そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『年収は「住むところ」で決まる』 エンリコ・モレッティ

2015-03-30 17:43:28 | Books
年収は「住むところ」で決まる ─ 雇用とイノベーションの都市経済学
エンリコ・モレッティ,池村 千秋,安田 洋祐(解説)
プレジデント社


Kindle版にて読了。

最近読んだ、冨山和彦氏の『なぜローカル経済から日本は甦るのか』タイラー・コーエン氏の『大格差』と基本的には同じ路線で社会の変化を論じている。

IT化の進展やグローバル化の拡大により、先進国の社会・経済において、従来多くの雇用機会を提供し、中間層の形成を支えてきた製造業のプレゼンスが下降している。
その共通認識のもと、冨山氏の著作では、製造業に替わってローカル経済の雇用を吸収しているサービス業の生産性や労働環境をいかに向上させるかを論じており、また、コーエン氏の著作では、中間層が喪失していく中で生まれる格差に着目し、どのような人材が格差社会の上位層となるのか、また下位層の人々の暮らしがどうなっていのかを分析・予測している。

本著では、イタリア生まれの経済学者であるエンリコ・モレッティが、上述した社会の変化が「都市間の格差」を生み出す現象に着目している。
かつて、自動車産業など製造業を中心に繁栄したデトロイト、クリーブランド、ピッツバーグなどの諸都市が没落し、イノベーション産業の集積地としてシリコンバレー、オースティン、シアトル、サンディエゴなどの諸都市が繁栄を極めている。
ここでいう「イノベーション産業」には、サイエンスとエンジニアリングに関わる業種に加え、エンターテインメント、工業デザイン、マーケティング、金融といった産業の一部も含まれている。
そして、本著の邦題にもある通り、それら都市間の格差が、その都市に住む人々の収入の多寡として顕在化していることをリサーチ結果をもとに示しているのである。

冨山氏やコーエン氏が、グローバル化したイノベーション産業に従事する高収入の上位層の所得増が、下位層へとトリクルダウンすることに、どちらかというと否定的だった(ように感じられた)のに対し、モレッティ氏は、イノベーション産業が盛んになった都市ではそれに直接従事する人々以外の層にも経済的に好影響をもたらすと主張している。
そもそもイノベ ーションの世界では、人件費やオフィス賃料以上に、生産性と創造性が重要な意味をもっており、厚みのある労働市場(高度な技能をもった働き手が大勢いる )、多くの専門のサービス業者の存在、知識の伝播という三つの恩恵を得るために企業・産業の集積が進みやすい。
そして、イノベーション産業は、いまだに労働集約的性格が強い性格をもっており、製造業よりも多くの雇用を生み出す。
一方で、いったん集積地が確立されると、ほかの土地に移動させるのが難しいということになる。
都市の繁栄には「経路依存性」があるのだ。

問題なのは 、雇用の消滅が幅広い地域で起きるのに対し 、雇用の創出がいくつかの地域に集中してしまうことだ。
すなわち、トリクルダウンを肯定してはいるものの、それは限られた都市でしか起こらないということ。
基本的な認識は、冨山氏やコーエン氏と共通しているのである。

本著は主に米国を題材にして語られているが、当然同じことが日本にも当てはまるだろう。
長期的な人口減少が間違いなく予測されている分、生き残る都市、消滅する都市に二分されていく傾向に今後ますます拍車がかかるのは明らか。
「地方創生」が提唱されているが、そのような厳しいリアリティに直面することを避ける議論しかされていないことが気になるところである。


なお、本筋とは直接関わらないが、一点興味深い考察があったので、以下メモ(引用)しておく。

・途上国は人件費が安いので、アメリカに比べて工場で人力に頼る傾向が強く、機械の使用が比較的少ない。その結果、途上国の工場は、状況の突然の変化に柔軟に対応しやすいという強みをもっている。「中国はコストが安いというイメージが強いが、本当の強みはスピードだ」と、中国でビジネスをおこなっているアメリカ人実業家は最近述べている。
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『明治維新 1858-1881』 坂野潤治、大野健一

