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そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『「当事者」の時代』 佐々木俊尚

2012-09-16 14:24:25 | Books
「当事者」の時代 (光文社新書)
佐々木 俊尚
光文社


著者がこの本を通じて述べたかったことは、423頁にある以下の一節に凝縮されています。

 社会のインサイドからの目線は、つねにフィード的な濃密なコンテキストというパラダイムに支配され、そこにはオープンな開かれた社会という視点は欠如している。
 社会のアウトサイドからの目線は、つねに幻想の市民という<マイノリティ憑依>に支配され、決して当事者としての意識を持ち得ない。
 そしてマスメディアは、この濃密なコンテキストの共同体と<マイノリティ憑依>という二つの層の間を行ったり来たりしているだけだった。
 そういう宙ぶらりんな構図のなかで、マスメディアはつねに権力のインサイダーとなるか、そうでなければ幻想の市民に憑依しているだけである。いつまで経っても、日本社会に生きているリアルな人々に寄り添うことはない。ただリアルな人々に対して、経済大国で暮らすなかでつかの間のエンターテインメントを提供する道化でしかなかったということなのだ。 

著者のものの捉え方にはほぼ全面的に同意するし、自分が常々感じていたことをよくぞ言語化してくれたと溜飲の下がる思いがします。
幻想の「市民」に「憑依」し、権力という名の「悪者」を敵視することで、自らが「加害者」としての一面を持っていたことにフタをしようとする。
世論の贖罪意識に阿り、在り体に云えばマスターベーションに逃げ込んでいる。 

そうした<マイノリティ憑依>が戦後日本に蔓延するようになった経緯をエピソードを丹念に拾いながら詳らかにしていきます。

でもね、丁寧なのはいいんだけど、紙幅の量を鑑みるとやはり冗長に感じられてしまうのですよ。
同じことを何度も何度も手を変え品を変え説明されたような。
正直、もう一歩深く、さらに「その先」を論じて欲しいというもどかしさは感じます。

例えば、以下のような点。

第一に、国際比較の視点。戦後日本の敗戦からの立ち上がりや「総中流化」の流れが<マイノリティ憑依>とシンクロしたことは論じられているけど、それでは他の国ではどうだったのか?
程度の差はあるにしろ、先進国では共通に<マイノリティ憑依>の傾向はあるような気がする(あくまで印象だけど)が、日本だけが特殊なのか、特殊だとしたら何がその差をもたらしているのか。

第二に、社会が<マイノリティ憑依>に至るプロセスに対する社会心理学的見地からの分析。
上述したように、<マイノリティ憑依>には贖罪意識や自己満足などの人間社会の病理が影響しているように思えるが、その観点から深く掘り下げた考察が欲しかった。

第三に、ではこれからどうすべきなのかについての具体的な提言。
「これまで」を分析することには丹念に手をかけているけれど、著者の云う『「当事者」の時代』の具体的イメージが殆ど示されていない。
特に著者が得意とするところのソーシャルメディアと当事者性の関係についてはもっと深い考察があるものだと勝手に期待してしまっていた。

ということで、論の深さにはやや物足りなさを感じつつも、その論を展開するために紹介されているエピソード一つ一つにはなかなか興味深いものがあります。
個人的に面白かったのは、戦後の左翼言論が変遷していく過程を丁寧に追った第三章と第四章。
日本におけるベトナム平和運動の初期の眼目が「日本人がベトナム戦争に巻き込まれることへの不安」であったというエピソードや、津村喬による本多勝一批判だとか、なかなか奥深いものを感じます。 

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『あんぽん 孫正義伝』 佐野眞一

2012-09-07 23:30:23 | Books
あんぽん 孫正義伝
佐野 眞一
小学館


「あんぽん」とは、学生時代、孫正義氏が名乗っていた日本姓「安本」を音読みして付けられたあだ名。
日本国籍を持っていなかった頃には「安本正義」だった氏が帰化を機に「孫正義」となったのは、一見すると矛盾に感じられます。
その矛盾にこそ、今では日本を代表する大実業家、立志伝中の人物となった氏の、屈折した複雑な生い立ちが反映されるいます。

ノンフィクションの鬼才・佐野眞一は、孫正義の立志伝には全く興味が無いと言い放ち、孫の父方・母方を三代遡り、在日朝鮮人として差別と金と暴力にまみれた一族の歴史を紐解いていきます。
その過程のダイナミックなグル―ヴ感が堪らなく面白い。

鳥栖駅前の朝鮮人で養豚と密造酒で生計を立てていた一家。
大雨で川が溢れれば豚の糞尿に浸かることになる劣悪な環境で育った孫正義は、父が金貸しとパチンコ屋で次第に裕福になるにつれ、福岡の有名中学から名門・久留米大付設高に入学し、あっさりと中退して米国留学へと巣立っていきます。
父方と母方の親族間の激しい確執は、文中にも使われているように、まさに『血と骨』の世界と表現するのがピッタリな感じで。

こんなにも激烈な環境を潜り抜けてきた孫に、普通の日本の家庭環境に育ったサラリーマン経営者が叶うわきゃないよな、と率直に思います。
著者は、在日の存在が日本人の生物多様性を辛うじて維持していると書きますが、よくわかる気がする。

孫氏に実際に会ったことはありませんが、ちょっと普通じゃ太刀打ちできそうもないエキセントリックさを持っているんだろうなとは想像できる。
スティーヴ・ジョブズも然り、聖人君子のような人物ではイノヴェーターには為り得ないのでしょう。

エンターテイメントとしても抜群に面白いノンフィクション。
原発と炭坑の奇縁に拘ったり、孫氏の電子書籍論に過剰に反発したり、ところどころ意味不明なところもありますが、そのあたりの佐野節も含めてケレン味が堪らない一冊であります。
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