そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

幕末の権力闘争

2009-07-29 23:14:40 | Politcs

一昨日7月27日の日経新聞朝刊・経済教室は、「選択09 歴史の視点」と題した2回シリーズの1本目。
現在の政治状況を幕末日本に照らして、野口武彦・神戸大学名誉教授が論じたもの。
以下、印象に残ったところをメモ。

いろいろな個性がぶつかった面もあるが、根本にあるのは、幕府と西国雄藩との死活的な利害対立だった。長い鎖国の時代、海外貿易が長崎一港で管理されていたころは長州も薩摩も密貿易で莫大なもうけを得ていた。相次ぐ開港は、幕府が拡大された貿易で強力なライバルになることを意味していた。

幕末政治の争点は、基本的に「開国か攘夷か」にあったが、その意味は現実に即して変化する。「開国」とは幕府(徳川家)による貿易利益の独占にほかならなかった。薩摩藩はその理由から兵庫開港に反対した。”御公儀”だったはずの幕府は私利私益の代表者と化していた。膨大な官僚機構を擁し、既得権を手放そうとしないばかりか、利益を分かち合おうともしない。

「攘夷」もまた、外国とドンパチやることではなくなっていった。薩摩藩は文久3年に鹿児島でイギリス艦隊と戦って相手の実力を知る。皮肉なことにはそれをきっかけに薩英同盟というに近い蜜月関係に入るのだ。「攘夷」は単なる幕府攻撃の口実に変わっていた。その勇ましいスローガンを一枚めくれば、貿易利潤の配分を幕府に求める生々しいホンネが隠されていた。

以前岩波新書の「幕末・維新」を読んだ時にも、幕府と雄藩の争いはイデオロギーの衝突などではなく権力闘争だったのだ、という理解をしましたが、改めてそのことを確認できた感じがします。
今の政治情勢において「安心実現社会」だの「脱官僚」だのといったスローガンが空虚に響くのにも通じるような。

野口氏の論考では、現在の政治状況と幕末の類似性を指摘しつつ、たとえ今回の総選挙で民主党政権ができたとしても、それは形を変えた「政権たらい回し」でしかなく、明治維新のような「政体」の変革とはレベルが違う、と断じます。
明治維新を担った若きリーダーたちは、権力闘争に勝って権力を手に入れるとともに、「開国による世界市場への強制編入に伴う未曾有の政治的・経済的・社会的混乱を解決する責務を負っていた」のだと。

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山田辰夫逝去

2009-07-27 22:55:08 | Entertainment
山田辰夫氏死去 俳優(共同通信) - goo ニュース

この俳優さんのことはそれほどよく知っているわけではないのですが、ごく最近観た「おくりびと」での演技が印象深かっただけに、突然の訃報に驚かされました。

滝田洋二郎監督とは同級生だったんですね。


合掌
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初カーシェアリング

2009-07-25 22:17:20 | Diary
うちの近所にカーシェアリングが進出してきました。
先日、「現在入会金&月会費3ヶ月分無料キャンペーン」とのチラシが入っていたので、車無し生活そろそろ一年になる我が家は早速申し込んでみることに。

全車両エコカーであることを売りにしている事業会社で、徒歩圏内にステーションが設置されている4台のうち1台がプリウスだったので、早速今日試しに1時間だけ使ってみることに。
プリウスを運転したのは初めてだったんですが、どうやったらエンジンがかかるのか(「ハイブリッドシステムが起動するのか」が正しい?)ちょっと戸惑ってしまいました。
乗り心地はまあ普通、ですが静かなのは確かですね。

利用料金は300円/15分なので、1時間で1200円。
レンタカー並みかやや高いくらいですが、ガソリン代の負担がないことを考えるとこんなものか(別途、月会費はかかりますが)。

それよりも久々に家の近所を運転してみて感じたのは、都内のドライブって全然楽しくない、ってこと。
渋滞、信号待ち、ちょっと路地に入れば一方通行で回り道しなきゃなんなかったり…以前車を所有していた頃はあんまり気にならなかったことが、車無し生活に慣れてしまうと気になってしまう。
やっぱり手放して正解だったな、と。

車で行った方が便利な場所に買い物に行くとか、一日かけてレジャーに出かけるとかいうときには、カーシェアリングも使えるかな、という気がするので、しばらく利用してみようと思います。
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戻り梅雨

2009-07-24 23:19:06 | Diary
梅雨明けしているの?太平洋高気圧意外に弱く(読売新聞) - goo ニュース

たまらんですわ、この湿気。
レギュラーな梅雨時に比べて気温も高い分、体に応える。
ただ普通に会社行って帰ってくるだけで、ぐったり。

帰宅しても、何にもする気が起らず…
解散総選挙も日食も、もうどうでもええわ、という感じ。

夏の太陽は果たして戻ってくるんでしょうか。
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「日本の「安心」はなぜ、消えたのか」 山岸俊男

