そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「坂本龍馬とその時代」 佐々木克

2010-02-27 21:30:52 | Books
坂本龍馬とその時代
佐々木 克
河出書房新社

このアイテムの詳細を見る


大河ドラマの影響もあり、またしても世は龍馬ブームでありますが、この本は、歴史学者である著者が、フィクショナルな脚色を排して、あくまで史料に基づき龍馬の半生を軸にして幕末史を改めてまとめあげたものです。

といってもこの本で描かれる龍馬の人間性や功績は、一般に広く行き渡っているイメージと大きく異なるものではありません。
黒船来航以降の国家の危機に際して、国の形を作りかえる大政奉還を実現させるにあたっての龍馬の功績はきわめて高く評価されています。

この本を読むと、龍馬が非常に優れたエージェントであり、コーディネーターであったことが分かります。
特に強調されているのは薩摩藩首脳部との強い信頼関係。
薩長盟約も薩土盟約も龍馬の活躍無くしては実現はなかった。
薩摩藩のエージェントとなった龍馬が、京へ長州へ長崎へと信じがたいほどのフットワークの軽さで飛び回った足跡が詳らかになっています。

また、興味深かったのは「攘夷」という概念について解説された部分。
一口に攘夷といってもその概念は幅広く、過激な排外思想に留まらず、「破約攘夷」といって幕府が外国と結んだ通商条約の不平等性を改めようとする思想・運動も攘夷と云うことができる。
さらに、外国との交渉にあたっては無闇に追随的になるのではなく主張すべきところは強い態度で主張しなければならないといった考え方も攘夷と捉えることができる。
そのような、マイルドな攘夷思想というものは開国思想と必ずしも正面から衝突するものではないわけです。
個人的に、この時代、西国雄藩が攘夷、開国とイデオロギーをころころ変えることが、以前からどうも腹に落ちなかったことはこのブログにも書いたことがあるんですが、このエントリこのエントリに書いたように、イデオロギー闘争ではなく権力闘争であったとの整理の仕方をすると理解しやすいのかなと考えておりました。

しかし、本著に拠ればその理解でも十分でないことになる。
著者によると薩摩は「幕府を倒す」とは一回も意思表明したことはないそうです。
西南雄藩や龍馬らに共通していたのは、国家滅亡の危機に際して、まったく頼りにならない幕府や朝廷に国の舵取りを任せていては取り返しのつかないことになる、という真摯な危機感であったようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネタと芸<R-1雑感>

2010-02-24 22:36:02 | Entertainment
あべこうじ大号泣!R-1優勝「やだぁ~」(サンケイスポーツ) - goo ニュース

昨日のR-1ぐらんぷり、ネット上の反応などみてると、かなり不評だったようです。
確かに自分もイマイチだなぁと思いながら視てました。
雨上がりの司会も含めて進行がグダグダしていたという印象も語られてるけど、最近は生放送でのバラエティというのも殆ど無い(「いいとも」くらいか)ので、演者もスタッフも不慣れ、という面もあるのかも。

そんな中でのあべこうじの優勝。
この番組で毎年視てるけど、いやー上手くなりましたね、彼。
以前は売りであるウザさをあえて強調しすぎな感があったけど、審査員の誰かも言ってたように、いい具合に力が抜けている感じでした。

ところで、今回のR-1を視てて何となく思ったのは、ピン芸というのは、「ネタ」タイプと「芸」タイプに大きく分けられるのかな、ということ。
バカリズムや山田よしなんかは、典型的な「ネタ」タイプですね。
発想、アイデアの面白さで勝負し、「演じる」ことには比較的重きが置かれていない。
どっちかっていうと放送作家タイプで、自分自身が演じずに他者にやらせても成立するようなパフォーマンス。
一方で、あべこうじのように、他の人では簡単には真似できないその人ならではのパフォーマンスで魅せるのが「芸」タイプ。
他のファイナル進出者、エハラマサヒロやなだぎ武も「芸」タイプ(なだぎのファイナルのドラえもんは「芸」というより「ネタ」系だったけど…)かなと思われ、そういう意味では今回はバカリズムなど「ネタ」タイプの不振もあって、「芸」タイプが優勢だったのかな、と。
「芸」タイプの中でも、エハラやなだぎ、今回は出てないけど友近や柳原なんかは天性のものを感じるけど、あべこうじの場合は努力で身に付けた感が滲み出ている。
その辺が観ている側に伝わったところが勝因だったのではないかと。

