そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

なんでもネタにする精神ってけっこう大切なのかもしれない、という話

2015-01-26 23:10:39 | Society
日本のTwitter民が、「#ISISクソコラグランプリ」のハッシュタグで、イスラム国による殺害予告動画を揶揄するコラ画像を競うネタで盛り上がっているという話。
この話を最初に知った時、不謹慎だとかそういうふうには感じなかったんだけど、なんだか平和ボケの極みだな、と思った。
そういうので盛り上がることができるのって、結局テロが遠い国で起こっている出来事で、自分たちは安全な場所にいるって思ってるからこそだよね。
自分なんて、こんな誰も読まない匿名ブログでも、イスラム国について触れるの、ちょっと怖さを感じたりするのだが。

ところが、この現象、欧米のメディアで肯定的に報じられてるんだそうだ。

イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価 -Nothing Ventured, Nothing Gained.

テロにユーモアで対抗するという誰もなし得なかったことをやっている、という評価。

なるほど、確かにそう言われればそうかもしれない。
ふざけて楽しんでいることで、結果的にテロリストたちを小馬鹿にしてその存在を貶めることにつながっているんだよね。
映画『ザ・インタビュー』の騒動とちょっと似てる。
まあ、もともとそんな志があったわけではなく、結果オーライであるのは間違いないが。

なんでもネタにして、笑い飛ばそうとする精神って、けっこう大切なのかもな、と自らの不明をちょっと確認してみたりした。
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アギーレ更迭を見送ったJFA

2015-01-24 19:35:28 | Sports
大仁会長が明言してるのでこのタイミングでのアギーレ監督交代は無くなった。
一方で告発受理が明らかになったところでの解任に含みを残した。
そんな微妙に延命することに意味があるのだろうか?
JFAが、告発受理されないことについて確実な情報を持っているなら話は別だが、さすがにそんなことはないだろう。

こうしてみると、かつてファルカンをあっさり更迭した川淵三郎は決断力があったのだなと改めて感じる。

繰り返すが、自分は、アギーレは優秀な監督だと思っているし、可能なら引き続き日本代表を率いてほしいと望んでいる。
が、交代するなら今のタイミングが最良だったと考えるのだ。
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ベスト8敗退、アギーレ体制はリセットすべきか

2015-01-24 00:11:13 | Sports
アギーレジャパン、アジア連覇ならず。UAEにPK戦で屈し準々決勝敗退(フットボールチャンネル) - goo ニュース

今日の試合、拙かった点。

・前半の日本の中盤、遠藤と香川が高いポジションに上がりすぎて、ワンボランチの長谷部の脇のスペースを狙われてしまった。そんな中での早い時間での失点。
・後半、柴崎を入れて中盤のバランスが取れ、UAEのペースが落ちたこともあり、日本のワンサイドゲームに。決定機はたくさん作ったのにとにかくシュートが入らない。誰が、というよりみんなが外していた。グループステージから見せていたゴール前での精度の低さが、これでもかというくらい出てしまった。
・中2日の厳しい日程でコンディションは良くなさそうだった。特に、岡崎と遠藤はこれまでの試合に比べて動きの重さが明らか。交代枠を使い切った延長前半立ち上がりの時間帯での長友の負傷も痛かった。
・PK戦では、大会通じてシュートを外しまくっていた本田、香川の両エースが失敗するという象徴的な結末。本田はまだしも、香川はドルトムントでの不調を引きずっており、かなり重症。

この一敗(というか引き分け)だけで断罪するのは酷だとは思うが、ライバルの韓国やオーストラリアが底力を見せて勝ち上がっているのをみると、やっぱり悔しい。

アギーレはよい監督だと思っているし、ベスト8敗退という結果だけで更迭するのは普通に考えたら性急すぎる。
また、八百長疑惑にしても現時点ではクロだと決まったわけではなく、それをもって解任するというのも賛成はできない。
ただ、その2つの事実が重なったこと、W杯予選が始まる前というタイミングを考慮すると、今の時点で監督交代してリスタートするというのもアリなのではないか。