2009-07-19 21:25:27 | Books
日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点
山岸 俊男
集英社インターナショナル

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キーワードは「安心社会」と「信頼社会」。

「安心社会」とは、クローズドな共同体集団を前提にし、共同体の成員が相互の素性を熟知しており、成員個々の行動に関する情報は成員間で共有されることになるため、相互監視と制裁の仕組みが働くことで社会の規律が維持される社会のこと。
そこでは、共同体の成員であることイコール共同体のルールを守る人間であることが明らかであるので、自分自身が集団の中で波風を立てず共同体のルールを守っていさえすれば「安心」して暮らすことができる。

一方「信頼社会」は、オープンで流動性の高い社会において、共同体が保障する「安心」に頼ることなく、個々人が自身でリスクを引き受けて他者に対して「信頼」を与えて積極的に人間関係を拡げていこうとする社会のこと。
他者に騙されたり裏切られたりするリスクは常に付きまとうものの、そのリスクを見込んだ上でなお人間関係の広がりによって実現する便益を享受していこうとする社会。

「安心社会」と「信頼社会」は、各々全く相容れない異なる原理で成り立っている社会である。
「安心社会」においては、同じ共同体に属していればそれだけで「安心」できるので、他者が「信頼」できる人物かどうかを吟味・判断する必要がない。

日本はずっと「安心社会」でやってきた。
農村の集落共同体、地域社会のコミュニティ、終身雇用を保証する家族主義の企業、護送船団方式の行政…
ところが、ここにきてその「安心社会」が維持できなくなってきている。
地方から農村への人口移動は人々と地域の結びつきを弱め、核家族化により血縁による相互扶助の仕組みも崩れ、経済の成熟化とグローバル化により日本的雇用慣行も維持できなくなりつつある。
様々な内的・外的要因により「安心社会」から「信頼社会」への移行をせざるを得ない環境にありながら、それがうまくいっていない。
即ち、ずっと「安心社会」でやってきた日本人は、見ず知らずの他者を「信頼」することに慣れていない。
自らリスクを引き受けて自己責任で相互に「信頼」を与え合うという行動様式をうまく使いこなせないが故に様々な問題(企業不祥事、いじめ問題、公共道徳の低下…)が生じているのではないか。

…といったところが著者の現代日本に対する見立てです。

著者はまた、「日本人らしさ」という一般的な概念にも疑問を投げかけます。
「日本人は『和』の心を持っている」「控え目で、自分を犠牲にしてでも公益を優先させる」というのは常識のように言われている話です。
著者の社会心理学実験でもそのような傾向は結果として現れるのですが、さらに厳密に調べていくと、それが日本人だけが特別の心の性質を持っていることに起因しているわけではないことが判る。
「控え目」「自己犠牲」「集団主義」は、日本人の心の特性ではなく、そうすることが日本の「安心社会」で生きていく上で都合がよかったために自然と身につけられた方便であったのだ、と分析されます。

従って、様々な問題を抱える現代日本の社会問題への対処策として、「昔の日本人が持っていた『心』を取り戻そう」と、精神主義的な倫理教育・道徳教育を持ち出しても効果など生まれない。
そもそも理性に過剰に期待するのは非現実的であり、精神論ですべてを語ろうとするのは思考停止に他ならない。
昔の日本人が特別に高い道徳心(無私の精神や清貧の思想)を持っていたわけではなく、そうすることが「安心社会」に適応する上で有利だったというだけのことであり、「安心社会」が成り立たなくなった現代日本社会においてそこに立ち返ったところでうまくいくはずもない。
最近よく持ち出される「武士道」精神にしても、「安心社会」でこそその有効性を発揮できる統治の倫理なのであり、「信頼社会」に無理やり当てはめようとすると、その組織防衛的側面が裏目に出て却って社会を混乱させてしまう。

…と、備忘も兼ねて長々と要旨を書いてしまいましたが、今の日本が直面する問題の本質をこのように捉える考え方は広く共有されているものかとは思います。
池田信夫氏がブログで書いている「日本的中間集団の安定性の崩壊」というのも同じことでしょうし、先日読んだ「日本の難点」でも「社会の包摂性の喪失」が指摘されていました。

犯罪や不祥事などが発生した際に、世論が、加害者が帰属する集団(企業、学校、家族など)の責任を追及しがちになるのも、規律の維持責任を共同体が担っていた「安心社会」の名残りであるように思います。