2015-03-03 23:41:10 | Books
明治維新 1858-1881 (講談社現代新書)
坂野潤治,大野健一
講談社


際限のない闘争として眼に映じる幕末維新期のわかりにくさは、本書が提供する評価基準をもってとらえなおせば、それは当時の日本政治の弱点ではなく、むしろ世界史にほとんど類を見ない長所として浮かび上がってくるのである。我々はこれを政治の「柔構造 」と名づけた。


形式論ではなく、グローバル化圧力に対処せんとする後発国の努力の歴史という観点から時代を区分するとき、1858年までを開国以前、1858~81年を開国の衝撃を受けての変革期、それ以降を実践期ととらえた方が論理的に明快なのである。


明治革命は、複数目標 ─ ─大きく分ければ幕末の「富国強兵 」と「公議輿論 」の二目標、細かく分ければ「富国 」と「強兵 」と「議会 」と「憲法 」の四目標 ─ ─の並立的競合、リーダー間の合従連衡 (たとえば薩長同盟や薩土盟約 )、およびリーダーたちによる目標の優先順位の自由な変更(「富国強兵 」の重視から「公議輿論 」の重視への変更、あるいはその逆の変更 )を通じて達成された。


明治維新期における各プレーヤーの行動原理のわかりにくさ、捉えがたさについては以前にも言及したことがあるが、上に引用したような本書による解釈の仕方を補助線として引いてみると、だいぶすっきりする。
もちろん本書の見方も、数ある解釈方法の一つでしかないのだろうが、特に「富国強兵」「公議輿論」という2つのイデオロギーを4つに分解するという思考方法は目から鱗であった。

そして、著者たちはそれら入り組んだイデオロギーの均衡を「柔構造」と呼び、積極的な意義を見出している。
また、第二部では西南雄藩のそれぞれを、その「柔構造」性において比較し、柔構造性を備えながら指導部の安定性・可変性にも恵まれていたのが薩摩藩であり、指導部の安定性・可変性には優れていたが柔構造は欠いていたのが長州藩、いずれの面でも劣っていたのが肥前藩、といった評価を与えている。
(長州藩を、王政復古を境に「尊王攘夷 」から「開国進取 」に一変した、節操なき近代日本像の象徴としてみているのが面白い。)

その他、明治政府成立後においても、
・大久保の殖産興業路線や木戸の憲法制定構想の大きな障害になったのは、1873年の征韓論分裂よりもむしろ、翌74年の台湾出兵であった。前者は明治政府内部での権力争いのレベルにとどまった事件であったが、後者は陸海軍の出動と財政負担をともなう実際の軍事行動であった。
・大久保にとっては「富国 」が「強兵 」に優先する課題だったのであり、幕末に藩レベルで追求された強兵目的の富国論とは正反対の立場 ─ ─富国のための強兵抑制 ─ ─を大久保は主張しはじめた。
・1880年11月の 「工場払下概則 」の制定と 、翌81年の「松方財政 」の開始によって殖産興業政策は幕を閉じた 。前者は、鉄道のような大規模な投資案件や軍需工廠をのぞいて、政府は企業経営から手を引くことを明言した点で 、大久保が構想した殖産興業の終焉を告げるものであり、後者は、幕末の封建商社や明治前期の内務省の通商産業政策の大前提であった積極財政の中止を断行したものであった。
…など、興味深い解釈が目白押しで、単なる出来事の羅列ではない、激動期の歴史の流れを捉え直すことができて楽しい。

最後に、本書のまとめとなる一節を引用しておく。

本書の第一部と第二部で明らかにしたのは、幕末維新期(1858~1881年 )の変革指導者たちの三重の柔構造である。彼らは国家目標を、たとえば「富国強兵 」一本に絞らず、いつも複数の目標を視野に収めていた。また彼らは、自分たちのグループだけで権力を握ろうとはせず、いつも競争相手との合従連衡に努めていた。さらに彼ら自身も、どこにホンネがあるのか疑わしくなるほどの柔軟性を身につけていた。このような「柔構造 」的な指導部に率いられて、19世紀後半の日本は、比較的に民主的で、比較的に豊かで、比較的に強い近代国家に生まれ変わったのである。
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