そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

2007年9月第4週のメモ

2007-09-30 00:10:13 | Politcs

今週ネット上で読んだ文章のうち、印象に残ったもののメモ。

始めの2つは日経ビジネス「NBonline」から。

 シリーズ:日米関係は大丈夫か?(3)
安倍前首相の弱さは、オール日本人の弱さではないのか
2007年9月27日 木曜日 冷泉 彰彦


特措法(テロ対策特別措置法)の延長問題などがよい例だ。日米双方の姿勢が脆弱な政権党の国内政治に拘束されている中で、「あるべき姿」を共に考え真剣に双方の関係を強化するような建設的なディスカッションは見えない。民間の経済交流にしても、日本での金融工学や投資銀行のノウハウが確立しない中で規制緩和ばかりが先行し、結果的に米系金融機関のビジネスチャンスばかりが拡大している印象がある。
そんな中、政治でも経済でも個別の案件では、どうしても米国に押され気味というのが実情だろう。個別の交渉としては米国に押しまくられ「ご説ごもっとも」とやり込められながらも、「日本の実情を考えますと、そう簡単にはいきません」と自分の国内事情をエクスキューズに、条件交渉や先送りを行う、そんな交渉パターンが多く見られるのはなぜなのだろう。それは、日本側に相手を知り尽くした「タフ・ネゴシエーター」が不在だからではないだろうか。

文章は米国一流大学への日本からの留学生の少なさ(語学留学を除く)に原因を求める方向に展開していく。その論点については自分はよくわからないが、少なくとも上記引用部分は昨今の日米の力関係の在りようを的確に説明しているように思いました。

首相交代の歴史的必然
80年代の成功体験から抜けだせない日本は取り残される
2007年9月26日 水曜日 山崎 養世

わずか1年前に、憲法改正を最大の課題とした安倍政権が誕生しました。政権誕生の最大の功労者は、金正日でした。
中学生の少女をはじめとした多くの日本人を拉致して返さない。麻薬や偽札で稼ぐ。在日朝鮮人から貢がせる。
自らは美女に囲まれ贅沢な生活を送りながら、国民は飢えと抑圧のどん底生活を送る。ミサイルをぶっ放すばかりか、核兵器の開発を開始し、米国や日本との対決姿勢をあらわにする。
これほどの悪漢が隣の国にいたとは。このままでは日本は何をされるか分からない。国民の怒りが金正日に対して毅然たる姿勢を示してきた安倍氏への支持の流れを作りました。
また、中国からの圧迫感が多くの国民の心に重苦しくのしかかっていたことも、保守外交を掲げた安倍政権誕生を後押ししました。暴虐北朝鮮。急速に国力と軍事力を高め、資源や環境問題を起こす共産中国。その2カ国に擦り寄る韓国。さらに、強権を発動し軍備拡大を続けるロシア。
それに対して、日本の頼みは米国だけ。ブッシュ政権こそ、金正日に毅然たる姿勢を示してくれるはずだ。しかし、日本も自前の核武装くらい考えなくては。これが、1年前の雰囲気でした。安倍総理の憲法改正の主張も真剣に受け取られました。
ところが、ついこの間の参議院選挙では、金正日も憲法改正もどこかに行ってしまいました。一体何が起きたのでしょうか。
どうやら21世紀の朝鮮戦争や共産主義勢力による日米攻撃は起きそうにないことが明らかになったのです。それどころか、日本が頼みとした米国は、北朝鮮が核武装を放棄すればテロ国家の指定を解除し、攻撃の対象から外す方向を示しました。
さらに、経済援助まで与えるというのです。これでは、核で脅かした金正日の作戦勝ちです。米国は、北朝鮮への制裁や武力行使に反対の中ロ韓の側に立っています。
北朝鮮中ソと米国が戦い、その米国に日本が協力した50年前の朝鮮戦争の構図ではありません。朝鮮半島を巡る複雑な情勢分析は、船橋洋一著『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』に鮮やかに描かれています。
核の放棄を条件に、経済援助と世界経済への参加を引き出し米国からの安全保障を獲得しようという戦略では、独裁者金正日は、イラクのサダム・フセインよりもリビアのカダフィに似ています。かつてパンナム機を爆破し、世界一のテロ指導者だった暴れん坊カダフィは、いまや大産油国の元首として欧米の投資を受け入れているからです。
北朝鮮リスクの低下に成功すれば、今後の6カ国協議は米中ロ3カ国を中心として東アジアでの安全保障を話し合う枠組みに変化していくかもしれません。イラク戦争の後始末やテロとの戦いに忙しい米国、国内の統治が最大の課題の中国、資源開発と国内外の権力基盤の強化に忙しいロシア。
3カ国にとって朝鮮半島で対立することにメリットはありません。北朝鮮が管理可能になれば現状維持が望ましくなります。日米同盟を堅持する日本としては、発言力を維持するためにも積極的に関与するしかなくなるでしょう。
こうして21世紀の朝鮮戦争が幻想に近づくとともに、安倍政権の最大の存在理由は失われました。安倍前首相によく似た外交政策をかかげた麻生氏が総裁選で急失速し、アジアへの接近を唱える福田氏が優位に立ったのも分かります。

