日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
「フランスは言葉を大切にする」で話を終わりにするべきではないです
今月の『日経』の「私の履歴書」を書いておられるのは元野村証券の寺澤芳男氏です。この寺澤氏が多国間投資保証機関の長官に就任された話が19日号に載っておりました。
ところで設立の際に、この機関の憲章にフランス語を使わないと参加しないぞと「ごねた」話が出てきます。
このことに関する寺澤氏の述懐は「(フランスは)言葉を大切にする国だという強い印象を受けた」というものなのですが、これは日本の多くの方がフランスのこういう行為を目にするときに持つ一番多い反応だと思います。
おそらくこれには例のドーデの『最後の授業』みたいなのが多くの日本の人の記憶に刷り込まれているということが影響しているのかもしれません(あの短編は端的にいって「やばい」というのが現在の文学研究界ではもはや一般通念といえるものになっていると思います。ただ今度は逆にあれをヒステリックに弾劾する向きが出てきますが、わたしはこれもあまり適切なことではないと思います。歴史的にフランスで非常に排外的-というかはっきり言って対独復讐の怨念に燃えた-ナショナリスムが力を持った時期の文学作品であり、少なくともこれをそのまま今現在のフランス、フランス人にあてはめてもあまり意味はないと思います)。
寺澤氏のような偉い方に難癖をつけるようで申し訳ないのですがあえて申します。わたしは、フランスは確かに言葉は大事にするかもしれませんが、そこで話を終わりにすべきではないと思います。
さらにフランスがいつもフランス語擁護を言いたてるのは、いわゆるナショナリスム、日本の一般通念における「ナショナリスム」の発現ともちょっと違うように思います。
またいつものお話の繰り返しになるかもしれませんが、要するにフランスは「万年二位」の国なので、昔はイギリス、今はアメリカに対して対抗するために、なんか「普遍」みたいなものを持ち出して三位以下を糾合して一位に対抗しようとする。それの繰り返しだということがここにも関わっていると思うのです。
オリンピックって、フランス人のクーベルタンが作ったんじゃなかったですか?
ワールドカップの優勝杯って、ジュール・リメというフランス人の名前が冠してあるのじゃなかったですか?
万国博覧会って、パリの万国博覧会協会のお墨付きをもらわないと万国博覧会って名乗れないことにしてあるのじゃなかったですか?(この最後のに関してはさすがにわたしもどうかと思いますけど)
昔はともかく(という書き方をすると四方八方から、特にドイツ語関係からは「何をいまさら・・・」という反感を、口に出さずとも抱かれるかもしれません。これはまったくもっともなことです。これについては次に書かせていただきます)、今はフランスは「多言語主義」擁護なのです。「フランス語を入れろ」というのは「英語とフランス語にしろ」というのではなくて「英語だけにするな」ということであり、フランスがいま言っていることをほんとに真に受けるなら「フランス語に続いて、他の言語ももっと傲然と自己主張して、上層部に割り込んできていい」ということなんですね。
事実上他の言葉がフランス語と並ぶことはほとんど無理なので苦笑するしかないですが、でも一応名目がたつことはたつのです・・・ (つづく)
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