そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

駒橋発電所

2011-05-26 23:27:47 | Diary
今、戦後の民営・地域独占9電力体制を生み出した松永安左エ門の本を読んでいます。
本の中で、明治以降、日本の電力事業の歴史にも触れられているんですが、中距離送電と結びついた大容量水力発電所の嚆矢として東京電燈が1907年に運転を開始した「駒橋発電所」の名前が出てきます。

この駒橋発電所という名前に何となく聞き憶えがあって「もしや」と思い調べてみると、場所は山梨県の大月市で、なんと「東京電力駒橋発電所」として現在も稼動しているんですね!
このゴールデンウィークに長野方面に旅行に行ったときに、スーパーあずさの車窓から水力発電所が見えて「えっ、こんな場所に?!」と感じたのが記憶に残っていたのです。
このサイトとかこのサイトに写真が載っています。

YouTubeに動画もありました↓
【探訪】世紀貫く7連アーチ 駒橋発電所・落合水路橋


原発の問題がこんなふうになっている一方で、百年前には最大規模だった水力発電所が今もひっそりと稼動を続けている。
電力事業と人間の関わりの歴史も長いような短いような…という感じです。

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1300万人が戸籍なし

2011-05-22 20:53:33 | Society

今朝の日経朝刊コラム「中外時評」に『13年から減る中国労働力 「一人っ子政策」見直し論も』との記事が出ていました(飯野克彦論説委員)。

昨年11月1日を基準日として10年ぶりに実施された中国の国勢調査の結果を受けて、中国国家統計局の馬建堂局長が4月29日に「確実に2013年から、我が国の労働力資源は徐々に減少する」との見解を発表したとのこと。
この言明に対しては、「人口構造からみると、日本が1990年代に歩んだ経済衰退の道を中国も歩もうとしている。違うのは、日本は豊かになってから老いたのに、中国は豊かになる前に老いることだ」との反応も示されているとか。

また「一人っ子政策」という計画出産政策が深刻な人権侵害の温床になっている側面も指摘されています。
特に驚いたのは以下の部分。

30年以上前に計画出産政策が始まってから、2人目以上の子どもをもうけながら、罰金などの不利益を恐れて届け出ない夫婦が相当の数に上る、といわれてきた。
今回の国勢調査では、2人目以上の子どもを届け出ても不利益は被らない、と政府が約束した。その結果、戸籍登録のない人が全国で1300万人も出てきたのだという。

1300万人!
中国の社会制度における戸籍登録にどれほどの意味があるのか知らないので、これがどれほど深刻な事態なのか判断がつきませんが、それにしてもとんでもない数です。
日本では昨年「消えた高齢者」が話題になりましたが逆パターンですな。

こんな状況になってもなお現政権は今の出産政策を堅持すると表明しているとのことですが、来年最高指導者が交代するタイミングで政策の抜本的見直しがされる可能性に触れて、記事は結ばれています。
が、人口ピラミッド構造は政策が見直されたからといってすぐには変わらないというのが難しいところです。
子どもを持つ親世代が既に少子化しちゃってるわけですからね。
政策ではなく自発的な少子化が進んでいる日本ですらこれほどの人口ピラミッド構造の歪みが出ているわけですから、人為的に少子化を進めてきた彼の国では何をかいわんや。

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「若年者就業の経済学」 太田聰一

2011-05-17 23:46:10 | Books
若年者就業の経済学
太田 聰一
日本経済新聞出版社


いわゆる”就職氷河期”といわれる若年者の就職難について論じた一冊。
著者は、「イマドキの若者は…」的な教育学的或いは社会学的な視点で捉えられがちな若年者就業問題について、それが紛れもなく「雇用問題」であり、労働の「供給側」と「需要側」の双方から分析する経済学的アプローチがあって然るべきとの問題意識を持っています。
公けになっている様々なデータを基に、回帰分析などの統計的手法を用いた仮説検証により、様々なファクターの間の相関・因果関係を洗い出していく手法で研究成果がまとめられており、極めてアカデミックな内容で、この種の学術書を読んだのは久々だったのでなかなか新鮮でした。

ただし、導き出された結論にそれほど目から鱗なものはなく、既知のものが多かったです。

・所得格差や就業率、非正社員比率等のデータから、近年、若年者の世代内格差と若年者と中高年層との世代間格差の双方が拡大している傾向がみられる。(第1章)

・日本についてのこれまでの研究によれば、賃金水準や就業状態、転職行動に世代効果(学卒時の労働市場の需給バランスが、その後の就業状態や労働条件などに及ぼす因果的な影響のこと)があることが明らかとなっている。不況期に学校を卒業することで、比較的長期にわたって賃金水準や就業率が低下し、不本意就業による離職率の上昇、非正規職への就職などを経験しやすくなる。(第3章)