選手についても、ほぼ同じメンバーで、ブラジルW杯、アジア大会と敗退が続いたことを考えると、新陳代謝を起こさせてチームを作り直すべき時だ。
少なくとも、遠藤や長谷部に多くを頼るチーム作りは終わらせた方がよい。
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『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン

2015-01-21 23:13:01 | Books
イエス・キリストは実在したのか?
Reza Aslan,白須 英子
文藝春秋


邦題がずいぶんとミスリードを誘うが、イエス・キリストが実在したか否かの検証本ではなく、聖書に描かれた救世主・イエスとは異なる実像を追究した本。
米国ではベストセラーになり、ずいぶんと物議を醸したらしいが、そりゃそうだろうな。

紀元1世紀のパレスチナはユダヤ人がローマ帝国の支配に抵抗した激動の時代。
その時代に人々を扇動した、貧民出身の過激な革命家がイエスであった。
イエスの死後、パウロらによる布教活動を経る中、ローマ帝国の中でキリスト教が宗教として成熟していく中で、史実が変容して書かれていくことにより新約聖書が成立した。
…というのが著者の解釈の本筋。
本編だけ読んでも、論拠があまり明確に論じられていない(巻末の膨大な参考資料を読めば違うのだろうが)ので、その解釈の正当性を判断することはまったくできないのだけれど。

前提となる基礎知識が乏しすぎて、著者が明らかにするイエス像に衝撃を受けるとまではいかなかったが、著者および訳者の流麗な文体も相俟って、イエス像とイエスが生きた時代感が鮮やかに展開し、新鮮さを覚えたというのが正直な印象。
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『あなたのための物語』 長谷敏司

2015-01-19 21:53:35 | Books
あなたのための物語
長谷敏司
早川書房


Kindle版にて読了。

SF小説の類いは滅多に読まないのだが、ひょんなことから手を出してみた一冊。
評判に違わぬ重厚感で、世界観の緻密さ、完成度の高さには感心する。

舞台はジョージ・オーウェルの『1984』からちょうど100年後の西暦2084年のシアトル。
ITPと呼ばれる人工的に神経伝達を作り出す言語を用いて仮想人格を商品化しようとしている企業の研究者である主人公サマンサは、ITP人格に小説を書かせるプロジェクトに取り組んでいた。
そんな折、彼女が不治の病で余命わずかであることが判る。
肉体と精神を蝕まれて苦しむ彼女は、ITP人格である《彼》に救いを求め、やがて特別な関係が生じていく…

クローン人間とは異なり、肉体を持たないITP人格と肉体を持つが故にそれを失う苦しみを味あわなければならない生身の人間。
人工的に同等の精神を備えることになった両者の対話を通じて、奇妙にも生命倫理の談義は深まっていく。

正直、その哲学対話は半分も理解できなかった、というか理解するのではなく対話の流れに身をまかせることで読んでいるこちらの思索も深まっていく感じ。
近未来の社会や風景の造型は、現代から受け継いでいるもの、飛躍的に発展しているものの描き分けが絶妙で、(月並みだが)ブレードランナー的な、或いは、攻殻機動隊的なリアリティが漂う。
ユートピアでもディストピアでもない未来に、複雑な魅力を感じる。
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IT産業は「G」なのか「L」なのか

2015-01-17 23:38:39 | Economics
昨日の記事(読書メモ)に関連して、思ったことを書いてみる。

IT産業は、一般的には「G」の世界だと思われていそうだけど、細かく分類してみると必ずしもそうでないように思う。

まず、IT機器の製造業とITサービス業を分けて考える必要がある。

IT機器製造業については間違いなく「G」である。
携帯電話やPCなどが一番わかりやすいが、最終製品メーカーだけでなく部品メーカーもグローバルな完全競争に晒されている。

