そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「非不胎化」介入の作用

2010-09-29 00:07:19 | Economics

927日付け日経新聞朝刊「経済教室」渡辺努・一橋大学教授の稿よりメモ。

915日に、政府・日銀は円売り・ドル買い介入を行ないましたが、その際の介入は「非不胎化」であったと云われています。

「非不胎化」とは何か。

 

先進各国では、政策金利(日本では無担保コール翌日物金利)に目標水準を達成するように貨幣の量を日々調節するというかたちで金融政策が運営される。しかし円売り介入によって市場に出回る円資金が多くなると、政策金利が目標水準から乖離してしまう。これを避けるために、中央銀行は介入資金を吸収する公開市場操作を行う。

これが「不胎化」である。先進各国の中央銀行は通常、ほぼ100%の不胎化を行うことが多くの実証研究で確認されている。100%の不胎化が行われる限り、為替介入が円資金の流通量に影響を及ぼすことは決してない。その意味では両者は独立である。これは国際マクロ経済学の教科書にも登場する常識である。ただし、金利が正の世界における常識にすぎない。貨幣が飽和し金利がゼロの世界では異なる仕組みが働く。

 

200304年にかけて政府・日銀が行った大規模な為替介入では、介入資金が平均して20日ほど市場に滞留していたとのこと。

何故それが可能だったのか。

 

介入資金の滞留が可能になったのは貨幣が飽和していたからだ。大介入に先立つ01年から日銀は量的緩和政策を実施していた。大介入の開始当時、日銀当座預金残高の目標値は15兆~20兆円に設定され、しかも目標の上限値を超えることも可とされていた。

これだけの大量の資金供給の結果、貨幣はすでに飽和しており、コール翌日物金利はゼロであった。この状況で、円売り介入によって市場に注入された円資金が放置されたとしても翌日物金利がさらに下がることはない。つまり円売り介入資金を放置したとしても金融政策の目標を達成できなくなるわけではない。これは金利が正の世界との大きな違いであり、「介入は直ちに100%不胎化しなければならない」という「金利が正の世界における常識」がもはや通用しないことを意味する。

 

実際、不胎化する場合としない場合では、介入が為替相場に及ぼす効果(円の下落率)に違いが見られるといいます。

それは何故なのか。

 

…「予想」を通じる効果だ。話を単純にするため、介入は一切不胎化されず、介入資金は永遠に市場に残るとする。永遠に残るということは、経済が不況から脱出して正常化する遠い将来の時点でも、資金が市場に残っているはずだから、介入による円資金の追加供給は将来時点の金利を下げる効果をもつ。この金利低下は将来時点で円安を発生させるが、それが人々の予想に織り込まれると、現在の為替が円安になる。

 

本来は互いに独立しているはずの金融政策と為替政策が、ゼロ金利の世界では融合するというお話。

ゼロ金利だから非不胎化が可能であり、ゼロ金利だから非不胎化するしかない、ということか。

衒学的には面白いけど、なんだかなーという感じです。

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転職成功率の低下

2010-09-24 19:30:41 | Economics
今日付け日経新聞朝刊「経済教室」は、阿部正浩・独協大学教授の稿。
テーマは、日本における失業の増加と長期化。
内容的にはほぼ既知のものでしたが、わかりやすく整理されていたので、以下メモします。

阿部氏が、総務省統計局の労働力調査を基に行なった推計によれば、2008年前後から労働市場のフロー指標に変化が見られ、仕事を離職した人が1年以内に職を見いだせない傾向が強まっているとのこと。
直近の失業率の上昇は、リストラの増加や非正規雇用者の雇い止めによりも、むしろ離職者や失業者の転職成功率が低下が第一の要因となっていると観察できると云います。

転職成功率が低下している原因としては、求人と求職のミスマッチが挙げられる。
専門的・技術的職業従事者や保安職業・サービス職業従事者では相対的に求人数が多い一方、事務従事者や製造、機械運転、建設作業などで相対的に求人数が少なくなっている。
前職でのスキルを生かすために同産業・同職業で職探しをするのは一般的ですが、産業や職業の構造変化が発生すると、衰退する産業・職業を離職した人々は求職難に直面し、逆に成長産業では求人難に直面する。

リーマン・ショック以降、政府が採った失業対策は、雇用調整助成金による離職失業の未然防止という政策でした。
阿部氏によれば、08年以降も就業継続指標が大きく悪化していない事実があり、この雇用調整助成金が大きな役割を果たしたものと評価できるとのこと。
ただし、それが根本的な解決策になっていないことには留意すべき、とされています。
以下、引用。

