そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『わたしがいなかった街で』 柴崎友香

2012-08-29 23:01:01 | Books
わたしがいなかった街で
柴崎 友香
新潮社


バツイチ子無しのアラフォー派遣社員、親元に戻ろうと思えば戻れるが、東京での一人暮らしを続けている。
主人公の女性の造形は、その友人たちの在りようと合わせて、この2010年代の日本で急速にその数を増やしているタイプの人物像を的確に描いているように感じます。

そんな主人公・砂羽ですが、一方でその脳裏には不連続に「戦争」のイメージが登場します。
戦時中の海野十三による日記、ユーゴ内戦のドキュメンタリー、広島で被爆を免れた祖父、大阪環状線・京橋駅の空襲跡…

平凡な現代の日常生活を舞台にしていながら、この今まさに日常を生きているこの場所が、かつては「戦争」の直撃を受けていた場所と同一の地点であり、また、そうした「戦争」が日常である世界と入れ替わっていてもおかしくない隣りあわせにある、という感覚。

自分、比較的こういう感覚を日常的に感じるほうなので、けっこう共感を憶えます。
砂羽のようにその感覚を周囲の人に大っぴらに披歴して変わりもの扱いされることはないですが…

祖父が広島で被爆していたら命を受けることもなかった、という実感を抱いている砂羽が、おそらくこのまま子を産むことなくその血筋を絶やそうとしている、という感覚。
或いは、まだ若い葛井夏が、将来自分が家族を持ち子孫を残すことはないだろうという予感を抱いている。
このあたりの極めて現代的なモチーフもまた織り込まれていたりします。

起伏もなく淡々として穏やかな物語の中に、こうした現代的な問題意識を繊細に刻み込んでいく。
そのあたりの手腕はなかなか見事だなと。

もう一篇収録された『ここで、ここで』。
こちらは短編ですが、トーンは『わたしがいなかった街で』と共通するものを感じます。
日常に潜む違和感が描出されていて、短い分、その「不穏さ」はより強調されているような気も。
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『共喰い』 田中慎弥

2012-08-25 23:37:51 | Books
共喰い
田中 慎弥
集英社


芥川賞受賞時の無愛想な会見が話題になった著者の、受賞作他1篇を含む。

受賞作『共喰い』の舞台設定は明らかになっていないが、河口近くの川が流れる地方の小さな集落。
時代設定は「昭和六十三年」となっている。
著者は自分と同じ昭和47年生だが、主人公の少年が17歳という設定なので、著者自身が主人公と同世代だった頃の生活環境と重ね合わせている部分もあるのかもしれない。

性と暴力というモチーフが、どんよりと重い土着性を帯びて繰り広げられる。
中上健次の描く世界にも通じるものがあるように感じる。

印象的なのは、ディテールまで念入りに描かれる鰻釣り。
主人公の父親は、下水の流れ込む川で釣った鰻を構うことなく白焼きにさせて喰らう。
そして鰻は男根のイメージにも重ねられる。

食と性と、人間の生命の根源を抉ってくるような描写表現が繰り出され、読んでいて気分は決してよくないが圧倒的なインパクトを感じる。

併録されている『第三紀層の魚』は、現代の下関を舞台にしている。
魚釣りをモチーフに持ってきている点では『共喰い』と共通するが、こちらはストレートな少年の成長譚になっていて素直に読める。
が、その分ユニークさには欠ける。
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『中国化する日本』 與那覇潤

2012-08-25 00:20:38 | Books
中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史
與那覇 潤
文藝春秋


1979年生まれの若手歴史学者が書き、昨年話題になった本。
遅ればせながら読みましたが、知的刺激を大いに得ることができ、非常に面白い。

ここで「中国化」とは、今云われている「グローバル化」と同義。
経済的には、身分制や世襲制を廃した徹底的な自由、自己責任の競争社会。
政治的には、権力の独占と普遍的な理念に基づく統治。

それに対置される「江戸時代」的な社会とは。
農村モデルの静態的コミュニティを基盤にした、流動性の低さ。
権力の分散と相互牽制による分権的政治体制。

今年大河ドラマでやっている平氏政権、後醍醐天皇の建武の新政、明治維新など、日本の歴史においても「中国化」勢力が勃興することはあったが、その都度「反中国化」勢力が対抗して長続きしない。
特に長い長い江戸時代は、その後の日本社会の在り様を規定し、「中国化」の波が寄せる度に「再江戸化」の反動が巻き起こる。

現代においても、小泉ブームの勃興とそれへの反発、そして今また橋下ブームとまたまたそれに対する反発、と「中国化」「再江戸化」のせめぎ合いはエスカレートしている。

こういった史観は非常にイメージしやすく、すっきりと腹に落ちてきます。

個人的に興味深かったのは、双方の社会におけるセーフティネットの在り方の相違について。
「中国化」社会では、地域に関係の無い父系氏一族の繋がりがセーフティネットの役割を果たす。
一方で「江戸時代」社会ではご存じのとおり、地域・職域の中間共同体が福祉の役割を担う。
朝鮮併合時の創氏改名とは、同化政策というよりも「イエ」を単位とする日本的統治構造への組み入れという意義が強かったという話は目から鱗でありました。

本格的にグローバル化、「中国化」が進む世界において、「再江戸化」勢力が根強く存在する日本社会はどのような道を歩むべきか。
終章に著者の考えが述べられますが、このあたりはイマイチ歯切れがよくない。
著者が「中国化」支持派であることは明らかなようには思えるのですが…
それでも「江戸時代」的な心地よさを捨てきれないところは、同じ日本人として気持ちはよくわかります。

語り口があまりにバッサリと鮮やかなので、本当にここに書かれていることを鵜呑みにしてよいのか、逡巡するところもありますが、それは豊富に紹介されている引用文献に自らあたって自分の頭で考えてみよ、ということなのでしょう。
とにかく読み物として抜群に面白い。

著者は映画好きのようで、映画の引用も多く見られます。
そのあたりも個人的には共感と好感を抱いたところ。
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