一方、ITサービス業については、まずBtoCなのかBtoBなのかで違ってくる。

BtoCについてはけっこう「G」である。
お国柄による特色が無いわけではないが、AmazonやGoogle、Facebookを考えれば明らかなように容易に国境を越えてサービスが広がりやすい。

BtoBのITサービスについては、顧客となるマーケットが「G」なのか「L」なのかに依存する。
製造業のようなGの企業向けのITサービスには、グローバルなベストプラクティスが要求される。
ところが顧客自体が「L」の場合(銀行や官庁などが典型的)だと、案外合理性以外の情実や馴れ合い的な要素で仕事が取れちゃったりするもんなのだよな。
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『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略』 冨山和彦

2015-01-17 00:10:15 | Books
なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略 (PHP新書)
冨山 和彦
PHP研究所


Kindle版にて読了。

文科省の有識者会議で「G型大学」「L型大学」という概念を提唱して物議を醸した冨山氏ですが、そもそも氏のいう「G」と「L」の概念と意義がどんなものであるのかを解説した一冊。
非常にわかりやすいし、個人的には極めて合理的だと感じました。

・日本の経済・産業を捉える際、「景気がよくなると人手が不足し、景気が悪化すると人が余る」という昔ながらの製造業中心の考え方がいまだに「常識」としてまかり通っているが、社会の構造が変わり、これまでの「常識」が通用しなくなっている、というのが基本認識。
・今や日本経済の約7割をサービス業が占めており、その世界では「人類史上初」の少子高齢化起因による人手不足が常態化している。
・そして、サービス産業においては、世界で勝負するようなグローバル企業(「G」の世界)ではなく、各地域の小さなマーケットで勝負するローカル企業(「L」の世界)がほとんどを占める。
・グローバル化が進めば進むほど、GとLの分断は深くなり、両者の直接的な連関性は希薄になる。
・G企業が世界トップレベルの競争力を獲得し「稼ぐ力」を発揮して国際経常収支に貢献してくれることは極めて重要だが、G経済圏がどんなに好調でもそう簡単にL経済圏は潤わなくなっているのが事実。
・就業人口を考えれば、むしろL経済圏が豊かになることの方が国民経済的には重要であり、そのための処方箋はG経済圏の競争力強化に向けた処方箋とは全く異なるので、分けて考える必要がある。

・まず、Gの世界で生き残るのはチャンピオンだけであり、あまねく平均的な農家や中小企業などを保護・救済しようとするのは筋が違う。
・グローバル経済圏で勝負することは 、そういうことなのだと腹をくくるべきであり、必要とされるのは徹底的に競争力を鍛えるためのグローバルスダンダードな環境を用意すること。
・規制緩和も法人税率引き下げも、競争力のある企業を日本に囲い込むことを目的とする文脈の中で捉えられるべきであり、日本企業の競争力強化のための課税負担軽減という理屈で法人税引き下げを主張したりするのはナンセンスである。
・この世界ではもはや国籍は重要ではなく、サッカーで言えば、国別のワールドカップではなく、チャンピオンズリーグの優勝チームを日本のリーグから出そうという発想になる。

・一方、Lの世界のサービス産業は、グローバルな完全競争に晒されておらず、同一地域にいなければ競合関係にならない。
・またローカル経済圏の産業は、医療、介護、保育などの社会福祉サービス、教育、公共交通など 、何らかの公共性のあるサービスであることが多く、政府などがある種の介入をする規制市場 、官製市場にある程度ならざるを得ない。
・そのため、産業としての生産性、特に賃金に大きな影響を与える労働生産性は、規制のデザインや市場のデザインの巧拙に大きく影響を受けてしまう 。
・望ましい規制のあり方として、サービス業の最低賃金を引き上げることや労働監督や安全監督を強化することが考えられる。
・完全競争が働く製造業とは異なり、サービス業で最低賃金を引き上げても基本的に空洞化は起こらず、むしろ最低賃金を引き上げることで、生産性が低い会社は人を雇うことができなくなり市場からの退出を促すことができる。
・また、労働基準や安全基準を守らないブラック企業にはその順守を厳しく求めることで退出を迫るべきである。
・Lの世界に必要な施策は、生産性の低い企業を退出させ、新陳代謝を通じて全体の生産性を向上させることであり、すべての会社を潰さないことを求めるのは間違っている。
・人手不足を解消するために、女性や高齢者の就労率を上げたり、移民を増やしたりする前に、まずは生産性を上げることに取り組むべきである。

