日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
ベランジェとフランスの歌
昨日は青山学院大でスタンダール研究会があって、彼とベランジェについての発表をしてきました。準備が行き届かなくて冷や汗ものだったですけど。f(^_^;)
上はこういう研究会のとき配布する資料です。ベランジェの肖像をつけときました。
Pierre-Jean de Berangerというのは19世紀前半に活躍した「シャンソン作家」です。彼の歌は巷に流布して、フランス人なら知らぬ者がないほどになってました。この人をスタンダールはたいへんほめています。これほどほめている同時代の文人はいないくらいなのです。
ただベランジェの歌というのは政治的風刺、社会的悪弊を揶揄することにその本領があるもので、音楽的に優れたものを作るということは彼の頭にはなかったようです。だいいち彼は自分ではメロディーはほとんど作らず、民謡とか当時流行の音楽入り劇の挿入歌とかを流用していました。だから今日の感覚で言えば彼は「替え歌作家」とでも言うべきです。
それもあってか、今日ではベランジェの歌というのはもう全く忘れ去られてしまっていると言っていいと思います。
誰も聞いたことないと思ったので彼の最初の「ヒット」である『イヴトーの王様』Le roi d'Yvetotを、発表の席上ちょっと自分で歌ってみました。
受けたかな? f(^_^;)
昨日は夕方には「アンダルス→シャアビを聞くつどい」(でしたっけ、正確な名前を忘れてしまいました。於「国境の南」です)に行きましたが、ちょうど蒲田耕二さんがおられましたので、ベランジェについてお話をしてきました、とお伝えしました。
蒲田さんのご見解は、歌詞の内容、特に政治的な内容にもっぱら注意が行ってしまって音楽面を軽視するのがフランスの民衆歌曲の欠陥、ということだと思うのですがベランジェもその典型例でしょう。
このへん、ちょっとフランスの困ったところですね。
でも、それでもフランス歌謡に傑作がないわけではないのです。そのあたり蒲田さんの御本をご参照ください。 (^_^)y
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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個人的には、たとえばグナワ・ディフュジオンの歌詞でも、政治性は薄いと思っています。日本ではあの程度で大騒ぎですからねぇ。
結局、お稽古事の範疇を脱していないのでしょう。形式さえ修得すれば、心も表れるってやつです。
音楽と詩とは別に敵同士ではなく、相乗効果が起こればすごいことになる間柄にあると思います。
詩の深い理解と音楽の深い理解は両方とも、創作する側にも享受する側にも必要ではないでしょうか。
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のおおしまさんの共同編集者の方の書いておられることから、リズム、ビートというのがいわゆる時間に先だって人間の中に存在するかもしれないという予感を持ちました。 (^_^)