そもそも論者の放言

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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 増田俊也

2012-04-28 23:24:26 | Books
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田 俊也
新潮社


自分は、プロレス中継がゴールデンタイムに放映されていた時代に小学生時代を過ごした世代です。
小学校の高学年の頃、クラスの男子の半分以上は熱狂的なプロレスファン。
学級文庫に「プロレススーパースター列伝」が置かれて回し読みし、プロレス雑誌やムックなどを通じて、プロレス界に伝わる歴史や伝説について学びあったものでした。
そんな小学生なんて、21世紀の今になっては想像もつかないでしょうが。

そんな自分にとって「木村政彦」の名前には、正直「プロレスの王者である力道山に挑んで、あっさり敗れた哀れな柔道王者」くらいのイメージしかありませんでした。
ただの柔道王者ではなく戦争を挟んで15年間無敗の無敵の王者であったこと。
「柔道家」の実直そうなイメージとはかけ離れたバンカラ、やんちゃで人間味あふれる人物だったこと。
力道山に先駆けて既に海外でプロレスデビューし、ブラジルでは若き日のエリオ・グレイシーにバーリトゥードで圧勝していたこと。
グレイシーの件はなんとなく耳にしていましたが、この本を読んで初めて知ったことがたくさんあり過ぎて混乱しそうなくらい。

そして問題の力道山との世紀の一戦。
今回、初めてYou Tubeにアップされている動画をみましたが、あまりの凄惨さにショックを受けました。
明らかに「プロレス」ではない。
力道山という「怪物」の底知れない恐ろしさを思い知らされる。
この試合の時点においては、力道山はまだプロレス界の王者であったわけではない。
木村を叩きのめすことで、その地位を確固たるものに固めていった。
一方で、「負け犬」として生き恥を全国民に晒された木村の後半生は、世間から忘れ去られていく。

ところが、この700頁に及ぶ壮大なノンフィクションを通じて描かれる木村政彦の一生は、けっして悲劇の主人公のそれではない。
そう思わされることこそが本書の素晴らしいところだと感じます。
著者の木村政彦に対する思いの強さは一方ならぬものがある。
強さも弱さもひっくるめて、木村政彦という傑出した人物の複雑さも単純さも全てが伝わってくる。

また、本書を通じて、現在の立ち技中心のスポーツとしての柔道が、木村が極めようとした「実戦的な柔道」とかけ離れたものであることを識ることができます。
「力道山のプロレス」にしても「講道館の柔道」にしても、最初っから絶対的な地位にあったわけではなく、戦後という時代の政治の流れの中でその地位に収まったものである。
21世紀の今、そんな冷静な見方で戦後社会を概観できるという点でも良著だと感じます。
コメント
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