アベノミクスによる円安で輸出企業(製造業)の業績が向上していても、あるいは、求人数が改善して飲食業やコンビニなど流通業の現場で時給を上げてもなかなかいくらバイトが集まらないくらい人手不足が深刻化していても、日本経済全体の景況感が好転した感じがどうも広がらないのも、このGとLの峻別理論でよく説明することができるのではないかと思います。
アベノミクスの「三本の矢」のうち第三の矢である成長戦略についても基本的にGの世界を対象にした発想であるがために、世の中の大部分を占めるLの世界に生きる人々にしてみるとどこか的外れのように感じられてしまうのではないかと。
逆に、冨山氏がLの世界への処方箋として上げている、最低賃金の引き上げやブラック企業に厳しい労働・安全基準を課すという施策は、世間一般の感覚にも合っている。

Gの世界とLの世界が分断されているというのも感覚としてよく分かる。
海外のM&Aなど華々しくグローバルに打って出ていく一方で、収益の大半は昔ながらのLの世界での事業で地道に生み出している、という企業も多いのではないか(うちの会社もまさにそんな感じ)。

ということで、冨山氏の主張は非常に合理的で実態に即していると思うのですが、この考え方で各種政策を進める上での一番の障壁は、上述の「分断」を国民感情的に受け容れられるかどうかにかかっていると思う。
氏に言わせればGが偉いとかLが偉いとか上下関係があるわけではない、ということだろうが、「一億総中流」意識に慣れた世間からすると、どうしても「G」は一部のエリートの世界で「L」はその他大勢、といった階級意識を以って受け止められてしまいがち。
「G大学」「L大学」への反発もその意識から来ていると思うし、その障壁を国民感情として乗り越えるためには、実態として誰しもがGにもLにも進むことができる間口の広い社会を設計できるかが大きなポイントになるのだろう。
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『アジアの戦い』の感覚が蘇る

2015-01-13 23:43:47 | Sports
ブラジルW杯のアジア予選が終わって以降、日本代表の国際試合もW杯モードで欧州や中南米・アフリカの強豪国との対戦中心になったので、「アジアの戦い」もずいぶん久しぶりに感じる。
今大会の初戦は、これまで飽きるほど対戦したバーレーンやオマーンやヨルダンではなく、あのパレスチナであるという点は少々新鮮だったけど。

正直強い相手でなかったね。
落ち着いてコースを狙ったミドルシュートによる先取点は、さすが遠藤!とは思ったけど、そこに至る場面を振り返ると、森重からのなんの変哲も無いビルドアップの縦パスを受けた乾が、横にいる遠藤にごく普通に繋いだらパレスチナのバイタルの守備がスカスカだったり。

ザック日本の時とほぼ変わらぬ顔ぶれのメンバーとはいえ、前半はサイドを広く使って長短のパスを早めに展開して、日本代表のサッカーも変わったなというイメージを抱かされたけど、後半早々4点目を取って以降、停滞してしまった。
(しかし、清武はハノーファーで覚醒したかと思ったら、代表に来ると以前通りの感じに戻っちゃうなあ)