 安倍政権の浮沈の原因を、北朝鮮を巡る国際情勢の変化に求めるという切り口は意外に盲点でした。東アジアでの安全保障上の危機が本当に遠ざかったのかどうかはともかく、日本国民が肌で感じる脅威が薄まっているような雰囲気になっているのは確か。今後も北朝鮮の情勢いかんで日本の世論も右に行ったり戻ったりすることでしょう。

続いて、八幡和郎のニュース解説「時事解説」よりメモ。

八幡和郎のニュース解説「時事解説」
第109回 国会解散は憲法の与えた憲政の枠組みから外れるのではないか ~ 福田政権の誕生と「与野党逆転下でのあるべき政権運営 [ 平成19年09月27日 ]

 組閣については、「身体検査」の時間がない以上は仕方ないだろう。とりあえず、細い粗探しにマスコミが熱中している限りは、改造のメリットがあったとしても、どうせ何か出るミニ・スキャンダルで時間を空費するほどの値打ちがあるか疑問だからだ。
 もう少し福田色が出しやすい人事がほしかったが、とりあえず、留任でガス抜きをしておいて、早めの改造を待って動く方が回れば急げだと福田が考えたのか。いずれにせよ国民にとってはわかりにくい話だ。
ともかく、選挙期間中のインタビューや討論で、「いままだよく分かりませんから」を連発し、それで許されるのだから、不思議なことだ。

 だが、これまでも書いたように、もはや日本国民は民主主義に耐えられるだけ成熟しているのか疑問といってよいほど堕落している。
田中真紀子の漫談に乗せられて小泉を選び、郵政解散では与党に議席の3分の2以上を与え、拉致問題での勇ましいだけで見通しのない放言につられて安倍を首相に押し上げ、もともと無能なのが無能だと分かったら参議院選挙で大敗させ、政策も不明ならスタイルも昔の政治に戻りそうな福田を支持するといっためまぐるしい気まぐれである。
テレビでいい加減なコメンテーターが「安倍首相を選んだ自民党は国民に詫びなくては」とかいっていたが、自民党は国民が支持するから安倍を選んだのだ。 もはや日本国民が、本当に何をどうしたいのか、合理的に説明することは不可能である。そのときどきの気分で支離滅裂な方向を行ったり来たり政治をさせて、この国民は国をどうしたいのだろうか。
あげくのはては、与党と野党で哲学なくばらまきを競うことになりそうだ。
いつか書いたことがあるが、「国民は国政の主人であって、気楽な消費者ではない」はずなのだ。民主主義である以上は、国民が結果責任を甘受しなくてはならないのが当然なのだ。

世の中的には「政治家=悪、国民=善」というわかりやすい構図が受け容れられるが、「政治家」という特別なカテゴリーの日本人がいるわけではない。ダメな政治家は、日本国民のダメさを代表しているのだ、ということをすべての日本人が自覚しない限り良くはならないと思う(もちろん自分自身を棚に上げるつもりはありません)。上に引用した文章はかなり痛烈だけど、自分の感覚にはかなり近いものがあります。