で、さらに思ったのは、「ネタ」タイプが成立するのってピン芸ならではなんじゃないかな、ということ。
1人だから「演じる」部分を完全にコントロールできる。
一方、これが漫才だと2人で演じるのでコンビネーションが必要になる分コントロールに不確実性が発生し、いくらネタだけが良くっても、間の取り方だとかアドリブだとか「芸」の部分がうまくないと面白くならない。
そんなところに違いがあるのかなー、なんて。

素人の雑感でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リブロもキンカ堂も無い池袋

2010-02-22 23:36:59 | Economics

手芸専門店、スーパー展開のキンカ堂が自己破産 負債46億円(産経新聞)-Yahoo!ニュース

 手芸用品販売のキンカ堂(東京都豊島区)は22日、東京地裁へ自己破産を申請した。帝国データバンクによると、負債総額は45億7000万円。大手量販店の台頭や同業者間での競争激化から売り上げが低迷し、債務超過に陥っていた。同日から20店の店舗は閉鎖されているという。

長く池袋文化圏で暮らした身からすると感慨を覚えてしまいます。
実際にキンカ堂で買い物をしたことはありませんが、ある面、池袋東口を象徴する庶民的な店構えは印象的でした。

重なるもので、池袋パルコの書店リブロも昨日で閉店してしまったそうです。
こちらはさらに感慨深い。
自分の人生で、生活圏の「町の本屋」を越えた「都心の大型書店」として初めて意識したのが池袋のリブロでした。

三越の閉店にはじまり、池袋の商業施設の顔ぶれも変わっていきます。
有楽町西武も閉店するというし、ネット販売の拡大など消費のスタイルがここまで変化していくと、駅前の一等地に店舗を構えるコストに見合う利益を出すハードルはますます高くなっていくんでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戦争の映画史」 藤崎 康

2010-02-20 21:27:15 | Books
戦争の映画史 恐怖と快楽のフィルム学 (朝日選書 841)
藤崎 康
朝日新聞出版

このアイテムの詳細を見る


戦争と映画の「共犯関係」、それは戦争プロパガンダ映画といった分かりやすい形だけに限られない。
たとえば空撮技術の高度化は、映画の発展に貢献する一方、兵器の高度化(ミサイル・空爆技術や偵察・監視技術の飛躍的向上)という形で大量に人を殺すことをより容易にしている。
また、人は戦争を忌み嫌う一方で、戦争映画に熱狂する。
そのジレンマをどう考えればよいのか。

数々の「戦争映画」を俎上に載せることにより、様々な切り口から戦争論と映画論が交錯されていきます。

個人的には、憎悪すべき戦争も、人間という業の深い生き物の真理を反映したものであり、そうした真理を暴くのが映画の一つの役割だと考えれば、人が戦争に憎悪する一方で戦争映画に熱狂することにもさほど矛盾は感じないのですが、この本で論じられるような「共犯関係」を意識した上で熱狂することは必要なことであるようには思います。

スピルバーグの「宇宙戦争」のように一般的には「戦争映画」にカテゴライズされにくい映画も含めて、広義の「戦争映画」が数多く紹介されていきます。
残念ながら未見のものが大半。
観るべき戦争映画をリストアップする意味でも有用な一冊かとは思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

景気の波をとらえた所得拡大を

2010-02-17 23:15:23 | Economics

日経新聞朝刊「経済教室」、ここ数日「試論 成長戦略」とのシリーズが続いていましたが、昨日(2月16日)付け脇田成・首都大学東京教授の論文がおもしろかったので、以下簡単に要点をメモ。

一般に景気循環を考える場合、潜在成長率を表す大きな波である「長期トレンド」と、在庫循環を中心とした小さな波である「短期サイクル」を軸に分析がされるが、日本経済の長期低迷を考えるにあたっては、それに加えて「不良債権処理」という中期的な波を考慮する必要があるという話。