・日本企業の新規採用、とりわけ正社員の採用や大企業による採用において、若年者や新卒者の比率が高くなっている。日本企業が新卒者を重視する背景には「自社で人材育成を行いたい」「社内の年齢構成を維持したい」「優秀な人材を確保したい」といった企業の採用理由がある。自社独自のスキルを労働者に身につけさせることを重視する日本企業の特性が反映されていると考えられる。
 そのような特性のために、不況期の日本企業は、若年層の採用を抑制するという雇用調整方法をとることが多くなる。とりわけ、長期の不況に直面した場合には、企業は「投資人材」としての若年正社員の人数を大きく減少させる。これが「就職氷河期」を生み出した主因であると考えられる。(第4章)

・これまでの研究は、中高年労働者と若年労働者が代替的な関係であることを示唆するものが多い。また、中高年の多い企業や中高年の過剰感を持っている企業では若年採用が抑制される傾向がある。そういった「置き換え効果」は、労働組合が存在する企業で強い傾向がある。(第5章)

等々。

終章のほうでは教育・訓練、政策についての提言もまとめられていますが、城繁幸氏的な「終身雇用・年功序列をぶっ潰せ!」みたいな革新的なものはなく、マッチングを高めるだとか採用に対する助成だとか、そんな感じです。
「整理解雇の四要件」のうち「解雇回避努力」において、「非正社員の雇い止め・解雇」を外すべきではないか、という点にはちょっとだけ触れられてますが。

ちょっと面白いなと思ったのは、就職後に生じるミスマッチをどう解消するかとの文脈で、企業側での離職防止対策として「企業内訓練の強化」が一番多く挙げられるのに対して、従業員側が望んでいるのは「賃金の上昇」「休日の確保」「仕事と家庭の両立支援」などが上位になっており「企業内訓練」のランクは低いという事実が紹介されていた件り。
親の心子知らずというか、的外れというか…。
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4号機は自爆ではなかった?

2011-05-16 22:22:55 | Society

依然深刻な状況が続く福島第一原発ですが、昨日(15日)東京電力から2つの重要な発表がありました。

1号機、津波の5時間半後には燃料溶融 東電解析で判明(朝日新聞)

東京電力は15日、東電福島第一原子力発電所1号機が、東日本大震災による津波到達後5時間半で、原子炉内の核燃料が冷却水からすべて露出し、燃料溶融に至ったとの暫定的な解析結果を発表した。これまで燃料が溶融したのは3月12日だとしてきた。事故対策の前提となる現状把握が大幅に狂っていたことになる。今後の対策検証にも影響を与えそうだ。

「メルトダウン」という衝撃的な言葉の響きもあって、「現状把握ができていないのはけしからん」或いは「事実を隠していたんじゃないのか」と非難されていますが、建屋内にずっと入ることもできず計器類も故障していた状態で、正確な状況を把握せよというのもさすがにちょっと酷なような気もします。
燃料溶融が12日だったのか11日だったのかというのも今となってはあまり大きな違いはないように思いますが、5時間半という短時間で溶融が起こっていた事実は重いと思うし、今後の原発事故に備え如何に速やかに停止・冷却機能を働かせることができるのかという観点での再点検は極めて重要と思います。
今回起こってしまった「溶融」が、格納容器が吹き飛ぶ本格的な「メルトダウン」まで、どの程度近づいたものだったのかという点での検証結果もぜひ知りたいところです。

個人的に、むしろもっと重要だと感じたのは次の発表。

4号機爆発、3号機の水素ガス逆流が原因か 東電推定(朝日新聞)

東京電力は15日、3月15日に起きた4号機建屋の爆発について、隣の3号機で発生した水素ガスが、排気管を逆流して流れ込んだことで起きた可能性があると発表した。4号機は事故発生時、定期検査で停止中だったため、貯蔵プールで保管されていた使用済み燃料が爆発の原因として疑われていた。
これまで4号機では、燃料が貯蔵プールの冷却水から露出して空だきになり、化学反応で水素ガスが発生したと疑われていた。
しかし、プールの水などを分析した結果、東電は燃料に大きな異常はないと判断。3号機で発生した水素ガスが排気管を通じて流れ込んだ可能性が浮上した。