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「猛スピードで母は」 長嶋 有

2007-09-29 23:33:32 | Books
猛スピードで母は (文春文庫)
長嶋 有
文藝春秋

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文学界新人賞受賞作「サイドカーに犬」と芥川賞受賞の「猛スピードで母は」の2編を収録。

2編いずれもヒロインの造形が素晴らしい。
「サイドカー…」では父の愛人・洋子さん、そして「猛スピード…」の母。
タイプは違うけど、どちらもダンディで、クール。

2編とも、一人称の主人公である小学生の目線で描かれているところも共通してます。
「サイドカー…」は明らかな回想形式であり、「猛スピード…」の方は現在進行形ではあるけど、思春期迎えるちょっと前の小学校高学年の年ごろになり、少しずつ「大人の世界」というか世の中のヒダヒダというか人間の業みたいなものを吸収していく年代の在りようをノスタルジックに感じさせてくれます。
「サイドカー…」の薫にしても「猛スピード…」の慎にしても、懸命に「空気を読み」ながら、それまで見えていた世界が刻々とその姿を変えていく様に追いついていこうとしていく心理、月並みな言葉で表現すれば「心の成長」が、たいへん繊細な筆致で表現されていて。

情景描写もなかなかよくって、なんだか染み入ります。
長嶋有は1972年生まれで自分と同い年であり、2つの小説の時代設定もおそらく自分が小学生だった1980年代前半を想定していると思われ(「パックマン」「ガンプラ」「百恵ちゃんの家」「クイズダービー」「ワーゲンを見ると幸福になるというジンクス」など)、その点でさらにノスタルジーをくすぐられた、というのもあるだろうけど、どちらもとっても素敵な小説で、とても気に入りました。
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哀川翔の買い物風景

2007-09-26 23:32:39 | Entertainment
今晩、テレビをつけていたら「銭金」のスペシャル番組をやっていて、何となく観ていたところ、東京グルメバスツアーみたいな企画で哀川翔が玉川高島屋内の酒屋さんの「酒かすアイス」を紹介していました。

数か月前、ヨメと玉川高島屋で買い物しているときに、プライベートで来ていた哀川翔に遭遇したことがあります。
午前中、開店直後の時間帯だったんだけど、おそらく息子さんと思われる中学生くらいの男の子を連れていて、その息子さんの洋服を選んでいる場面。
息子さんの服を選んでいるのにも関わらず、お父さんの方がものすごい集中力で真剣になっており、周囲に響き渡るような大きな声で「どんな感じのがいいんだ?」「もっとカジュアルな感じなのがよければ上の階の店に行った方がいいぞ!」などと息子さんに強烈に指示している姿を、微笑ましくチラ見してました。
テレビで見る姿のイメージそのまんまな感じで。
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「雪沼とその周辺」 堀江敏幸

2007-09-23 23:39:15 | Books
雪沼とその周辺 (新潮文庫 ほ 16-2)
堀江 敏幸
新潮社

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以前に読んだ「いつか王子駅で」がけっこう良かったので、新たに文庫化された堀江敏幸の小説を読んでみました。
本作は、王子のような実在の場所ではなく、「雪沼」という架空の場所とその周辺の町に暮らす人々を描いた7編の短編集。
7編はいずれも、不器用ながら誠実に生きている人々を主人公とし、彼ら彼女らが生きてきた人生を振り返りながら、今の日常の一こまが切り取られます。
登場人物たちの多くは、生まれも育ちもずっと雪沼というよりも、他の土地からふとした縁でこの地にやって来て住みついたり、一度都会に出ながら戻って来たりしながら雪沼周辺で今の生活を送っています。
個人的には、ただ”過去”を語るだけでなく、現在進行形で進んでいるエピソードとのバランスがうまく取られている「スタンス・ドット」「河岸段丘」の2編が気に入りました。

ややケレン味が無さ過ぎという感はありますが、登場人物たちに対する作者のまなざしがとにかく優しいので、「いつか王子駅で」同様読後感は清涼です。
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美容院で感じる成長

2007-09-23 23:11:12 | Diary
昨日に続いて家族で外出。
今日は表参道にある美容院へ。
この美容院、去年のちょうど今頃初めて行ってみてから約2ヶ月おきに通っているので、今回で6~7回目になるんですが、子供のいる家庭が訪れやすいよう配慮がされている店なんです。

