「もつ」ということ


 マルローついでにもうひとつ。

 禅の高僧の肖像に限らず、掛け軸の絵にはよく「賛」がついてますね。絵の上になにやら書いてある、鑑賞者のコメントです。ハンコも押してある。ある意味でこの絵を「所有して」「もって」、その絵にコメントを付け加えることをもって「参加して」しまう。

 「中国においては、宗教的なものを除いて、作品の享受はその所有ということにまず結び付けられる」(『空想の美術館』)

 ぜんぜん話ちがうのかもしれないけれど、断捨離的ミッションの仇敵的な思想。

 「大体私が勉強をしますときには、その後の勉強の仕方におきましても、この人と思うような研究者の学問の全容を、全体系きのいてうかがうというようなことを致したいと思いまして、なるべく全集を買いました」(日本経済新聞2007年9月2日、三浦雅士による引用。原典は白川静「京都の支那学と私」、『桂東雑記I』(平凡社、2003年)収録)

 お金を出して買って「もって」いなければ、白川静はあの大学問体系を構築できなかったのだろうか。

 もつってなんだろうね。
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