そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『希望の国のエクソダス』 村上 龍

2015-09-27 22:27:24 | Books
希望の国のエクソダス
村上 龍
文藝春秋


「この国には何でもある。だが、希望だけがない。」
というフレーズがあまりにも有名になってしまった本作も、すでに書かれてから15年も経ってしまった。
未読だったのだが、著者の新作『オールド・テロリスト』を読む前に紐解いてみたくなった。

本作が書かれた2000年といえば、リーマン・ショックや東日本大震災どころか、9.11テロさえ起こっていなかった。
その時代性を考えると、まるで15年後の現代を見て書いたかのような、先見の明に驚かされる。

作中の中学生たちが手がけるビジネスは、現在のソーシャル、クラウドといった要素が満載だし、仮想通貨的なものまで登場する。
ネットビジネスが既存のメディアを崩壊させる様もまさに予言めいている。

一方で、描かれた予言的世界には外れた要素もある。
一言で言えば、結果的に若者の力を買いかぶりすぎていた、ということ。
作中の中学生の世代は、計算すると今20代後半ということになり、自分の会社における部下にもいるが、まあ団塊のおっさん世代と比べても活力の面で完全に負けている。
人工ボリュームの面で高齢者に太刀打ちできず、存在感を得られていない。
「恐ろしい子供たち」は「ロスト・ジェネレーション」にしかなり得なかった。
一方で、日本経済は、この小説で悲観的に描かれるよりも現実は粘り強かった(存在感を減じてはいるものの)。
まったく少子高齢化恐るべしである。
で、『オールド・テロリスト』に繋がるのだな。
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『持たざる者』 金原ひとみ

2015-09-02 21:35:18 | Books
持たざる者
金原 ひとみ
集英社


読み進めれば読み進めるほどに登場人物たちへの嫌悪感が募る。
というか、どうでもよくなって、ページを繰る手も重くなっていった。
著者の目から見ると、現代の日本人ってこんなにもややこしくて閉塞しているように感じるのだろうか?
もっとシンプルに思考し、朗らかに生きている日本人もたくさんいると思うのだが。
ある意味カルチャーショック。
久々に、あんまり評する気にもならない小説。
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『人工知能は人間を超えるか』 松尾 豊

2015-09-01 23:42:32 | Books
人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
松尾 豊
KADOKAWA / 中経出版


Kindle版にて読了。

ここのところ世間を賑わせている人工知能(AI)。
著者の解説によれば、現在は第三次AIブームだそうだ。
第一次ブームは1950~60年代、コンピュータで「推論・探索」をする研究が進んだ。
第二次ブームは1980年代、コンピュータに「知識」を入れることが試みられた。
そして、第三次ブーム、ビッグデータの時代に広がった機械学習と、技術的に大きなブレークスルーであるディープラーニング(特徴表現学習)が花盛りである、と。

第二次ブームでは、機械が「知識」を習得することの難しさが壁になった。
人間なら簡単に操ることのできる知識に関わる作業をコンピュータにやらせるのは想像以上に難しいらしい。
たとえば、以下のような難問がある。
フレーム問題:あるタスクを実行すrのに「関係ある知識だけを取り出してそれを使う」という、人間ならごく当たり前にやっている作業を人工知能に如何にして実行させるかという問題。
シンボルグラウンディング問題:人工知能が、記号(文字列、言葉)とそれが「意味」するものを結びつけることができない問題。

「知識」をたくさん投入しても、基本的に入力した知識以上のことはできない、というのが第二次人工知能ブームの限界であった。
こうした閉塞感を打破する技術が「機械学習」であり、そのキーファクターとなるのが「特徴量」。

特徴量というのは 、機械学習の入力に使う変数のことで、その値が対象の特徴を定量的に表す。
この特徴量に何を選ぶかで 、予測精度が大きく変化する、と。

ただし、特徴量を記述するのはあくまで人間であった。
これに革新をもたらすのが「ディープラーニング」である。

ディープラーニングは、データをもとに、コンピュータが自ら特徴量をつくり出す。人間が特徴量を設計するのではなく、コンピュータが自ら高次の特徴量を獲得し、それをもとに画像を分類できるようになる。ディープラーニングによって、これまで人間が介在しなければならなかった領域に、ついに人工知能が一歩踏み込んだのだ。

AIを実現するために、これまでいろいろな研究が行われてきて、そのたびにさまざまなトピックが取り上げられてきたが、結局、「特徴表現をどう獲得するか」というのが最大の関門で、その山を越えられなかった。ところがいま、ビッグデータと機械学習の間に抜け道ができた。それがディープラーニングで、ここを抜けていくと、その先にとても肥沃な世界が広がっているということである。社会的なインパクトも大きい。この先にまだいろいろな山があるのかもしれない。しかし、人工知能は長い停滞の時を超えて動き出したのだ。


素人でもわかりにくい概念ではないけど、なんとなくピンとこないような気もする。
個人的には、以下のような例示がイメージしやすかった。

自動車でも飛行機や電車でも、操縦士・運転士の大きな仕事のひとつは「おかしなことが起こっていないか」という「異常検知」である。異常検知というタスクは、高次の特徴量を生成し、そこから「通常起こるべきこと」を想定し、それと異なっていれば何かおかしいと感じるということだから、特徴表現学習の得意とするところだ。この仕事をコンピュ ータができるようになると、運転を人工知能が行うことも、遠隔で操作することも、いまよりずっと簡単になる。


なるほど、こういう視点で考えれば、人工知能の活かし方についてのアイデアも湧くかもしれない。
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