店内にはおもちゃや子供向けビデオ、TVゲームなどがそろったキッズ・スペースがあり、そのスペース以外でも子供がどれだけ騒ごうが暴れようが寛大に受け入れてくれます。
中年男性の美容師さんが一人でやってるんですが、店内も広々して気兼ねなく駆け回れます。
前回、うちのコドモが小人の置物を落として割ってしまったんだけど、「最初は”七人の小人”だったのに、来られたお子さんが壊してだんだん減っていっちゃうんですよね~」と大らかに笑ってくれたし、今日もロッドやらカーラーやらをおもちゃにして遊んでいてもにこやかに対応してくれます。
ヨメと交代で髪をやってもらいながら、途中でおむつ替えしたりおやつを与えるためにうろうろするのも全くOK。
しかも「パパ割」というのがあって、父親同伴で行くと料金を割り引いてもらえます。
ホントに助かります。
っていうかこの店を知らなかったら、美容院に行くのもどんなに苦労しただろうか、と。

それから、定期的に同じ場所に通っているので、普段いっしょに生活しているとなかなか実感できないコドモの成長ぶりが、定点観測的によくわかります。
前は腹ばいにならないと降りられなかった段差を軽々と歩いて降りられるようになっていたり。
最初に行った頃は、交代でだっこしてないといけなかったのが、だんだん歩行器に乗って進めるようになり、歩けるようになり、今では目を離して雑誌を読んだりコーヒー飲んだりしててもひとりで遊んでくれてるようになっています。
今日は初めてコドモも本格的に散髪をしてもらったんですが、場所にも美容師さんにも慣れてることもあってか、まったく嫌がることもなく切ってもらっていました。
いやぁ成長したなあ。
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つわりも佳境?

2007-09-22 23:15:38 | Diary
ヨメとコドモが帰ってきて、3人の生活が再開して約一週間。
つわりはだんだん良くはなっているものの、ヨメはまだまだ苦しんでます。
食べられてるのでまだ良いんだけど、基本的には和食しか受け付けないようで。
その一方で、一人めのときほどではないみたいだけど、御飯が炊ける匂いはやっぱりダメみたい。
コドモは外出に連れてもらう機会が減ったりしてるにも関わらず、基本的にはイイコにしてくれてます。
陽気にしてくれてるので、ヨメも気が紛れていいと言ってます。
今週は会社からなるべく早く帰って、コドモを風呂に入れたり、洗濯など家事をサポートするようにしたんだけど、さすがに仕事との両立は体に堪える。
今日は午後、三人でたっぷり昼寝しちゃいました。

ま、ヨメも今日は暑い中バザー見学にも行けたし、もうしばらく辛抱すればつわりも治まってくれることでしょう。
今週の水曜に検診にいったところ、胎児は26㎜に成長。
順調です。
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バザーへ

2007-09-22 22:59:35 | Diary
今日は近所の幼稚園のバザーに行ってきました。
うちのコドモは現在1歳7か月ですが、早生まれなので、幼稚園に入るのは三年保育だとしても再来年。
このあたりでは幼稚園に入るのも簡単ではなく、人気のあるところは狭き門で、準備は早くするに越したことはない、という話をヨメが聞いてきて。
入園したいと思う幼稚園の公開行事(バザー・運動会など)には顔を出し、名前を書いてくることが入園を成功させるためには大切、なんだそうな。

幼稚園のバザーなんて、フリーマーケットに毛が生えたようなもんだろうなんて思って行ってみたら、とんでもない。
入場するのに50メートルくらい行列する大盛況。
中に入ってからもすごい人の数で、何を買うにも大行列、あっという間にソールドアウトしてる感じでした。
今日は夏のような暑さだったこともあり、入場するだけですっかり疲れてしまった我々夫婦は、売り物をほとんど見ることもなく、休憩所でお茶飲んですぐに退散。
コドモは遊具などの施設に興味津々で元気にはしゃいでたけど。
まあ、名前を書き残してくるという所期の目的は果たしてきたので…

これからこんな週末の過ごし方が増えそうだ。
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「幕末・維新」 井上勝生

