日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
時代は変わる
ビートルズやグールドの頃は、スタジオにこもって完璧な音を創る、というところに精神的崇高さがあると、みんな思っていたのですね。写真右上の本はそういうグールド本のひとつかな。
でも、思わぬ時代の流れ――ですけどよくよーく考えてみればこれは必然の流れでもありましたが――のおかげで録音された音楽のデータというのが異常なまでに簡単に流通するようになったおかげで、ふたたびコンサート、ライブ、「なま」の時代がやってきました。
そして、おそらく今はそちらにこそ精神的高さがあるはずなのです。
高いところばかり見ていては、高みに登ることにならない。精神的高みは横方向にもある
ということでしょう。
最近本屋さんでグールド本の新刊をみつけました。左上のものです。
いまどきグールドなんて、と思って手にとってみました。
結局内容は、グールドがコンサートをやっていた時代全体の雰囲気、のようなものを懐かしむ本のようですね。当然ながら、コンサートをやらない、ということの積極的意義のことは書かれていないのです。
石原さんのように「白人支配」とかどぎつい言葉は使いたくないのですが、ヨーロッパ系の人間のやっていること「だけ」が世界の先端、という時代はたしかに終わったし、はっきり終わらせてしまわないといけないでしょう。
世界の、時代の先端は、たとえば写真下側、コンゴのジュピターさんの試みのなかにある何かなのです。
And the times they are a-changin'...
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