問題の所在を捉えるのは比較的容易であっても、それに対する処方箋を立てるのはなかなか難しい。
著者は、「安心社会」と「信頼社会」はどちらが優れているとか劣っているとかそういうものではないと書いてはいますが、全体のトーンからすると「信頼社会」に適用できるよう社会の仕組みを変えていくべきだと考えているように窺えます。
これだけ社会が流動的になってしまった現実を考えると、その方向性しかないことには同感なのですが、ではどうすればよいのかと云えば、「アメとムチ」をより効率的・効果的に使うだとか、「武士道」ではなく「商人道」の価値を見直すだとか、いまいちパッとしません。
宮台氏の処方箋も、「道徳よりもシステム」「合理よりも不合理」とのことであり、かなり似通っている印象ですが、解決のための具体的な方策がすぐに打ち出せるほど簡単な状況ではないということはよく分かります。

本著のような冷静な視点は大好きですし、現代日本の問題の本質を明快に指摘している点で、お薦めできる一冊だと思います。
欲を言えば、「安心社会」から「信頼社会」への移行という局面に差し掛かっているのは何も日本ばかりではないと思うのですが、その中で日本固有で抱えている問題(例えば、自殺率が国際的にみて高いことなど)の考察を入れられていれば、さらに多面的に問題の所在を捉えることができたのかな、という気がします。
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負の所得税

2009-07-15 23:32:27 | Economics
城繁幸氏がブログでベーシックインカム/負の所得税について書いています。

ベーシックインカム、あるいは「負の所得税」の可能性(Joe's Labo)

自分もこの方向性には賛成、というか、労働インセンティブを維持しつつ、地滑り的な転落を防止するためのセーフティネットを張るにはこれしかないのではないかと思っています。
生活保護のように役人の裁量による認可などが必要がなくなる分、透明性も増すし、余計な役人が要らなくなるというメリットもある。

城さんは、中産階級の支持が得られないことを懸念していますが、もはやそれなりの企業のサラリーマンをやっていても将来安泰なんてことはない時代なのだから、意外に支持されるんじゃないかと思いますが、どうでしょう。
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大井町線延伸

2009-07-14 23:42:05 | Diary
7月11日(土)から、東急大井町線が延伸、二子玉川~溝の口が開通しました。

で、昨日(月曜)からこの延伸効果を体感することになったわけです。
といっても、自分の場合、朝は田園都市線の下りで二子玉川まで行き、大井町線(大井町方面)に乗り換えるというマイナーな通勤ルートを使っている関係で、大井町線へのシフトによる田園都市線の混雑緩和という狙いがどこまで実現されているのかは直接はわからんのです。
が、乗り換え客で溢れんばかりだった二子玉川駅のホームがガラガラに感じられるのは確か。
ただ、丁度同じタイミングで高校生が試験休みに入ったと思われ、その辺の影響もあるように思います。
その分、溝の口駅での乗り換え客は増えているはずですが、溝の口方面から二子玉川に到着する大井町線の車両の混雑具合も然程のものでもない印象です。
個人的には、二子玉川が始発でなくなってしまったおかげで、基本的に座れる可能性が無くなってしまったことが一番大きな影響と言えそう。

まあ、定期券の関係で通勤ルートを急に変える人もそう多くはないと思われるので、すぐに効果が出る話でもないと思いますが、そう簡単にシフトは起きなさそうです。
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ワンフレーズ・ポリティクス

2009-07-13 22:04:50 | Politcs
麻生首相「選挙、やってみなきゃ分からない」(朝日新聞) - goo ニュース

昨日の日経朝刊コラムでも指摘されていたけど、「郵政民営化に賛成か反対か」というシングルイシュー化で小泉自民党が圧勝した2005年の総選挙。
それに対して今回は「政権交代」というシングルイシュー化に、逆に自民党が窮地に陥っています。
昨日の都議選なんて、一地方選挙にも関わらず「政権交代」一色だったし。

こういったワンフレーズポリティクスは、冷静に考えれば合理的なものだとはとても思えない。
重要な争点が他にもいくらでもあるのに、それらが埋没してしまう。
「政権交代は手段であって目的ではないはず」という麻生首相の民主党批判も、全く持って理屈としては正しいのであります。

しかし、こういうシングルイシュー化がどうして盛り上がってしまうかといえば、それが有権者の意識の根底にある大きな流れを反映しているからなのではないかと。
前回の郵政選挙と今回の政権選択選挙では、与野党の力関係は180度違うわけですが、「古い自民党」の拒絶という意味では流れは繋がっているように感じます。