2007-09-22 00:01:08 | Books
幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉 (岩波新書)
井上 勝生
岩波書店

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岩波新書「シリーズ日本近現代史」の1巻目。
先に5巻目の「満州事変から日中戦争へ」を読んだんですが、時代を遡って読み返してみようと思ったわけです。

かつて学生時代に日本史を学んだ際、この幕末、明治維新の時代は理解しにくいところがあった印象が残っています。
何がわかりにくかったかというと、薩摩・長州など西南雄藩の動き。
藩独自で外国と貿易などしていたかと思うと、尊王攘夷に転じ、明治維新が成ると一転開明的な政策の中心となる。
薩摩も長州も互いに敵として戦ったかと思うと、突如手を結ぶ。
このあたりに二転三転に頭が付いていかなかったりしました。

で、この本を読んで改めて学んでみると、攘夷だ開国だというイデオロギーなど本質ではなく、単なる権力闘争の道具だったのだな、ということが今更ながらよくわかりました。
大きな流れで言うと、彼らは徳川幕府を倒すことを目的に、天皇・朝廷や外敵の存在を利用していただけなんですね。
今の小沢一郎や鳩山由起夫がやってることとまったく変わらんなあ、という気がしました。

さて、作者の井上勝生氏は、この時代の政治・経済・社会史を概観しながら、つい最近まで常識として人口に膾炙していた「未開で弱腰の徳川幕府時代」「開明的な維新政府」という史観や、大日本帝国時代に支配的だった皇国史観が、維新政府によって「作り上げられた」ものであることを明らかにすることに注力しています。
例えば、「天皇家は万世一系」という考え方や紀元節・天長節などもこの時代に「新設」されたものであることなどが紹介されています。
その他、この時代の民衆社会がかなり成熟したものであったことなども紙面を割いて解説されており、こういった点は新鮮な知識として得ることができました。
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「農家切り捨て論のウソ」と食糧自給率

2007-09-21 23:31:24 | Politcs
今から2ヶ月ほど前、神門善久氏の「日本の食と農」という本を読み、このブログに感想も書きました。
その時期はちょうど先の参院選と重なっており、小沢民主党は公約として農家への戸別所得補償を掲げ地方の一人区で大勝利。
小泉改革で切り捨てられた地方の反逆などといった見方もされました。
こういった世の中の流れに対して、神門氏のような見識を持った人がどのような評価をするのかぜひ聞いたみたいな、と思ってたところ、日経ビジネス「NBonline」に「農家切り捨て論のウソ~小手先の保護政策が日本の農業を”自壊”に招く~」と題した神門氏へのインタビュー記事が掲載されていたので、飛びついて読んでみました。
(2ページ目以降を読むには無料の会員登録が必要です。)

予想通りに、というか予想以上の切れ味でばっさりと斬られています。
例えばこんな感じ・・・

マスコミは「零細農家イコール弱者」のような形で描きたがりますが、現実には彼らほど恵まれた人たちはいない。農地の固定資産税が軽減されているうえに、相続税もほとんどかかりません。たとえ“耕作放棄”をしていてもですよ。
そのうえ、農地を売却すれば大金を手にできる。「田んぼ1枚売って何千万円も儲けた」なんていう話はザラにある。

農家が望んでいるのは、小沢さんの所得補償政策のようなチッポケなお金ではありません。彼らが本当に求めているのは公共事業なんです。公共事業で道路などを作ってもらえれば、自分たちの田んぼや畑が高く売れるでしょう。

ところが、小泉(純一郎)さん以降の自民党政権は公共事業を大幅に削減してきた。農家にとっては、公共事業を通じて農地を高く売る機会がグンと減ってしまったわけです。この状況に農家は不満を持っている。だから、今回の選挙で民主党を勝たせることで自民党に揺さぶりをかけたのです。「自民党さん、このまま公共事業を減らし続けるなら、民主党に付いちゃいますよ」と。

基盤整備は本来、農業を良くするための公共事業です。ところが現実には、この例に限らず、事業の趣旨を履き違えている農家が多いのです。そもそも、公費で私有地を整備してもらった揚げ句、それを売って個人が儲けるというのは普通許されないでしょう。ところが、農業の世界ではそれが堂々とまかり通っているのです。これはほんの一例ですが、農家が公共事業を求める理由が分かるでしょう。