5月6日に菅首相が中部電力浜岡原発の停止を”要請”した際、停止しても必ずしも安全にはならないのではないかという趣旨のことを書きましたが、その理由が、地震当時点検のため停止中だった福島第一4号機で水素爆発が発生したという事実でした。
ところが、上記の東電推定が正しいとすると4号機は自ら爆発したのではなく3号機の「貰い事故」だったということになる。
もちろんこれで即「停止していれば安全」ということにはならないと思いますが、浜岡を停めたことの説得力を補強する大きな材料にはなると思います。
菅政権の”要請”は人気取りパフォーマンスの面が強いと今でも思ってますし、賠償支援スキームなど相変わらず支離滅裂なところも目立ちますが、その後の原発推進政策の見直し発言や発送電分離の検討示唆などを鑑みるに少しいい方向になってきているのかなという感じもします。

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「マボロシの鳥」 太田 光

2011-05-13 23:37:29 | Books
マボロシの鳥
太田 光
新潮社


爆笑問題・太田光の処女小説。

うーん。
残念ながらつまらなかった、困ってしまうほどに。

著者はかなりの読書家らしいけど、それが裏目に出ているのか。
どの短編も既視感があるというか、設定もプロットも文章表現も借り物のように感じる。
期待したオリジナリティが全く発露されていないように感じました。
講談師調の『人類諸君!』なんかも何だか町田康の真似事みたい。

自分はNHKの『爆笑問題のニッポンの教養』が好きでよく視てるんですが、番組の中で著者がよく語っている「戦争」「言葉」「芸人」などに対する思想が小説にも散りばめられています。
そのことから、けっして小手先でなく真摯な姿勢で著者がこの小説集を書いたことは窺い知れます。
そのことだけは評価できるように感じます。

しかし、たまたま江國香織の小説と並行して読んだけど、プロと素人の筆力の差って歴然としてるんだなと改めて思い知りました…
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「抱擁、あるいはライスには塩を」 江國香織

2011-05-10 23:52:26 | Books
抱擁、あるいはライスには塩を
江國 香織
集英社


『楡家の人びと』風『華麗なる一族』とでも申しましょうか。
大きなお屋敷に暮らす風変りな大家族の大河小説。

「風変りな」などと書いてしまいましたが、この愛すべき登場人物たちの生き方に触れるにつれ、実は彼らを「風変り」と思ってしまう世間のほうが変なのではないか、という気がしてきます。
彼ら彼女らは自分たちのモノサシをきちんと持っている。
そして、他人を心から思い遣り、世間とのモノサシの違いに時に思い悩みながらも、精一杯真摯に生きている。
祖父・祖母・父・母・叔母・叔父・四人の兄弟姉妹、それぞれに個性的でありながらも、一つの家族としての共通項を保っている。
そんな人物造形がたいへんに心地よく、彼ら彼女らが互いに影響を与え合いながらいろいろなことを感じ、成長していく。
ずっとこの家族の物語を眺めていたい、読めば読むほどそんな気持ちになっていきます。

小説は、時間軸を交錯させながら、1960年から2006年まで、昭和から平成にかけての約半世紀という時の流れをも感じさてくれます。
章ごとに一人称が入れ替わっていき、中には家族の外の人物の目線でも語られる章もある。
それによってまた、この愛すべき家族の魅力が客観的な言葉で表現されることになり、妙味なのです。

なんとも、豊穣。
こういう作品との出会いがあってこそ、小説を読む醍醐味なのだと感じます。
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スケープゴートとなった浜岡原発

2011-05-07 15:58:19 | Politcs
菅首相が昨晩突然発表した浜岡原発の停止要請が大きな反響を呼んでいます。
自分がこのニュースを知ったとき、初めに頭に浮かんだのは「政権浮揚のための人気取り」だなということ。
報道されている発表の内容をよくみるにつけ、論理性と合理性を欠いていることばかりが目につきます。

断っておきますが、自分はけっして原発推進派ではありません。
今回の福島第一原発で起こっていることをみても、原発という仕組みが、いったん事が起こった際のあまりの影響の大きさ・対応コストを織り込んだ上で経済的にペイするものではないことは明らかだと思います。
政・官・学・電力会社・マスコミで構成される”原子力村”が進めてきた原子力行政は欺瞞に満ちており、今や将来のエネルギー・電力事業の在り方をゼロベースで見直すべき時だと考えています。
ただし、だからといって現状稼動している原発を闇雲にこの世から無くしてしまおうというヒステリックな「反原発」にも与しません。
それは単なる思考停止に過ぎない。
菅政権の浜岡原発停止要請も、そのような情緒的な「反原発な気分」に乗じた弥縫策であるように感じています。

