そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『世界の果てのこどもたち 中脇初枝

2016-07-31 21:16:49 | Books
世界の果てのこどもたち
中脇 初枝
講談社


昭和50年代後半、中国残留孤児の訪日調査が行われ、その結果身元が判明して親族と肩を抱き合って泣く姿をニュースなどでよく見た。
当時小学生だった自分には、はるか昔の遠い世界の出来事にしか感じられなかった。
それから30年の時が流れ、自分自身が当時来日した残留孤児たちと同年代になってみると、また捉え方が変わってくる。
40歳代からみた30年前というのは実はさほど昔のことではない。
ところが、残留孤児たちは、実の父母家族と離れ離れの運命を辿り、自身が日本人であったことの記憶も失い、かつては喋っていたはずの母国語も話せなくなっていたのだ。

この小説の主人公である3人の女性のうち1人は、まさにそのような運命を生きた人物である。
満州で、それなりに豊かで穏やかな暮らしをしていた一家の境遇は、敗戦とともに一気に過酷なものへと暗転する。
このあたりの描写はドキュメンタリーか何かで知ってはいたが、その壮絶さは筆舌に尽くしがたい。
本当の意味での戦争の悲惨さ、人間という生き物が生来有している残虐さを思い知ることになる。

人間の残酷な本性という点では、3人のうちのもう1人、大空襲で戦争孤児となる横浜の少女のエピソードも哀しい。
空襲前まで、かなり豊かな家庭で、天真爛漫に育っていた様子が窺えるだけに、そのギャップに切なさが募る。

残り1人、在日朝鮮人として戦後を生きることになる女性と合わせて、3人が、大雨で行方不明となる中おにぎりを分け合った幼き日の記憶を胸に抱きながら、戦後を生き抜き、再会するまでが描かれる。
戦後のパートは駆け足で駆け抜けるが、そのペースこそが、生き延びるために懸命であった3人の人生を力強く表しているようにも思われる。

力作。
戦争と戦後を考えるには、秀逸な教材となり得る小説だと思う。
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『バラカ』 桐野夏生

2016-07-27 22:22:31 | Books
バラカ
桐野 夏生
集英社


大震災、原発事故から間もない2011年に連載が始まっただけに、生々しい手触りがある。

ただし、ここで「生々しい」と言うのは、小説に描かれる原発事故後の世界にリアリティがあるという意味ではなく、破滅的な妄想が渦巻いていた当時の空気が小説に反映されている、という意味での生々しさ。
荒唐無稽なディストピア小説として、世界観は悪くないが、粗い。
登場人物たちの繋がりの、あまりにあまりなご都合主義にはちょっと呆れてしまう。

大学時代の友人関係にある2人の女性がバブル世代的な性悪さを象徴しているあたりは、敢えてのキャラ造型だとは思うが、どうもB級感が漂う。
『夜また夜の深い夜』もそうだったが、最近の桐野作品は、B級世界に女の情念みたいのが重ねられて、なんだかねっとりした肌触りがする。
しかもどこか説教くさい。
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『ザ・プラットフォーム』 尾原和啓

2016-07-25 22:54:55 | Books
ザ・プラットフォーム―IT企業はなぜ世界を変えるのか? (NHK出版新書 463)
尾原 和啓
NHK出版


Kindle版にて読了。

著者の言葉を借りると、プラットフォームとは以下のように定義される。

個人や企業などのプレイヤ ーが参加することではじめて価値を持ち、また参加者が増えれば増えるほど価値が増幅する、主にIT企業が展開するインタ ーネットサ ービスを指します。少し専門的に言い換えれば、ある財やサ ービスの利用者が増加すると、その利便性や効用が増加する「ネットワ ーク外部性」がはたらくインターネットサービスです。


iモ ード事業立ち上げ支援、リクル ート、Google、楽天などの新規事業企画などに携わってきたという”華麗なる”経歴を誇る著者(年齢は自分と2歳しか違わないが)。
本書の前半では、世界を牛耳るプラットフォーム企業である、Google、Apple、Facebookの目指す「共有価値観」について解説されるが、より強く関心を惹かれたのは「日本型プラットフォーム」についてのほう。

例えば、リクルートの「配電盤モデル」。
「ゼクシィ」に代表されるように、企業(B)と顧客(C)の両方をバランスよく増やしていくループを基本に、「幅」と「質」のループを加えていく。

また、爆発的普及期のiモードが参加企業側のアシストをした「健全な保護主義」。
新機能を使ったサ ービスの市場が形成されるまで、リスクをとってサービスを開発してくれたコンテンツプロバイダーを優遇する(保護する)施策をとっていた。

いずれも、企業側(B)の支援に強いという日本型プラットフォームの特徴をよく示す事例。

別の観点では、一大ブームとなった初期のミクシィのラダー設計。
ラダ ーとは「はしご」。
ミクシィというサ ービスを使うにあたり、ユーザーがはしごをのぼるように、最初は気軽に行えることからはじめてもらい、徐々にプラットフォーム運営者が望む行動をしてもらうように自然に誘うこと。
このラダー設計がよくできていた。

…といったあたりはプラットフォームを成功させるためのポイントをよく捉えていると思う。

個人的に、プラットフォーム・ビジネスには馴染み深いので、新たな知見を得られたというほどでもないのだが、プラットフォームのポジションを得たプレーヤーこそが強い、というのって案外世の中でちゃんと理解されていないのだよな。

世間を揺るがしているポケモンGO、はたしてプラットフォームとなり得るかどうか。。
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