神門氏の見解が公平で真っ当なものなのか、それとも極端な見方なのか、全く知識のない自分には判断はつきません。
ただ、普通にマスコミが流している報道を見聞きしているだけではけっして触れる機会が訪れることのない貴重なスコープを与えてくれるものであることは確かだと思います。

ところで農業・食糧関連といえば、「日本の食糧自給率はあまりに低すぎるので国策としてこれを高めなければならない」という議論は絶対的に正しい命題として受け容れられてますが、自分にはわかるようでわからんというか、どうも腹に落ちないところがあったりします。
現状の日本の食糧自給率が例えば40%だったとして、農業振興でこれをがんばって高めれば100%を超える、というのであれば意味はあると思います。
鎖国したって食っていけるってことですから。
だけど、がんばって自給率を上げても50%、60%がせいぜい、ということだとするなら、自給率向上に力を注ぐことに意味があるのか疑問に思えてきてしまいます。
結局輸入食糧が無ければ立ち行かなくなるという状況は変わらないわけで。
そうだとすると、割り切ってしまって、輸入が安定的に供給されるよう国際関係を良好に保ち自由貿易を振興するという方向に路線転換する方がいいんじゃないか、というような気にもなってきます。
素人考えですが。
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総理大臣って…

2007-09-19 22:53:00 | Politcs
安倍首相が辞任表明してからちょうど一週間。
臨時代理を置くわけでもなく、入院してそのまんまみたいだけど、何事もなく日々は平穏に進んでいってる。
このタイミングで、大地震が起こるとか、どっかからミサイルが飛んでくるとか、トンデモナイことが起こったりしたら、どうなっちゃうのかねえ。
優秀な官僚機構がきちんと対応するから問題ないってことでしょうか。
そうなると総理大臣って何なの?って感じになってきます。
すっかり自民党総裁選の話題で持ちきりで、誰それが次の総理大臣になったら云々といった推測が流れている一方で、総理大臣という職がここまで軽んじられた状態が続いていることの矛盾、そしてそのことが世の中的にまったくスルーされていることが、なんだか不思議なことに思えてなりません。

さて、その総裁選、福田勝利は動かないところなんでしょうが、ここのところ安倍辞任は麻生&与謝野のクーデターだ、だの、そのことに嫌気がさして一気に麻生包囲網が形作られた、だの言われてますが、そんなことより自分にはこの麻生太郎という人がよくわかりません。
今回で総裁選に出るのは3回目だし、「安倍の次は麻生」と言われて久しいこともあり、総理大臣の椅子に対する並々ならぬ意欲があるのはわかるんだけど、客観的に考えて今の状況が総理大臣の「なりどき」ではないのは明らかなような気がします。
今、総理大臣になっても、やりたいこともやれず、衆参ねじれで手かせ足かせをはめられて苦しい政局運営を余儀なくされ、場合によっては早期解散に追い込まれて短命政権に終わってしまう可能性も大。
総理大臣になりたいと真剣に思っている人であればあるほど、今の時期に色気を見せるのは得策ではないような気がするんだけど。
結局、総理大臣になって何を為すか、よりも、総理大臣になること自体が目的ということなんでしょうか。
それとも小派閥の領袖としては、このチャンスを逃したら二度と好機は巡ってこない、とついつい勇み足してしまうんだろうか。
そもそもこの麻生という人、元ボスの河野洋平をはじめとしてハト派の多い宏池会に長年属していながらタカ派というのもよくわからんし、マスコミで取り上げられるのも、べらんめえ調だとか、漫画好きだとか、アキバで人気があるとか、政治家としての力量とまったく関係ない話ばかりで、どうもパッとしません。
そこいくと、福田康夫の方はもともと淡々として権力欲もさして無さそうなイメージで、年齢的にもそれほど先があるわけでもなし、こういう時期に出馬するというのも何と無くしっくりくるような気がします(だからといって別に福田支持というわけでもありませんが)。

なんだかよくわからんことばかりで、ちょっとどうでもいい気分になってきちゃいました…
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