してくることになる。
19世紀以降、産業革命で富と軍事力を高めたヨーロッパの列強はさらにミドルワールドに進入し、ムスリム世界も立憲主義やナショナリズムの波を受けて揺さぶられてゆく。
第一次大戦でオスマン帝国が終焉を迎え、石油の時代の到来とともに英仏米露の列強の手により、ミドルワールドはズタズタにされていき、そしてイスラエル建国という大きな波乱の種が植え付けられる。
その延長線上に、紛争と抗争の耐えない現在の中東情勢があるのである。

そして、イスラームに対する理解もこの一冊を読むことでかなり高まった。
というか、これまでがあまりに何も知らなすぎたのだけれど。
イスラームは宗教・思想のみに留まらず、社会事業なのである。
個人の救済に焦点を当てるキリスト教・仏教など他の宗教とは趣きが異なる。
ヨーロッパ的な発想の民主主義や国民国家といった概念が根底のところで受け容れられない要因はそこにある。
現代に至っても中東情勢の対立軸となっているスンナ派とシーア派の対立にしても、ムハンマドの死直後の正統カリフの時代における後継争いに端を発しているもので、単なる宗派対立として捉えてしまうと本質を理解できない。

それにしても十字軍やモンゴル族による大虐殺だけでなく、オスマン・トルコによるアルメニア人虐殺などを含め、この地域では歴史上ジェノサイドが繰り返されてきたことを否応なく思い知らされる。
ISの残虐な振る舞いもその延長上に見る必要があると感じた。
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ハリルホジッチによって選手は部品と化す

2015-04-05 23:20:04 | Sports
遅ればせながら、ハリルホジッチ新監督を迎えての日本代表、国際親善試合2試合(2-0チュニジア、5-1ウズベキスタン)を観て感じたことを。

ホームアドバンテージをかなり差し引かなければならないにしても、3月13日に初来日してわずか半月、それまで全然プレーを観たこともなかった選手もいるだろうに、チームをひとまず掌握して結果まで出してしまったことは素直に賞賛してよいだろう。
交代策が当たったことは、やはり6人も交代可能(しかも29人もベンチ入りさせてた)で、コンディションが不十分な相手が後半疲れて足が止まったところにフレッシュな選手を投入して得点を奪ったというだけなので、額面通り受け取ることはできないにしても。

ウズベキスタン戦の試合後の監督インタビューでは、前半は前線からプレス、後半は引いてブロックを作って相手を意図的に引き出してカウンター、という狙いをもってプレーさせていたことを語っていた。
はっきり言って、語られていることは常識的で、特に高度な戦術というわけではないのだが、何故かこれまで歴代の日本代表監督の口からはこのような戦術的なコメントをなかなか聞くことができなかったので、その点ではちょっと新鮮に感じる。
ようやく普通に戦術を語ってくれる監督がやってきたか、という感じ。

ハリルホジッチは、就任時の記者会見でも、スター選手だからといって特別扱いはしない、あらゆる選手にチャンスは開かれている、その時に調子のよい選手を使いたい、と語っていたように記憶しているが、選手に合わせたサッカーをするのではなく、やりたいサッカーに合う選手を「駒」として選ぶ、というタイプの監督であるとはこの2試合でもはっきりしたように思う。
それまで主力を張っていた選手でも、「駒」として使えないということになればあっさりと見限られ、監督がやりたいサッカーに合うその時その時に調子のよい選手が選ばれることになるであろう。
振り返ると、歴代の代表監督では岡田さんとトルシエがどっちかというとそんなタイプだった。
98年フランス大会では三浦カズが、02年日韓大会では中村俊輔がメンバーから外され、また、10年南アフリカ大会では同じく俊輔がメンバーには入ったものの直前で先発レギュラーから外れた。
そして、W杯で好成績(16強)を残すことができたのは、実はこの一件非情に思える選手選考をした2人の監督の時なのである。
逆に、メンバーを固定してコンビネーションを高める方法論を採ったジーコやザッケローニのときは、結果的に固定的なサッカーゆえに環境や状況の変化に柔軟に対応できない脆弱性を見せ、惨敗に終わっている。

この2試合、本田・香川・岡崎の3人はユニットのように起用されていたが、次第に彼らも部品化されるだろう。
個々人に分解されるか、あるいは3人ユニットのままで「部品」になるかはわからないが。

この志向は、個人的には歓迎したい。
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『愛に乱暴』 吉田修一

2015-04-04 16:31:23 | Books
愛に乱暴
吉田 修一
新潮社


吉田修一も、こんな昼ドラみたいな小説書いてたのね。
単なるメロドラマで終わらず、一捻りされているところが「らしい」けれど。

主人公の桃子は、ちょっとセレブなごく普通の主婦に思える。
ほぼ桃子の一人称で小説は進んでいくが、その言動や感覚に直接的な違和感を覚えない。
が、どこかに狂気が潜んでいるようにも感じるのだ。
例えば、かつて勤めた会社の上司の言葉を真正直に頼って、再雇用を依頼しに訪ねてしまうあたりに、そのちょっとした「ズレ」が垣間見える。
日記のギミックにはわりと早い段階で気づいたが、このあたりの人物造形の微妙な巧みさが流石だと思う。

日常に隣接する危うい転落の可能性に触れてモヤモヤできる、という意味ではやはり昼ドラ的なんだよなぁ。
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『サラバ!』 西加奈子

2015-04-04 00:03:24 | Books
サラバ! 上
西 加奈子
小学館

サラバ! 下
西 加奈子
小学館


話題の直木賞受賞作、売れてるみたいですね。

約40年間の家族の物語。
『北の国から』的とでもいいましょうか。
そして、エジプト生活を間に挟むことにより、物語は流浪性を帯び、また、イラン革命やバブル崩壊、2つの大震災、オウム事件、アラブの春などの社会事件を背景に描くことで時代感が創出される(主人公の姉弟は自分とほぼ同世代のため、このあたりは共感するところも多々あり)。

でも、何よりもこの物語は、父母姉や親族との葛藤、友人たちとの交わりを横糸に織り込みながら、主人公の少年が成長と挫折を重ねていく成長譚としての要素が大きいと感じる。
常に空気を読み、周囲との軋轢を避けることでそつなく無難に、それなりに楽しく人生を歩んできた主人公が、大人になってその歩みを狂わせていく。
対照的に、周囲に迎合することなく苦しみ続けながら生きてきた姉が、ついに達観の境地に到達し、厳しくも優しい言葉で、弟の人生の虚飾性にズバズバと切り込む、その件りがこの小説の白眉。

上下巻で700ページに及ぶこの大作を読み終えた時には、時の流れの壮大さと現実感の厚みに胸いっぱいになる一方、どこか寓話性を感じさせられるのも確か。
それは、主人公のキャラクタ設定が綿密なリアリティを湛えていながらも、どこか「女流作家が描いた男性像」を脱しきれていないところからくるのかもしれない。
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