そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

Farewell, 2013

2013-12-31 16:17:31 | Diary
2013年はどんな年だったと云えるのだろう。
多くの事件、事故、災害があったけど、後世の教科書に載るほどの大きな出来事はなかったような。
日本での最大のニュースは東京五輪開催決定ということになるだろうし、経済は総じて堅調だったし。
そういう意味では比較的穏やかな一年であったと云えるのかもしれない。

が、これは嵐の前の静けさなのかもしれないという気もする。
特に東アジアの情勢は、良くも悪くも大きな変動に向かっていくのは不可避だろう。
どうなるかは誰にもわからんけどね。

個人的には、年の始めに「楽しみながら勝負したい」と宣言した通り、概ね満足のいく一年にすることができました。
初めての家族での海外旅行、ジョギングと食事改善による減量、英語…勝負、とまではいかないけど、いろいろと楽しいチャレンジができた。
仕事面でもようやく自分なりのマネジメントの仕方が確立できた手応えがあり、社会人になって最も充実した時間を過ごせているように思う。

それもこれも、コドモたちが成長して少しずつ手を離れつつあることの影響が大きいかもしれない。
まだ手離れしたという感じでは全然ないけど、自分自身にリソースを割く余地が段々拡大している。
まあでも、そうなったらそうなったで悩ましいことも増えていくのかもしれないけどね。

世の中も、自分自身の人生も、ますます激動していく予感。
変化を楽しんで生きていくこととしよう。
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参拝雑感2

2013-12-29 21:33:28 | Politcs
少し時間が経ったので。

"disappointed" と表明したアメリカも、その後は態度硬化をエスカレートすることもないようで。
その点では官邸は見えるところ見えないところで割とうまく後処理を進めているのかな、と。

中韓(特に中国)は、また突如なタイミングで報復的なことをやってくるのだろうけど、今のところはおとなしい。
そういう点ではタイミングは悪くなかったということなのだろう。

まあ、相手の嫌がることをやるというのは外交の定石だし、直後に比べれば評価を少し上げています。

でも、参拝することで何を得られるのか、という点は相変わらず理解に苦しむのだよな。
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参拝雑感

2013-12-27 08:11:45 | Politcs
誰がいつ何処にお参りしようが自由。
これが基本。

ただし、人には社会的役割というものがある。
いくら間違っていなくても、周囲が正しいと認めなければ、その正しさは発露しない。

「国のために戦い、倒れた方々に対し、手を合わせ、尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りするのは当然だ」
亡くなった方に対して手を合わせるのは当たり前の感覚。
それは国のために戦おうが戦うまいが変わらない。
「当然」と思う人を否定しないが、そう思わない人を否定しないことも同時に必要なこと。

いずれにしても、参拝した事実は取り消されることはないので、後処理をどれだけうまくできるかどうか。
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『何者』 朝井リョウ

2013-12-18 22:54:19 | Books
何者
朝井 リョウ
新潮社


一言で評せば「他愛ない」。
別につまらないわけではないんだけどね。
2010年代始めの、この時代を切り取った、それ以上でもそれ以下でもない感じ。

「光太郎」の造型はなんだかベタで古臭い。
「理香」が「宅人」に言葉を浴びせるクライマックスは高揚感はあるが、そんな鋭い言葉を繰り出すことができる人間が、ここまでブザマな就職活動するかね?という違和感がどうにも引っかかった。

少しずつ何かがズレてて、ピンとこない。
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『ゼロ』 堀江貴文

2013-12-16 20:48:32 | Books
ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく
堀江 貴文
ダイヤモンド社


Kindle版にて読了。

堀江さんとは同い年だし、家庭環境は全然違うものの大学までの経歴も似ているところがある(中高一貫の男子校出身のところも含めて)。
この本に書かれた彼の考え方にも共感するところが多い。
(けっして、この本で彼に対する印象が変わった、というわけではない。)

特に、子供のころに戻りたいという気持ちがさっぱり理解できない、というところは完全に同じ感覚。
自由と責任は必ずセットになっている、責任を背負うから自由でいられる、というのは全くもってその通りだと思う。

「親元を離れる」とは精神的なものであり、親に反対されるか、心配されるかが気になるのは自立しきっていない証拠だというのも至言。

しかしながら、堀江さんと自分では歩んでいる人生の様相が全く異なる。
彼我を隔てている違いはなんなのだろうかと考えさせられた。

やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。

ここなんだろうな。

自分自身、能動的に人生を選択してきたという自負はある。
が、それは結局、その時点の環境条件の中で選択可能なものを選んできたに過ぎない気がする。
何か物事を示されて、それをやりたいのかやりたくないのかについての意思表示や決断をすることはできるが、自分自身で選択肢を創ってはこなかった。
というか、彼ほどには、自分が「何をやりたいのか」が判っていないのだ。

「今」に満足してしまえば、人生が広がっていくことはない。
それをどう考えるかだ。
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『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイアモンド

2013-12-14 21:13:52 | Books
銃・病原菌・鉄 上巻
ジャレド・ダイアモンド
草思社


銃・病原菌・鉄 下巻
ジャレド・ダイアモンド
草思社


Kindle版にて読了。

今から700万年前にアフリカ大陸に誕生した人類が地球上のあらゆる地域に居住地域を広げ現在の在りように至る過程で起きた事象。
文明の偏在と大陸間格差、その結果として、西ユーラシア大陸(欧州)の白色人種が、南北アメリカ、オセアニア、南アフリカを「征服」し、原住民を追いやったという事実がもたらされた要因はどこにあるのか。
この疑問に対する答えを探っていく。

