フランス語をどう「売る」か

16. (前のエントリーの続きです) ところで「ステレオタイプのフランス・イメージでもフランス語教育のために『積極的に』利用すべきなのか?」というのは、大問題です。会場の末次さん(この人、まだ若い学生なのに台北までやってきたそのファイトを讃えたいです)からの質問に関連して、シン=ピン・チーさんはそのことに否定的見解を示したと思います。でも姫田さんは「フランスの固定イメージを崩すというのは、果たしてフランス語教員の役割なんだろうか? それは学習者自身のすることではないか」と疑問をなげかけていました。

 ほんと、これは難しい問題なんですよ。

 われわれがフランス語を売るビジネスマンで、それ以上でも以下でもないとするなら、われわれにとって資本主義的に正しい行為というと、世に広がっている固定イメージを最大限に利用して、それを煽って、やれブランドだ、芸術だとハイソなイメージでお客を釣ることじゃないかと、わたしでも思います。
 つまり、その方が学び手にも抵抗が少なくアピールして(つまり労力、時間、大きな意味での「コスト」がかからずに)フランス語クラスに学生が集まり、大学でもクラスを減らそうとはしなくなるように思います。

 しかし・・・それでは「教育」にならないんですよね。

 フランスの持つ小さな一傾向を針小棒大にして、バランスを著しく崩して提示するというのは、資本主義的には正しくても、教育的には全然正しくないです。
 ここが問題なのです。

 しかし一方、わたしみたいにやれライだ、アラブだ、こういうのがよく分かるにはフランス語が要るのだと、旧来の日本におけるフランス・イメージを壊すようなことばかり言うのも、大局的に見るとどうなんだろう、と思います。
 「ハイソ」路線と「ライだアラブだ」路線を二つとも推進するのでは、日本人のもっている「フランスイメージ」に混乱をまねいて、フランス語の「販売戦略」として失敗になるかもしれない、と思うからです。
 失敗でもいいじゃないか、と簡単に言ってしまうわけにも行きません。学習者の絶対数が足りなくなっていることが問題なのですから。

 実はこの疑問は昨年5月の日本フランス語教育学会のシンポジウムでわたしがパネラーやったときも、会場や他のパネラーに投げかけました。でも明確な回答はみなさんもっていないみたいです。

 ちなみにこのシンポは姫田幹事長が企画して、自分で司会もされたものでした。彼女はフランス語教育における「文化」面が専攻でもあるし、この問題にはずいぶん頭を悩ましてるんですね。

 あと他にも会場からいろいろ質問がでましたが、台湾で多くの人のフランス・イメージとしてアンケートで顕著に現れたものなのに日本では皆無だった「ロマンチック」という形容詞について、日本の立花会長さんと韓国の先生(だったと思います)が、文学史的にはどうであるかという観点から発言したところで時間となりました。

補足:一番上のところですが、末次さん自身は別に「ステレオタイプイメージを利用せよ」と主張したわけではありません。ちょっと誤解されそうな書き方になってましてすみません。 m(_ _)m
姫田さんについても同じことがいえると思います。彼女は、わたしのような傾向の教員も含めた複数の教員の持つフランス・イメージの違いを肯定して話をしている人だと思います。
どうもこれ、書き方が難しかったですね・・・ m(_ _)m 06.06.12.
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コメント
 
 
 
Unknown (trotteur)
2006-06-15 00:09:20
 >「ステレオタイプのフランス・イメージでもフランス語教育のために『積極的に』利用すべきなのか?」



たしかに、大問題ですね。



私としては、既存のイメージを壊して、より現実的な教育になって欲しいと強く思っているのですが。



そういうイメージを持ったままフランス語を学んだ人がフランスに行くと、現実のフランスやフランス人を受け入れられずに、適応障害を起こしてしまうことがしばしばあります。なので、もし、イメージでフランス語を売るのならば、そうやって学んだ生徒たちには、学んだ後にフランスやフランス人とはあまり関わらないように忠告した方が良いかもしれません。(^_^; 



…という変なことになるので、現実的な面、つまり日本人には理解しがたい部分も積極的に教えた方が

あとで絶対にためになります。



第2外国語を学ぶということの意味は、単にその言語を習得するというだけでなく、(仮に習得にいたらなくても)日本や他の国のことを相対的に認識できるようになるためという側面もあるわけです。とすれば、自分が勝手に抱いていたイメージを捨て、外国のあえて理解し難い部分(マイナス部分も含めて)を知るということも教育に意義を持たせる上で不可欠な要素だと思います。



