rai info/ライ・ニュース 030

LE RAI EST-IL MACHISTE ?  
 NHKテレビ『フランス語会話』2月号テキストをぱらぱら見ていたら、74ページに Le Rai と書いてあってびっくりしました。さらにびっくりしたのはライの紹介文の中に「ライのどちらかというと男性優位主義という伝統的側面」と書いてあることでした。
 これはなんのことかな、と思います。f(?_?) たしかに今フランスで活躍しているライ歌手はなぜか男性が多いのですが、女性ライ歌手はたくさんいますし、ましてライの精神的始祖、支柱というべきはリミッティというれっきとした女性です。
 歌の内容も、わたしにはとくに男性優位とも見えません。男のライも女のライも等しく愛が満たされないのを嘆く恨み節が主であるはずです。
 おそらくある種のフランス人はそう思っている、くらいの話だと思いますが、そういうのが往々にしてアルジェリア人を怒らせるわけです。かの大ヒット『アイシャ』さえ、ゴルドマンの作った歌詞がアラブ人への偏見を含んでいるとして、これを歌ったハレドを罵倒する人もいるくらいです。06.01.25.

 2月27日に放送を見てみて案外奥の深い話だというのが分かりまして、3月2日の再放送を録画してじっくり見直してみました。焦点は男女不平等がどうのというより、プライバシーということに対するアルジェリア人とフランス人の感覚の違いだったと思います。マルセイユのラジオ局Radio Galereでの話です。問題となっていた曲はアルジェリア系ラッパーFreemanのBladi「祖国」で、90年代末、テロが猖獗を極めていたアルジェリアを題材にしたものです。多く試みられているラップとライの交錯曲の一つで、フリーマンのラップが主体でそれにハレドの声がバックに入っているという体裁のものです。ですからラジオ局にとって問題は曲の内容ではなく、ハレドの声の入った曲を流してしまった、ということだけだと思います。曲の放送後にラジオ局の二人が、女性をテーマにした番組の中でハレドの曲を放送したのはまずかったのでは、てな話をしますが、興味深いのは二人のうちでRadio Galereの代表でもあるアルジェリア系のアジズ氏の方がこの選曲に難色を示したのであり、もうひとりのエチエンヌ氏というアラブ系でない人の方はハレドが何をどうしたのか知らない、という風情だということです。しかしアジズ氏の方はもじもじするばかりで、ハレドが何をしたのか、彼がなぜふさわしくないのかということを、ちゃんと説明しないのです。それでエチエンヌ氏が「説明してくれないならしょうがないね」Si tu veux pas t'expliquer, tant pis ! と言ってこのエピソードは終わりになります。
 ハレドには、認知した子供の養育費をちゃんと払わないというので子供の母に訴えられているというトラブルが以前からずうっと続いておりまして、これは多くの人が知っている話です。真相は見えにくいですが彼にとって不名誉な話であることはたしかです。ただここで注意すべきことは、アラブ人たちが「こんなことをなんで大騒ぎするのだ?」と言っているということですね。西洋や日本の女性にとっては許しがたいことかもしれませんが、アラブ人たちにとってこのように(みんなが知っていることではあっても)他人のプライベートなことをあからさまにとりざたするというのは絶対やってはいけないタブーと感じられるようなのです。西洋や日本ではスターのセックススキャンダルが大々的に報道されるのは「有名税」ともいえるし、またタレントの側がそれを逆手にとってプロモーション材料みたいにしている場合も多いわけなのですが。アジズ氏が「女性についての番組で彼は本当に適格でなかった」と言いながらも事情を詳しく説明したがらないのは、まったく典型的にアルジェリア人的反応であり、こういうところがまたフランス人をイライラさせるんだと思います・・・ なおハレドはこの件に参ったせいか、他にも理由があるのか、今では居をルクセンブルクに移しているそうです。 06.03.04.
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素顔のGT


 フランスのネット情報や音楽雑誌などから、やっとGTの才能が世に認められつつある様子がうかがえて、喜ばしい限りです!
 ちょっと彼とのつきあいの始まりを、彼のプライベートをおかさない程度に書いておきたく思います。