「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない。」
それが著者が出した答えです。

大著でたいへんな読み応えではありますが、短くまとめてしまえば非常にシンプルなロジックが繰り返されているだけとも言えます。
そういう意味ではいささか冗長な感じは否めませんが。

ここで言われている「環境の差異」とは、
・栽培化や家畜化の候補となり得る動植物種の分布状況
・地形と気候、大陸の広がりが東西方向か南北方向か(文化や技術の伝播のしやすさ)
といった事項です。

何よりポイントなのは「食料生産を始めることができたかどうか」。
そのために動植物種の分布状況や地形や気候が決定的に重要なファクターとなります。

で、食料生産を始めることで余剰生産力が生まれる。
余剰生産力が生まれることで、文字や技術を発達させる人材を養ったり、より高度に文化した社会構造を構築したりすることができ、技術力や軍事力を高めることが可能となる。

また、家畜を飼うことは食料生産力を高めるだけでなく、家畜由来の伝染病への免疫を持つことに繋がり、また輸送力や軍事力を向上させることにもなる。

こららの条件の違いが、征服する側と征服される側を隔てる大きな分水嶺になった。
よく知られているようにインカやマヤが滅びたのは軍事的に駆逐されただけではなく、西洋人が持ち込んだ伝染病で全滅したからなのです。

違ったのは環境であり、人種間に優劣はない、という点ではリベラルな立ち位置と言えるのかもしれませんが、こういう価値中立的な視点で整理していく切り口は個人的には好みではあります。

個別のトピックとして、興味深く感じたものを以下に挙げておきます。

(遺伝と食料生産)
・人間が食料として栽培するのに都合のよい形質を持った突然変異種(例えば種子がはじけてばら撒かれる仕掛けを持たない個体など)の個体を採集し続けることにより、その形質が遺伝した種を栽培種の原種とすることができた。
・中東の肥沃三角地帯では、自殖性植物(他家受粉で有用な特性が一代限りで終わることがない)の割合が高かったことが栽培種の遺伝をコントロールのしやすかった。

(発明の本質)
・功績が認められている発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け容れられるようになったタイミングで、既存の技術を(たまたま運よく)改良して提供できた人のことだと言うこともできる。
・人類の科学技術史とは自己触媒のプロセスである。伝播することにより改良が加えられ発達する。発明の伝播は発明自体よりも潜在的に重要なのである。

(中国の特殊性)
・中国では、地域の地理的結びつきが強すぎたがために却って、一人の支配者の決定が全国の技術革新の流れを止めてしまうことがしばしば起こった。これは、権力が常に分裂状態にあったヨーロッパで競争原理が働いたことと対照的である。
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『日本兵を殺した父』 デール・マハリッジ

2013-12-01 21:45:44 | Books
日本兵を殺した父: ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦と元兵士たち
Dale Maharidge,藤井 留美
原書房


衝撃的なのはタイトルだけではない。

著者の父、スティーヴ・マハリッジは太平洋戦争で海兵隊に従軍し、グアムと沖縄で激戦を戦いました。
戦後、復員して家族を儲けますが、日常生活においても突如激しい怒りが爆発することがしばしばあったことを著者は振り返ります。
戦争から半世紀以上が経ち、父の死を契機にして、著者は父がずっと仕事場に飾っていた戦友の写真を手掛かりに、当時同じ中隊に所属していた嘗ての兵士たちを探してコンタクトを取ることにより、沖縄で何が起こったのか、写真に映った戦友がどのように死んだのか、激烈な真相に迫っていくのです。

12名の元海兵隊員へのインタビューを綴った章こそが本著のクライマックス。
読んでいると、何だか重いものが胃のあたりに渦巻いてくる気分になります。
20歳そこそこで生き地獄に身を置き、その場で生命を落としてもなんら不思議のない体験をしながら、その後60年以上も生きながらえた彼らの口から出てくる体験談のなんと重いこと。

そしてまた驚くのは彼らが語る描写の精緻さ。
半世紀以上前の出来事をここまで生々しく語ることができるのかと驚かされます。
もちろん現在においてその信憑性を詳らかに検証する術はないのですが、戦後全く交流の無かった複数の人物が同じ内容を語り、また著者がその後沖縄を訪れて変わり果てた風景の中に幾つかの遺構を見つけることでその確かさが確認されるのです。
彼らが被った身体と心の傷の深さがどれだけのものだったのか思い知らされます。
そして彼らは例外なくその後遺症に一生付きまとわれることになりました。著者の父親がそうだったように。

沖縄戦というのは人類が歴史上経験した殺し合いの中で最も苛烈なものの一つなのかもしれません。
兵器や武器のレベルという点でも、夥しい数の市民が巻き込まれたという点でも。
彼ら海兵隊員、また日本兵にしたって、職業軍人というよりも殆ど一般市民に近い存在だったわけで。

これを読んで、やっぱり戦争なんて絶対やってはいけないものだなと改めて思うと同時に、限界を超えた状況において露わになる、人間という生き物が本来的に有している残酷さや生の儚さに思いを至らさざるを得なくなります。
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