とはいえ、雇用調整助成金の成果を手放しで喜べるものはない。厚生労働省によれば、09年度に政府が支給した助成金額は6536億円に上っており、これだけのコストを払って得られた効果を慎重に考える必要がある。
雇用調整助成金の利点は、一時的なネガティブショックによる雇用調整を回復することで、景気回復後に同一企業に保蔵された労働者の人的資源を早期に活用できる点にある。この利点を社会が生かすには、助成された企業や仕事が将来成長することが期待されなければならない。さもなければ、保蔵された労働者も企業の衰退とともに、いずれは雇用調整を余儀なくされる。その場合、助成金は市場から退場すべき企業と仕事を延命させているにすぎない。
特に最近は、国際競争力の激化によって競争力を失いつつある仕事が国内に出てきている。そうした仕事では、非正規労働者の活用などで労務コストを抑える努力がこれまで懸命になされてきた。しかし、こうした対応もいずれ限界が訪れるだろう。競争力を失った仕事をどの程度国内に残すべきか、考える時期に来ていると思う。
雇用不安を解消するためには、雇用を保蔵し雇用継続確率を高めるような政策をとるべきなのか。あるいは、新たな雇用創出すると同時に、労働者の教育訓練やマッチング機能を高度化して転職成功確率を高める政策をとるべきなのか。今後の日本経済を取り巻く環境変化の下では、後者の政策が望まれると筆者は理解している。
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司法が配慮する範囲を越えているのでは?

2010-09-24 18:29:01 | Politcs
尖閣沖の衝突事件、中国人船長を釈放へ「日中関係考慮」(朝日新聞) - goo ニュース

吃驚。
近年稀にみる「屈辱外交」ではありませんか。

地検が「日中関係を配慮」とは越権では?
「日本は中国と違って政治と司法が独立している」と説明してきたロジックが破綻してしまう。

今回の対応を、中国政府に対する「貸し」として、今後どこかの場面で活かせるのなら…とも思うけど、なかなか難しいでしょうな…
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自然失業率

2010-09-23 11:22:46 | Economics
ダイヤモンド・オンラインの辻広さんのコラムで、自然失業率の概念についてわかりやすく解説されていたので、以下備忘のためメモ。

さて、その失業率は質の異なる2種類に分けて考えることができる。「需要不足失業率」と「自然失業率」である。 

 「需要不足失業率」は、経済の悪化によって労働需要が減少し、労働供給を下回ることで上昇する。早い話が、景気が悪化してモノが売れなくなれば、企業経営者は雇用を抑え、あるいは減らしてしまうということだ。だから、リーマンショックのような大きなショックが経済に加われば、いっぺんに需要不足失業率は上昇してしまう。 

 「自然失業率」は、景気循環には左右されない。労働市場においては、好不況にかかわらず、求人側と求職側の間において求める技能や待遇など条件面でミスマッチが常に生じる。それは、適性や能力は、労働者個々によって違うからだ。仮に、労働における総供給と総需要が一致していたとしても、例えば、求人側がIT技術者を求めているのに、求職側にITスキルが欠如しているのでは雇用は成立せず、未充足の求人と失業者が同数存在することになる。これが、自然失業率である。 

ちなみに、自然失業率は総供給と総需要が均衡した状態なので、その均衡を打ち破って、財政政策や金融政策で無理やり失業率を自然失業率以下に低下させようとすると、賃金や物価の上昇を招き、インフレを起こしてしまう。 

以上は、経済学者のミルトン・フリードマンが唱えた説で、世界において浸透した標準的な考え方である。

で、「2009年時点の日本の自然失業率は、経済財政白書によれば3.5%程度、OECDによると4.1%程度」にも上っているとのこと。
コラムの後半では、自然失業率を低下させるためには、解雇規制緩和をはじめとする労働市場改革を進め、求人と求職のマッチ機能を高める必要があることが提言されています。
その通りだよなと思いつつも、既得権を守ろうとする志向が強力な上に、ミスマッチに苦しんでいる側にも「慣性」が働いてなかなか経済構造が転換しないことを考えると、今よりもっと事態が悪化してお尻に火がつかないと変わらないのかな、という気がする。
まあ少なくとも「一に雇用、二に雇用…」などと呪文を唱えているだけではダメなのは明白ですが。
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推定無罪の道険し

2010-09-22 22:25:27 | Society
前田検事の証拠隠滅は「クロ」であることが当然の前提のように報道がされています。

墜ちた“特捜のエース” 面倒見よく緻密…強引な面も 郵便不正 押収資料改竄(産経新聞) - goo ニュース

彼も現時点では「容疑者」であり、彼自身がこれまで行ってきたように、これから検察の取調を経て裁きを受ける立場である。
それまでは誰も彼のことを有罪扱いにすることはできない。
そのことこそが今回の村木さんの件から得るべき教訓であるはずなのに、誰もそんなこと気にしていない。
村木さんが逮捕された時も、今の前田容疑者とまったく同じように「嫌疑」が「事実」であるかのように報道されてたんですよね。