即ち、日本のように労働力の調整が遅い社会では、好不況の波に対する売り上げの調整(反応)に比べて、費用(賃金)の調整が遅れがちである。
好況期には、第一段階で売り上げが伸び、第二段階でそれが賃金に反映することで消費や設備投資が拡大する。
ところが、この調整タイミングのずれの合間に不良債権処理が入ってしまうと、設備投資や人件費への波及までなかなか至らず、そうこうしているうちに不況期に突入してしまう。
それが90年代以降の日本経済に、なかなか這いあがれない「洗面器のカニ」状態をもたらしている、との分析。

この呪縛から逃れるには、4~5年に一回のペースで訪れる好況期を逃さずに、賃金上昇を実現して消費拡大による持続的成長を達成することが肝要。
小泉政権期の「いざなぎ越え」は、その絶好のチャンスだったにもかかわらず、小泉以降短命政権が続いて政治が指導力を発揮できず、企業が賃上げを後回しにして、巨額の内部留保を投資に充てた結果、日本の生産構造は世界よりも進みすぎてしまって(過剰設備状況)、かえって今般の不況期の傷を深くする事態になってしまっている。

少子高齢化で経済のサイズが縮んでいく日本では、今後そうそうチャンスがあるわけではない。
民主党政権の「需要サイド重視」は(「皮肉なことだが」との留保付きで)妥当ともいえるが、今は郵政民営化見直しや高速道路無料化などの弥縫策に走ってしまっていて評価できない。
環境が整った企業から確実に賃上げを実現して家計の可処分所得を高め、少子化対策に万全を期す以外に長期停滞を食い止める方策はない、と結ばれています。

「需要サイドか、供給サイドか」という二項対立で語られがちですが、大切なのは好機を逃さないタイミングだ、とのお話。
よく考えれば当たり前の話ではありますが、なるほどと思いました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超絶スピード

2010-02-14 22:27:43 | Sports
4位の上村、涙「悔しいけど満足」(読売新聞) - goo ニュース

いい滑りでした。
ただ、それ以上の滑りをした選手が他に3人いた、ということ。
残念…とは言わずにおきましょう。
メダルだけがすべてではない。
胸張っていただきたいと思います。

しかし、上村も含め上位7人くらいのスピードは尋常ではなかった。
伊藤みきとか31秒かかっているところを、27秒台、28秒台を出してくる。
もはやターンというよりコブの谷間を縫うようにほぼ直線に滑降するという感じ。
上位でもスピードを制御しきれずコースアウトする選手がいましたが、女子モーグルもここまで超絶スピード勝負になってくると、それに耐えるだけの筋力・脚力が必要になってきて、日本人にはなかなか厳しくなってくるかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コクボとかいう奴のこと

2010-02-13 20:59:06 | Sports
国母あわや強制送還 謝罪会見やり直しも反省の色ナシ!?(夕刊フジ) - goo ニュース

スノボ代表の国母とかいうガキの態度が悪いだの反省が見えないだので世間が騒いでいるらしい。
はっきり言ってスノボ競技にも、この国母って奴にも、まったく興味はないんだけど、こういうことがあるとやたらめったら袋叩きにして謝罪させようとする、世間の良識ってやつにも虫唾が走る。
いくら謝らせたところで、こんな勘違い野郎が簡単に反省するとも思えず、勘違いしているなら勘違いさせたままで放置してやればいいのに、と思う。
競技に出場する姿を見るのが不愉快なら、見なければいいだけの話。
実は叩く対象ができて嬉しいくせに、日本代表たるもの品格が…などと空疎な常識論を振り回す形式的なお仕着せパターナリズムが、自分、大嫌いなのであります。

さて、バンクーバー五輪が開幕しました。

自分、女子モーグルだけ観れりゃ、あとは興味ありません。
と思ったら、女子モーグルの決勝はさっそく明日なんですね。
上村さん、ぜひ培った力を最大限に発揮することを願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「毒舌の会話術」 梶原しげる

2010-02-12 22:24:30 | Books
毒舌の会話術―引きつける・説得する・ウケる (幻冬舎新書)
梶原 しげる
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る


フリーアナウンサーである著者が、毒舌の効用について説いた本。

この本がイマイチ面白くないのは、世の毒舌家を称賛するばかりで、この本自体にまったく”毒”が無いからだと思う。
あとがきに自ら書いている通り、著者自身は他人の悪口を言えない生真面目な人物なんだろう。
だからこそ毒舌家に対する憧れも強いのかもしれません。