元をたどればリクルート事件あたりに端を発し、細川政権成立で顕在化した自民党政治終焉の大きな流れ。
リクルート事件から20年、細川政権成立から15年が経っても、なかなかスッキリとは整理されず、未だに火種は燻り続けている。
今回、民主党が勝って政権交代が実現したとしても、そう簡単にはリセットはされないのでしょうね。
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ブレトンウッズ・ガット体制の黄昏

2009-07-12 23:34:41 | Economics

またまた日が経ってからのエントリになりますが、7月8日(水)日経新聞朝刊・経済教室は、中川淳司・東京大学教授が筆者。
以下、メモ。

サブプライムローン危機の政界的拡大に無力だったIMF。
開始から8年近いドーハラウンド交渉に一向に妥結の糸口を見いだせないWTO。
筆者は、この事態を、戦後65年続いてきたブレトンウッズ・ガット体制の終焉として捉えています。

そもそも固定相場制を前提に国際通貨体制維持の監視を本来業務としてきたIMFは、ニクソンショックによる変動相場制への移行によりその性格を変質させた。
加盟国の国際収支上の困難に対する融資業務の重みは減り、世銀とともに、途上国や新興国、旧東側諸国の開発と市場経済移行を助言・支援する機関に変質した。
その結果、先進国はIMF・世銀の「顧客」から外れ、先進国間の通貨・金融制度、マクロ経済政策の協調・調整機能は、G7などの「先進国クラブ」が担うようになっていった。

一方、ガットやWTOでは、加盟国の大幅拡大により先進国クラブからグローバルな組織へと変容し、その結果かえって貿易自由化機能は低下した。

そうした大きな流れが解説された後、以下のように論じられます。

今回の危機はブレトンウッズ・ガット体制への重大な挑戦である。危機の規模はIMFの融資能力をはるかに超える。危機が実体経済に及んだため、苦境に陥る途上国はさらに増えやがて世銀の融資能力も超えるだろう。WTOは加盟国が危機対策として導入する保護主義的措置に警鐘を鳴らしているが、この種の措置は後を絶たない。

他方、通貨・金融制度とマクロ経済政策の協調・調整に関する先進国クラブの有効性にも陰りが見える。金融規制の不備が危機を招いたとして、昨年11月以来、金融サミットで規制強化が検討されているが、多くの国が国内対策に追われ、明確な方針を打ち出せていない。

ラクイラ・サミットでも何も実質的なことは決まらなかったようですしね。

で、以上のような現状認識の上で、それを克服するためにどのようなシナリオがあり得るのか?
筆者の見解では、ブレトンウッズ体制の補強による機能回復、新たな多国間体制の構築、いずれのシナリオも現実的でなく、既存の仕組みを統合し若干の新たな要素を加える「第3のシナリオ」しかないだろうとのこと。
考え方としては、通貨・金融、マクロ政策の調整の場として、先進国クラブとブレトンウッズ機構を機能的に統合し、貿易自由化分野ではWTOとFTAを機能的に統合して若干の新しい要素を加える。
具体的には、以下のアイデア。

・先進国クラブの通貨・金融制度とマクロ経済政策の協調・調整業務に利害関係者である金融業界の関与を認め、
・この新たな先進国クラブの協調・調整業務とIMF・世銀の監視・融資業務を統合し、
・WTOとFTAの貿易自由化業務に利害関係者である生産者・消費者の関与を認める。

これらが正しく、かつ、現実的な方策なのかどうかは分かりませんが、ドラスティックに変化している世界に、既存の制度が追い付くのはそう簡単ではないようです。

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都議選

2009-07-12 23:03:38 | Politcs
自民苦戦、民主大幅増の勢い=深夜に大勢判明-投票率50%台に・都議選(時事通信) - goo ニュース

NHKで選挙速報やってるし、一地方選挙というより衆院選の前哨戦という色合いが99%という感じになってしまっていますが。
我が最寄駅でいつも寂しく選挙演説してた民主党のおにいちゃんが、既に当確が出て、全国放送(だよね?)でバンザイしてる姿が映されてるのをみると、なんだかちょっとヘンな感じです。

しかし、今回投票のために改めて選挙公報を眺めてみると、自民党も民主党も公明党も共産党も、主張してるのは子育て支援だとか老人介護支援だとか殆ど差がないんですよね。
都政とかって、実はあんまり争点って無いのだろうか。
選びようがなくって困った末、ひとり異彩を放っていた諸派・現職のおじさんに一票を投じました。

今日は天気にも恵まれて投票率も上がったようです。
なんとくなくいろんな選挙で一時期よりも投票率の向上傾向が見られるような気がする。
これはよい傾向でしょうなぁ。
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