「世間」がそのことの矛盾に気づく日が来るまで、同じような悲劇が繰り返されるんでしょうな。
そんな日がくるのかどうか、疑問ですが。

あ、別に前田検事が冤罪だと云ってるわけじゃありませんよ、念のため。
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「きみ去りしのち」 重松 清

2010-09-20 22:44:00 | Books
重松清は、やはり良くも悪くも日本人的だな、と改めて感じました。

肉親を亡くすということについて、遺された者たちの心情を極めて繊細に描き出しているなと思う一方、その踏み込みの甘さにどうしても物足りなさを憶えてしまう。
阿蘇の草原で「美恵子」と「洋子」が初めて顔を合わせる場面、二人が会うことによって何が起きるのか。
自分はその期待に胸を高揚させたのですが、重松清はそこをいつも通り避けて通ってしまう。
それを優しさと受け取るか、厳格さの欠如と感じるか。
自分のような人間には、どうしても後者の印象が勝ってしまう。

加えて、この小説は、章ごとに一つの小さな「旅」が収められる構成となっている。
そして旅先での主人公と初対面の人々との出会いが描かれる。
ちょうど、テレビの連続ドラマで、各回ごとに有名俳優がゲスト出演するかのような。
これがまた、小説全体をスケールダウンさせているように感じられる。
長編小説ならではの、大河的な情感が生まれてこない。
肝になるはずの風景描写も今一歩真に迫ってこない感あり。
流氷の場面など、読んでいるこっちに、それこそ「ドーン」とくるほどの筆致が欲しかった。

…と文句ばかりですが、悪くはないです。

きみ去りしのち
重松 清
文藝春秋
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中国のネット世論

2010-09-16 23:21:50 | Politcs
日本のメディアにおける存在感という点では、民主党代表選と、それに続く人事の話の陰に隠れている感のある尖閣諸島事件問題ですが、中国での世論の盛り上がり方からすると結構深刻にとらえたほうがよさそうです。
   

日本人として、特に心に留めておいたほうがよさそうだと思ったのは、中国のネット世論に関する次の記述です。

「まず、中国のインターネット上におけるナショナリズムが近年外交当局の政策の幅を狭めているという現状を日本人は知っておく必要がある。過激なネット世論に遠慮して、政策決定を延期するような事態はしばしば起きる」
「日中間で東シナ海共同開発に関する合意がなされた後も2年以上協議に入れなかったのもこのためである」
「中国では新聞やテレビなど公の場における言論は当局によって厳しく監視・規制されている。よって、政策決定者が私が言う『公の言論』を、政策を脅かすという理由で心配する必要はあまりない」
「むしろ怖いのは、4億を超えるネットユーザーたちの過激な言論。当局も近年大量の役人を使って24時間体制でネット世論を監視している。当局の政策決定・履行に不利になるような言論は即削除される」
「メディアも罰金や左遷を恐れるあまり自主規制している。中国当局はネット世論を脅威だと感じ、神経質になっている」

公の言論が統制されている分、却ってネット世論の影響力が増しているという状況があるとのこと。
菅サンも内向きな人事にばっかり頭がいってると、とんでもない事態に発展するかもしれません。

ところで、上の記事の筆者である加藤嘉一さんという人はプロフィールによると、なんと1984年生まれ!
若くして活躍している日本人はいっぱいいるんですな~(って呑気に云ってる場合じゃない)。
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「生き残る判断 生き残れない行動」 アマンダ・リプリー

2010-09-14 23:24:48 | Books
ちょうど先日、あの9・11同時多発テロから丸9年を迎えたところです。
テロの瞬間、ワールドトレードセンターにいた人々が何を考え、どのように行動したのか。

9・11テロに限らず、多くの人質事件、飛行機事故、火災、洪水といった非常時に遭遇した人々の判断と行動を、生存者への綿密なインタビューと専門家への取材で解明することを試みた一冊。
上質なドキュメンタリーであり、我々一般人に対して貴重な示唆を与えてくれる啓発本でもあります。

非常事態に遭遇した群衆は、取り乱しパニックに陥るものと想像しがちですが、実際にはパニックはめったに起こらない。
まず訪れるのは「否認」。
自分が生命の危険に直面していることを信じようとしない脳の働き。
すぐに何が適切な行動なのかを判断し、行動にうつすことのできる人は稀にしかいない。
そしていざ行動に遷ろうとしても、視覚・聴覚は普段のように反応せず、身体も思うようには動かすことができず、脳も通常の判断力を喪う。
即座に当たり前の避難行動ができてさえいれば失われることがなかったはずの生命が、逃げ遅れや不可解な行動により犠牲になった実例が数多紹介されます。

