そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『対デジタル・ディスラプター戦略 既存企業の戦い方』 マイケル・ウェイド、他

2018-04-30 18:39:50 | Books
対デジタル・ディスラプター戦略 既存企業の戦い方
根来 龍之,武藤 陽生,デジタルビジネス・イノベーションセンター
日本経済新聞出版社


Kindle版にて読了。

本書の4人の著者が所属する「DBT(Digital Business Transformation)センター」は、シスコがビジネススクールのIMDをパートナーにして2015年に設立した機関。
デジタルビジネス変革の先端をゆく研究や、企業の経営幹部に対する教育も行っているという。

AmazonやUBER、AirBnBなどデジタル・ディスラプターに着目した本は世の中に数多あるが、重要なのは「ディスラプション」であって「ディスラプター」ではないというのが本書の立場。
現象としてのデジタル・ディスラプションを分析し、特にディスラプターの脅威にさらされている既存企業がいかに対応していくべきかを論じている点が特徴的。

まず、デジタル・ディスラプターが顧客にもたらすバリュー(カスタマーバリュー)を「コストバリュー」「エクスペリエンスバリュー」「プラットフォームバリュー」の3つに分類している。
これら3つのバリューは、複数を組み合わせることでさらに強力な価値を提供できる。
AmazonやUBERを思い浮かべればイメージしやすい。

デジタル・ディスラプターは「バリュー・バンパイア」となる。
自らの競争優位を武器に、市場全体の売上・プロフィットプールを縮小させてしまう。

デジタル・ディスラプションを通じて利益を得られる市場機会を「バリュー・ベイカンシー」と呼ぶ。
だが、バリュー・ベイカンシーを獲得して成功したイノベーター企業も、それを永遠に占領し続けることはできない。
重要なのはディスラプターが成功するかどうかではなく、ディスラプションそのもの、とはこのことを言っている。

既存企業がデジタル・ディスラプションに対処するには4つのアプローチ(収穫戦略、撤退戦略、破壊戦略、拠点戦略)があるとされる。
前の2つは防衛的戦略で、後の2つは攻撃的戦略。
ただし、ここでは類型化程度で戦略のhow-toを詳細に述べているわけではない。
上述したように、バリュー・ベイカンシーを1つのプレーヤーが占領し続けることは難しく、これら4つのアプローチは状況に応じて繰り返し使用するものであることを踏まえてのものだろう。

むしろ強調されているのは、既存企業が身につけるべきは「プランニング能力」ではなく「ディスラプターのスピードや柔軟性に対応できる能力」であるということ。
これを「デジタルビジネスアジリティ」と呼び、「ハイパーアウェアネス」「情報に基づく意思決定力」「迅速な実行力」の3つに分解して解説されている。
「ハイパーアウェアネス」では、従業員を通して情報を得たり、顧客行動を収集する能力、
「情報に基づく意思決定力」では、開放的意思決定を可能にするために、特性の異なる個人やチームの協働を生み出せる能力、
「迅速な実行力」では、リソースとプロセスを柔軟に組み替えて「変化」する能力、
が重要だとされる。
そして、問われているのはリーダーシップであり、「ルールを守るマネジメント」から「今のやり方が正しいかどうかを未来のために考えるマネジメント」へ変革することができるかが勝負だと。

逆説的だけど、ディスラプターこそが、これらのビジネスアジリティに最も長けている存在なのだと思う。
既存企業がディスラプションに対抗するためには、ディスラプターをうまく活用することも必要になってくるのだろう。
それにしても、本書中でも触れられているが、それは図体のでかい既存企業が最も苦手にしていること。
そこを克服するだけの強い意志を経営者が持つことができるかどうかが分かれ道だし、多かれ少なかれディスラプトされることは覚悟するべきなのだろう。
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ハリル解任に思うこと

2018-04-15 15:45:14 | Sports
ハリルホジッチが解任された。

W杯開幕まで2か月しかないのに、という反応が大きく取り上げられていたように思うが、2か月前だろうが、2週間前だろうが、2日前だろうが、たとえ2時間前だろうが、替えるべき状況であれば決断に躊躇すべきではなく、時期は問題ではないと思う。

解任という決断に至った理由としては、直近の国際試合の結果・内容がともに希望が持てないものであったことに加え、選手からの信頼が損なわれ始めている兆候が出てきたことが挙げられている。
それはそれで解任理由としては成立する性質のものであり、重大な要素だとは思うが、気になるのは、はたして、そういった要因で解任することが想定されること、及びその判断基準が、協会とハリルホジッチの間で事前に合意されていたのかどうかだ。
結局、最後は誰かの主観で判断するしかないのだが、それにしても一定の事前コンセンサスが無かったとしたら、恣意的との誹りを避けられないのではないか。

個人的に、最も失望したのは、後任となった西野監督が就任会見で「日本化したフットボール」という概念を打ち出し、メディアや世論もそれに対して肯定的な反応を示していること。
「日本らしいサッカー」「自分たちのサッカー」という、耳触りはよいが何の内容の無いコンセプトを打ち出して世界に挑み、何もできず惨敗した4年前の教訓はどこに行ってしまったのだろうか?

今、日本代表はすごく難しい立ち位置にいる。
アジアで戦っているときは強豪。
だが、ひとたび世界に出ればまだまだ弱小。
欧州のトップリーグで活躍する選手も増えてはきたが、海外勢だけで全ポジション、23人を揃えられるほどの層の厚さはない。
地理的な遠さもあり、選手を集めてチーム作りする機会を得るのも難しいし、アジアでの戦いと世界での戦いとでは求められる戦い方が全く別のものになる。
「俊敏性を生かした、パスで崩すサッカー」などというのはスタイルであって戦術ではない。
相手によって、ポゼッションで圧倒する戦い方も、守りを固めて一瞬のカウンターでチャンスをものにする戦い方も、どちらも使い分けられるようにならなければ、いつまでも今の地位から抜け出せないだろう。

ハリルのやり方が良かったかどうかは別として、「デュエル」「縦に速いサッカー」というのは、日本サッカーが世界と戦うために一皮剥けるためのチャレンジだったのだと思っている。
確かに、それがうまくいっていたとは言えない。
が、うまくいかないからといってまた「日本らしい」サッカーに逃げ込み、たった2か月しか指揮を取らないと思われる指揮官の手に委ねるのでは、4年経って何も変わらなかったのだな、と思わざるを得ない。

そして、ハリルという異分子を取り込んで世界に挑むも、不協和音を克服できず曖昧な判断基準で空中分解してしまった日本代表の姿は、グローバル化だ、ダイバーシティだと掛け声だけは高らかながら、結局は島国気質を克服できない日本の企業や政治や社会の姿と重ね合って見えてしまうのである。
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