首相は、浜岡原発を停止させている間に「防潮堤の設置など、中長期の対策を、確実に実施することが必要」と言っていますが、これがまずナンセンス。
東海地震の危機が切迫しているというのなら「中長期の対策」なんて悠長に過ぎる。
今日明日にでも大地震が発生するリスクがあるのだから、地震・津波対策は今すぐの課題。
今回の大震災で判明した最大の問題点は、想定を超える大津波に襲われて緊急バックアップ用の電源装置が故障し、原発の冷却機能が失われたことであり、その観点での対策を打つことが最優先事項ではないか。
防潮堤の設置というのもよく分からない。
いったい何メートルの防潮堤を築くつもりなんだろう?
津波の大きさなどいくら想定しても想定し切れないということが痛感されたのが今回の震災ではなかったのか。
そもそも福島第一原発では停止中だった4号機でも水素爆発が起こったのであり、停止させたから即安全というわけでもない。
要するに、福島での教訓がまったく生かされていないように思えるのです。

今回の要請を、脱原発へと行政を大転換する契機として「英断」と評価する向きもあるようですが、留意しなければいけないのは「停止する」と言っているだけで「廃炉する」ではないこと。
しかも浜岡だけを対象にしていることも論理一貫性に欠ける。
地理的条件など諸条件から浜岡が最も地震に対するリスクが高い原発であることは確かでしょうが、全国に散らばる多数の原発だってリスクの差は相対的なものでしかない。
浜岡が危険だというなら、柏崎も敦賀も泊も同じ対応をすべき。
中部電力は、電力供給の原発依存度が15%と比較的低く、浜岡が「最も停めやすい」原発であるということを考え合わせると、浜岡をスケープゴートとして問題を局所化することで、原発スキームをなるだけ現状のまま温存しようとする”原子力村”の策略ではないかと勘繰りたくもなります。

停止要請には賛否両論あるものの基本的には歓迎ムードで受け止められており、震災以降存在感を失っていた菅首相がリーダーシップを演出に成功したのは確かだと思います。
これで内閣支持率も多少は上がるでしょう。
政治的には時を得た妙策だったと思いますが、これで根本的な問題が改善されるとは思えません。
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「挑戦者」 渋沢和樹

2011-05-04 21:39:22 | Books
挑戦者
渋沢 和樹
日本経済新聞出版社


第二電電の”プロジェクトX”。

電電公社民営化・通信自由化の流れの中、第二電電・日本テレコム・日本高速通信がNCCとして登場した80年代後半当時、中学生だった自分は三社の成り立ちの違いなど正直あまり意識してはいなかったのですが、国鉄が設立した日本テレコム、建設省・道路公団がバックについた日本高速通信と比べると、第二電電は唯一の”純民間”事業者であり、電電公社を含めたエスタブリッシュに取り囲まれた存在であったということを今更ながら認識させられます。
他のNCC二社が、新幹線の線路や高速道路といった基幹ネットワーク敷設のためのインフラを既に保有していたのに対して、インフラを一から構築しなければならなかった第二電電の負ったハンデはあまりに重く、それを克服していく過程こそが本著においてもっともエキサイティングな一場面です。

それにしても役所や国営企業が、本来公的資産であるインフラをあたかも我がもののようにして新事業を展開しようとするという構図自体、前時代的なものを感じます。

本著は、第二電電という会社の歴史とともに、稲盛和夫というカリスマ経営者の信念を描いた本でもあります。
なんといっても印象深いのは「動機善なりや、私心なかりしか」と繰り返し繰り返し自問するという件り。
その他、「値決めは経営である」「対等合併にいい合併は一つとしてない」だとか、きめ細かい管理会計により徹底した部門採算性を求めるなど、稲盛流の経営哲学を窺い知ることができるとともに、ビジネスマンの端くれとしては刺激を受けるところもあります。
第二電電を興した当時50代前半の”若手”経営者だった稲盛氏も今や80歳間近、現在でもJAL再生に力を尽くしているわけですが、時の移ろいに感慨を抱かざるを得ません。

高い志をもって奇蹟的な事業的成功を実現した第二電電も、90年代後半のNTT再編の流れの中、合従連衡の波にもまれながらKDDIとして生まれ変わりますが、このあたりの展開は足早且つ若干綺麗事として描かれている感があります。
KDDというもう一つのエスタブリッシュ勢力と一緒になることで失われたものはなかったのか、そのあたりに興味を持ちます。
また、ノンフィクション小説という形式をとり、序盤では第二電電に集った社員一人一人のキャラクタを結構細かく描いているにも関わらず、会社が大きくなった後半になるとそれがまったく活かされていないなど、一つの作品としてはやや尻すぼみな印象です。
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