いざと云う時に適切な行動をとることができるようにするために我々ができることは、「備え」をしておくこと以外にありません。
非常事態に際した場合の適切な行動を十分に訓練しておくこと、頭の中でシミュレートしておくこと、避難路を実地で使ってみて経験しておくこと。
そうしておくことで緊急時に脳の反応が鈍くなってたとしても、反射的に適切な行動をすることができる。

示唆に富むことがいろいろと書かれていましたが、中でもこれはと思ったものを以下備忘も兼ねて記しておきます。

人間の主観は、リスクの評価を正確には行わない。
「リスク=確率×結果×不安あるいは楽観」である。
そして、
「不安=制御不能+馴染みの無さ+想像できること+苦痛+破壊の規模+不公平さ」である。
よって、客観的には、心臓病や自動車事故よりもリスクが低い飛行機事故に対して、過大な不安を人間は感じてしまう。

非常時の恐怖反応に打ち勝つためには呼吸法が有効である。
四つ数える間に息を吸い、四つ数える間息を止め、同じく息を吐き出し、同じく息を止める。
それを繰り返す。
呼吸は、体神経系(意識的に制御できるもの)と自律神経系(制御できないもの)という二つの神経系に跨る活動であるからだと云われている。

この本を読んで、とりあえず、自宅に煙探知機を設置することと、これからは飛行機に乗る時は避難路を確認し、CAさんの非常時の対処方法説明を聴くことはちゃんとやろうと心に決めました。

生き残る判断 生き残れない行動
アマンダ・リプリー、岡真知子
光文社
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民主党代表選を眺めて

2010-09-14 19:11:47 | Politcs
菅氏、大差で代表に再選 週内にも内閣改造 (共同通信) - goo ニュース

今日はたまたま休みを取っていて家にいたので代表選のテレビ中継をつけていたんですが、しかしまあ両名の「最後の演説」がまったく魅力なくって困ってしまいました。

特に酷かったのが菅サンで、亡くなった石井紘基氏と山本孝史氏の名前を出して情に訴えるというあざとさ満点の反則技。
さらに民主党議員の出身職業を羅列する件りは、聞いてて恥ずかしくなりました。
シナリオライターは感動を喚起する演説を想定したんだろうけど、当の本人が棒読みなので、滑稽さばかりが浮かび上がり。
この人、他人を攻撃したり悪しざまにあげつらうのは得意だけど、自ら発信して観衆をインスパイアするような型のコミュニケーションはまったくできませんな。

これは小沢サンにも共通するんだけど、日本に元気を「取り戻す」っていう発想が根本的に間違えていると思う。
世界の在りようも、日本社会の構造や成熟度も、かつて高度成長期とは全然違っているんだから、古き良き時代に帰ろうっていう発想では何も解決しない。
そこが分かっていない。
元気な日本を「新たに創ろう」という発想じゃないと。

いずれにしても菅サンが当面首相を続けることになりましたが、まあ何も期待できないでしょうな。
地方票、党員・サポーター票では大差がついたけど、国会議員票は拮抗していたわけで、これで一気に小沢サンの勢力が減退することにはならなそうだし、親小沢/反小沢という不毛な対立軸が温存されることになりそうで、最悪の展開。
仮に小沢サンが勝って首相になったとして、どうせうまくいくはずがないので、その時こそが小沢の最期…となるのを期待してたんですがね。
小沢一郎という人が表舞台から消えることが、この国の政治が変わる最低条件だと思っています。
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高齢者の定義

2010-09-13 23:45:18 | Society
面白い視点の記事です。

年金は経済問題じゃない(経済学101)

「高齢者」の定義を「65歳以上」とすると、今後高齢者と若年層の割合は深刻なものになるけど、「高齢者」を「期待余命15年以下の者」と定義しなおすと見え方が変わってくるとのお話。

「期待余命」の定義がわからんけど、最新の日本人の平均余命は男79.0、女86.2で平均82.7(国際連合の世界の人口推計2008年版)。
この数字からだと、日本人男性の場合「65歳以上」も「期待余命15年以下」も現時点ではあまり変わらないようですが。

いずれにせよ、青木さんのブログ記事の最後にあるように、「65歳を過ぎたら働かずに年金=若い世代の稼ぎで暮らすのが当然」という通念を改めるのは難しそうだ、いろんな意味で。
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