回しても回してもシュートチャンスを作れない、低い精度のクロス、敵のラフプレー、ゲームをコントロールできない審判のクオリティ、カウンターやセットプレーの一発に脅かされる危うい守備、等々。
これまで散々してきた「アジアの戦い」のいやーな記憶が蘇る。
岡崎は相変わらず元気なので、本田や香川が大会の中でだんだん調子を上げていってくれれば違いを見せてくれると信じたいが。
次のイラク戦以降、苦労しそうな予感がするなぁ。
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テロが起きているのはフランスだけではない

2015-01-12 14:30:16 | Society
7日に起きたパリの週刊紙出版社襲撃テロについては、その後同一犯による人質籠城事件での襲撃戦による犯人の射殺、人質の犠牲、そして言論の自由を求める民衆による「フランス史上最大」デモなど、大きな動きになっている。
地理的な遠さもあり、つい他人事のように感じてしまう日本人の一人として、こうした動きを注視することの意義を改めて噛みしめないといけないと感じている。

が、その一方で、テロの犠牲者が生まれているのはフランスだけではない事実を認識することも重要だ。
週刊紙襲撃事件があったのと同じ7日には、イエメンの首都サヌアの警察学校で自爆テロがあり少なくとも30名以上が死亡。
10日にはレバノンのカフェで9人が犠牲になる自爆テロ事件があり、アルカイダが犯行声明を出している。
そしてナイジェリアでは女児に爆弾を装着させて自爆テロを起こさせるという許しがたい残虐な事件が相次いでいるという。

先進国に住む我々からすると、中東やアフリカでの事件には悪い意味で慣れてしまい、反応する感覚が麻痺していることが否定できない。
フランスの事件ばかりにフォーカスが当たるが、中東やアフリカに暮らす人々からはまったく異なる見え方をしていることをよく認識しなければならないと思う。
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恵まれた環境を「壊す」ということ

2015-01-04 23:20:54 | Diary
9連休という、久々に大型な正月休みもついに終り、明日から出勤。

昨年の元旦に、2014年の個人的テーマとして、「変化を先読みし、楽しみ、チャレンジする」というようなことを書いたが、そういう抽象的な目標を掲げてしまうと達成できたんだからできなかったんだか判然としなくていかんね。
(まあ、判る必要もないといえばないのだが)

しかしまあ、変化だとかチャレンジだとか、贔屓目に見ても実行できなかったな、というのが正直なところ。
家庭も仕事も概ね順調で、2014年は個人的には大過なく過ごした一年だった。

家庭では、コドモたちがさらに成長してだいぶ手がかからなくなる一方、まだかわいさもあり、一番よい時期と言えるのだろう。
これからコドモたちが思春期を迎えて進路の問題が出てきたり、親がますます老いてきたりすると悩み事も多くなってくるんだとは思っているが。

仕事の面でも大きなトラブルもなく順調、周囲の人たちにも引き続き恵まれている。
ただ、順調であるがゆえに、その恵まれた環境に安住してしまっている感はある。

今更ながら自己認識したのだが、自分は周囲の人たちとよい関係を築いて心地よい環境に身を置くのが比較的得意なタイプの人間なのかもしれない。
そろそろ43年になる人生を振り返ってみても、中高の6年間を除けば、殆ど周囲の人間関係でストレスを感じたことがない。
それはたまたま周囲の人に恵まれたという面はあるだろうが、嗅覚が働いて自らそういう環境を無意識に選択する傾向があるのではないかとも思う。
これは良し悪しあって、安らかに日々を過ごせる一方で、その心地よさに安住して抜け出せなくなるというリスクも孕んでいる。
今の状況を維持したいという保守的な感情がどうしても働いて、思い切って現状を断ち切ることができないのだよね。
そんなのは贅沢な悩みだとわかってはいるが、人生折り返しを過ぎようとしている地点にいると、もう一回チャレンジする機会を喪ってしまう恐怖心もあったりする。

「変わる」ために、恵まれた環境を良い意味で「壊す」ということも意識しなければならないな、と思う2015年の年頭である。
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