たとえば、社会構造や世界観や付き合い方などです。「階級」の存在とか、(下のエントリーでウォーラーステインとあったので思い出しましたが)アナール派の「中心と周縁」的世界観とかは目新しいのではないでしょうか。そういうのを知ると、逆に日本の社会構造とか日本人の世界観・生き方が自覚されるきっかけになったりもします。イメージに合うよりも、イメージにないところが刺激になってかえって良くありませんかね。



これまでよりフランスイメージを良くするのは難しいというのもありますから、より現実路線にシフトして、現実路線で生徒を増やすことを考えてはいかがでしょうか。



私の考えは以上ですが、しかしそれでも生徒が減るかもしれないではないか、という懸念には答えになっていませんね。すみません。m(_ _)m



でも、現実のフランスやフランス人に向き合わないフランス語学習者というのは、かなり馬鹿げているように感じるのです。それに、現実離れした「良いイメージ」を利用してフランス語の普及をするなら、現実離れした「悪いイメージ」を言われても、それを批難する資格がなくなってしまう恐れもあります。
 
 
 
本を読むことの功罪 (笑う大天使ミカエル)
2006-06-17 08:49:56
わたしが外国語学習に関心を持つ者です。興味深いお話を聞かせていただきました。でもこれはフランス語にかぎったことではないでしょう。ロシア文学にあこがれてロシア語を学んだ人が、現実のロシアにショックを受けて、モスクワの寮の部屋から出られなくなったという話を知っています。



東洋史学者の岡田英弘氏は「この厄介な国、中国」の中でこう述べています。漢文に書かれているのは一種のユートピア物語であり、漢文を読み込んで、中国大陸には義に厚い人が大勢いると思い込み、実際に中国人に接してショックを受ける人は後を絶たない。



そして、漢文を通じて築き上げた中国人のイメージのほうが正しく、現実の中国人のほうが間違っていると思う人も珍しくない。中国史学者にはこういうタイプが多い。



ここまでくると、本を読んで夢を見ていると言うべきであろう。日本の知識人は、長い間外国に行くことが困難であったため、本を読むことで外国文化を理解しようとしてきた。本を読んで頭の中で美しいイメージを作り上げてきた。外国に行くことが困難な時代には、そのイメージを売るだけで学生は集まり、教師を尊敬してくれた。しかし今日のように誰もが簡単に外国に出かけるようになると、そのイメージの嘘が容易にばれてしまうため、その方法は通用しなくなっているのである。
 
 
 
Unknown (raidaisuki)
2006-06-17 15:10:19
trotteur様



 こんにちは。 (^_^)y



「イメージでフランス語を売るのならば、そうやって学んだ生徒たちには、学んだ後にフランスやフランス人とはあまり関わらないように忠告した方が良いかもしれません。(^_^; 」



 うわ、すごいパラドクス・・・ f(^_^;)

 問題のひとつは、世の中に教育者はいなくても商売人は必ずいる、ということかとも思います。日本に進出しているブランド物のフランス企業は、とうぜん高級イメージを維持、エスカレートさせることが自分たちに高利潤をもたらすと考えて実践していることでしょう。

 その力を無にすることはまず無理です。

 あとは学生に、企業のイメージ戦略に惑わされないようにしなさい、という非常に一般的な心構えの教育を心がけるだけです。





笑う大天使ミカエル様(すごいお名前ですね・・・ (^_^;) )

 

 はじめまして。 (^_^)



「しかし今日のように誰もが簡単に外国に出かけるようになると、そのイメージの嘘が容易にばれてしまうため、その方法は通用しなくなっているのである。」



 かもしれません。でも、空港から名所旧跡、ブランド物の本店にバスで直行して即帰る、式の旅行が「経済的」だということで一般的になるようなことがあっては、それも怪しいかもしれない、と思います。



 おっしゃるとおり、この問題はまったくフランスに限った話ではありません。「国」に限らず、あらゆる「他者」についてこれを考えていくと、おおげさに言えばなんだか人間の生き方というものの本質に関わりがありそうな問題のようにも思えてきます・・・

 
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