 わたしがGTをやたら褒めるのを、知り合いだからひいきが入っていて大げさに言っているだけだと思う方もいるかもしれませんが、そうではないと思います。
 わたしのライ・ページにはいろんなアーチストがメールでコンタクトをとってくるんですけど、まあ普通は「こんどフランスに行く時連絡する」ということでなんとなくおしまいになっちゃいます。別に嫌っているわけではないんですが、わたしフランスは自腹を切って行ってるわけで、当然かねてからの友人、会いたい人、一緒にいたい人を優先しますから、絶対そういう人と会う時間はなくなっちゃうのです。
 でもジェラルド・トトの才能は創る音を聞けば明白で、「この人には会ってみたい!」と思わせてしまう力を持っていたのです。

 GTのスポークスマンを自任しているファブリスっていうサンパsympaな(フランス語でまあ、つき合いやすい、感じのいい、くらいの意味です)奴の仲介で、パリのわたしの定宿のホテルの前で GTと初めて会いました。もうかれこれ6、7年くらいになると思います。ビーズ。わたしと同じくらいの背丈だと思った。

 そこからGTの車でパキスタン・レストランに行きました。なんて名前だったか忘れましたがパリにはパキスタン料理店がずらっと並んだ通りがあるんですよ。さすが本場の(?)カレーは美味しい!(金沢・野々市のルビーナも美味しいですけどね。 (^_-) )

 彼はそんな大スターというわけじゃないけど(でも早くなって欲しいですね)、彼の周囲の人はみな彼の才能に敬意を表している感じでした。こういうところはフランス人のいいところじゃないかと思いますよ。アルジェリア人だともっと自分のプライドにこだわると思う(それも必ずしも悪いことじゃないけど)。

 GTは歌もうまいし、声も官能的で個性的だし、作曲もプロデュースもみんな卓越してるんですけど、詩の才能も見逃せないです。なんとなく昔の名作との連関性を感じさせるところがあるのも興味津々です。

 ファーストアルバムの Les Premiers Jours。日本盤タイトルは『はじまりの日々』となってましたけど、そおじゃない! 雨の季節が終わり、太陽の恵みに満ちたカリブの夏が始まる、その「最初の光」ということなんです。・・・なんだかこれだけでこのアルバムの性格が分かる感じですね。陽光ふりそそぐ浜辺、きらめく水しぶき・・・そんな爽やかさを連想させる音であり、歌詞でもありました。
 あんないいアルバムが廃盤なんて、世の中間違ってるよ。 (`へ´)

 L'Elephant 『象』。ちょっと悲しいけど、いい歌だなあ、この歌。人間のハンターの前に身を守るすべもなく倒されてしまう象さん。サバンナの王、動物界の「記憶」である象さんは王座から追われ、ハイエナ共の嘲笑のまとになる・・・ 
 「ねえジェラルド、この歌ひょっとしてボードレールの『アホウドリ』意識してなかった?」
 「さあ、考えなかったなあ」

 Libellules 『とんぼ』。これも悲しいけどいい歌。愛する二匹のとんぼの片方がクモの巣に捕まりながら、相手の幸せを願う・・・
 「これラフォンテーヌの『二羽の鳩』に似てない? 君のでは破滅する片方が相手を幸せへの旅に送り出すわけだけど・・・」
 「いや、考えなかったなあ」

 そういわれても、なんかあるみたいに思えます。 (^_^)  GT、詩人だなあ。

 新作の Kitchenette (このアルバムは家族との日々の生活という彼にとってよりアンチムな世界を歌っていると思います)では Buisson dormant が好きです。「この娘は乾いている」Cette fille est seche というドキッとさせるフレーズから入って、その娘を「母音」で瑞々しくしていくという、見事な趣向。
 GT独特のエロチスムも印象的ですよ。前作の Bonne nuit とか今度のアルバムの Tes dessous とか。 (^_^)

 新作は3月27日発売ですが、一枚目の Les Premiers Joursも再発売してほしいものです。




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