日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
藤井大丸

新春の京都。
四条歩いてて感慨深いのは、藤井大丸がまだある、ってこと。
わたしのものごころついたころからありまっせ。
全国チェーンでもないのに、しぶとく生き残ったはりますなあ。
中に入ってみたら、若い女性向けのブチックばっか。
人気店は、会計に行列が出来とる。行列最後尾の看板まで出とる。↑
なるほど、中身は昔と全然違うから生き残っとんにゃわ。
[訂正] 「人気店」て、最初「ジェラート店」と書いてたんですが、これジェラート・ピケってブティックなんですね。失礼しました。

この階にジェラート店があるなんて変だなとちょっと思ったんです・・・
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金沢の山

これ、大みそかの写真ですが、金沢港から山がよく見えた、っていうことです。
きれいでした。
まるで『パルムの僧院』でファブリスが牢獄から見た(ほんとはパルムからは遠くて見えるわけないんですけど)アルプスの山々みたい。
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ひーひー
また忙しくなってしまいました。師走。
「わたしの今年のベストアルバム」、ゆっくり考えてられないですけど、なんとか年末までに決めます(決めたからってどうってことないですけど)。
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巨大なドイツ
『日本経済新聞』の今月の「私の履歴書」は松本幸四郎さんですね。
昨日かおとといの回で、この方が早稲田大学を受験されたとき、外国語をフランス語で受けた、フランス語受験者は彼ひとりだったということが書いてあって、へえと思いました。これはなぜだろう?
今日12月11日号、「文化」欄で小杉小二郎氏が中川一政についてヨーロッパに行けるというときにフランス語力を尋ねられ、「大学ではドイツ語を習った。フランスは隣の国だから言葉もきっと似たり寄ったりだろう、と踏んだ」と、超いいかげんな若き日のことを語っておられるのも興味深いです。
さて樺山紘一氏の「欧人異聞」ですが、ボワソナードが出てきました。
日本に22年もとどまり日本の法体系の大本を作ってくれたと言っていい、フランスの法学者です。
「原案の基軸をなしたのは、明治政府が招聘したお雇い外国人、ボワソナードと、その日本人弟子たち。かれらは、おもにフランス民法の理念を忠実に踏襲し、個人の平等と自然法にもとづく人権思想で武装されていた。反対派は、おもに古来の家族倫理に固執するひとびと」
「論争は、一見すると後者の圧勝にみえる。さはいえ、じつは明治民法のあらましは、前者の近代法学理論によって組み立てられていた。見方はわかれるが、わたしはそう信じる。そのうえで、太平洋戦争ののちに、本来の民法が純粋なかたちで施行されるようになるだろう」
と書いてあるのですが・・・
この話になると、この「見方はわかれるが、わたしはそう信じる」みたいな言い方がよくでてくる気がします。そんなに分かりにくい話なんでしょううか?・・・わたしはいつも違和感をおぼえます。
もっと奇異なのは、この記述だと日本民法に関してはフランスと日本だけで話が済んでしまうようにみえることです。
そんなことは全然ないです。ドイツという巨大な存在があるではありませんか。
日本の法体系はフランス法にドイツ法が接ぎ木されたような格好になっていて、ついでに言うとそこから先の運用面では完全にドイツ法の発想が幅を利かす世界になるのだと思います。これで間違いないですよね?
樺山氏でさえなんだか変な書き方をされるんですね・・・
19面の「今を読み解く」欄がちょうど民法改正の話(執筆:瀬川信久・早稲田大学教授)ですが――こういう風に同話題がひとつの号に集結するのは偶然のわけがなくて日経さんの意図的紙面構成だと思います――、ここでは、日本民法との関わりの文脈に限ればドイツもフランスも出てこない。
今の日本は「アメリカ化」を進めて時代にキャッチアップしようというのが基本姿勢みたいで、そのこと自体は仕方のないところもあり、全くの間違いとも言えないかな、と思います。フランスだってサルコジさんはそういう感じですしね・・・
ただ「アメリカには法曹養成のロースクールはあるが、法学部はない」のです。
将来的には日本はロースクールだけにして法学部は廃してしまうんでしょうか?
わたしは気がつかなかったですけど、既にそういう話になってしまってるんでしょうか?
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あさぎ

東京に出る飛行機の中で機内誌『翼の王国』読んでて、はっと思いました。
「アサギ」というのは沖縄で「神事などを行う建物、場所」を意味する言葉なのだそうです(青柳拓次「Yanbaru, Blue & Green ウンガミと芭蕉布と」、『翼の王国』no.509, November 2011, p.85)。
『よつばと』にでてくるあさぎさんの名前の由来が浅葱色だという話は、たぶん隠れ蓑でしょう。
作者あずまきよひこさんは沖縄にもこだわってますが、『あずまんが大王』の神楽、榊の名前の例からも分かるように、ある種「神的」なものを作品にこめる姿勢も濃厚ですね。
さて、なぜだろう? というか読者はそこから何を受け取れるだろう?・・・
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いそがしいいそがしい
書くことがないのではなくて書く時間がないです。ううむ。
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おかしいな
Wikipediaが表示されない・・・
[追記] ああ、元に戻ってますね。
もしWikipediaが突然消えるようなことがあったら、これからの世界の人々の知的活動の形が変わるなあ、と一瞬思った次第です。2011.11.19.
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