芸能人を中心に、毒舌家の”技”が数多く紹介されますが、どうも単なる羅列になってしまっている感が拭えない。
著者自身はコミュニケーションの論文なども結構読み込んでいるようなので、もう少し衒学的に毒舌の分類などしてほしかった。
綾小路きみまろの「持ち上げて、落とす」技術の解説はなかなか参考になると思ったし、毒蝮三太夫の口の悪さの中に相手への配慮が絶妙に込められていることの指摘は鋭いと感じましたが、セルジオ越後のような本質を衝いていないスタイルだけの”辛口”や、日刊ゲンダイの中身のない反体制的論調まで十把一絡げで「毒舌」とまとめてしまっているのはいただけない。

まあ暇つぶし程度に読むにはいいかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学生は増えている

2010-02-11 21:32:05 | Society
今日の日経朝刊から数字ネタをもう一つ。
一面の特集「厳寒 就職前線」より。

昨年12月時点の大学生の就職内定率は73.1%と厳しい情勢が続いているようですが、実は95~00年や03~04年の「氷河期」ほど求人状況は厳しくないとのこと。
就職できた大学卒業生の数でいえば、今春は35万人で、バブル期の90年に比べても3万人程度多い計算になるらしい。

では何が就職率を押し下げているかというと、大学卒業生の人数が増えていること。
90年に約40万人だった大学卒業生の数は、大学数の増加に伴い増え続けてここ数年は55万人前後で推移しているという。

意外な数字でした。
要は、就職が狭き門になった一方で、大学入学は広き門になっている、ということのようで。
少子化により、同年齢人口は20年前に比べて7割くらいになっているはずなので、以前は大学に進学しなかった層も進学するようになり、就職で苦労している、という側面があるのかもしれない。
十把一絡げに「大学生の就職状況」として数値を見るよりも、大学生を「層別」に分けてきめ細かく分析を行ったうえでの対策が必要なのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「送りバント」の統計学的評価

2010-02-11 13:48:03 | Sports
今日の日経新聞朝刊、終面文化欄の鳥越規央・東海大学准教授のコラムより。

一点差で負けている9回裏ノーアウト走者一塁の状況、日本の野球においては「手堅く送りバント」というのが定石ですが、数学的・統計学的にはそれは合理的な選択ではないとのこと。
筆者が日本プロ野球の過去データを分析したところによれば、9回裏ノーアウト一塁における後攻側の予想勝率は32.11%であるのに対し、ワンアウト二塁になると28.38%に下がってしまう。
即ち、この状況での送りバントは、現状よりも「予想勝率が下がる」状況を「手堅く」選択しようとする戦術であり、非合理的ということになります。
送りバントが成功したとしても予想勝率は下がるので、送りバント失敗の可能性まで考慮すればさらに損ということになる。

日本の野球界では、このような統計学的考え方はほとんど採り入れられていないが、メジャーリーグでは「セイバーメトリクス」としてかなり浸透している(そして送りバントは戦術としてあまり使われない)とのこと。
日本野球にも統計的考え方が採用される日が来るのを信じて地道に研究を続けたい、と結ばれています。

なかなか興味深い数字が紹介されていますが、これを読んで、それでは日本では何故送りバントが「手堅い」戦術として一般に理解されているのか、その理由を考えてみました。
ノーアウト一塁で強硬策に出た場合、成功すればチャンスが一気に拡大する一方、失敗すると最悪の場合ダブルプレーでチャンス消滅、そこまでいかなくてもワンアウト一塁という状況になってしまう。
ワンアウト二塁とワンアウト一塁の予想勝率を比べれば、前者よりも後者のほうが悪い数値となるのは明らか。
即ち、ここでの行動選択には「最悪の数値が最大化されるような行動を選ぶ」マックスミン原理が働いているのだろうと思います。

日米における送りバントに対する評価の違いには、単に合理的か否かというだけでなく、日本ならではの失敗を恐れる文化というのが影響しているのかもしれません。
また、一試合限定での合理性のみで考えるのではなく、仮に強硬策に出てゲッツーなどという最悪の結果が出たケースにおいて、チームの雰囲気が悪化して以降の試合の士気にも影響する、といったことまで考慮するとすれば、「最悪の場合」のマイナスの期待値に加重して考える必要もあるのかもしれません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする