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チュニジアの新聞

 わたしはアルジェリアとフランスの新聞でジャスミン革命をフォローしてます。チュニジア自体の新聞はネットでは現在見にくい状態になってます。
 これらが読めるようになったとき、チュニジア人たちの肉声がはっきり聞こえてくるでしょう。

 アラビア語とフランス語で。

 これをご覧ください。言うまでもないことなのですが、チュニジア国内にはアラビア語紙でなければフランス語紙しかないです。

 だから英語だけじゃだめだ、と言ってるんです。


[追記] Le Temps紙が声をあげました。

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条件法


 既に「ジャスミン革命」Revolution du jasminという美しい名前がつけられたチュニジアの動乱ですが、もっぱらLe MondeとかEl Watanとかのフランス語メディアで見てます。報道文は条件法(つまり「~らしい」とか「~の模様」とか、不確実、推測を表す動詞の法です)のオンパレードですが。

 民衆に発砲するよう命令された軍がこれを拒否、大統領打倒の前面に立ったらしい。
 ベンアリ大統領がどうやって国外脱出に成功したか定かでないが、おそらくリビア(つまりカダフィ大佐)が手を貸したらしい。
 とにかくフランスはベンアリ大統領の受け入れを拒否、いったんフランスに飛行機でついた親族もドーハに送りだされてしまったとのこと。
 憲法上は60日後に大統領選挙をしないといけないが、これでは短すぎるというのが大方の意見で、国際監視団を入れて半年後くらいに実施、というのが常識的かとみられている。・・・

 現在新体制樹立のための努力がなされていますが、話し合いから共産党le Parti communiste des ouvriers de Tunisieと原理主義政党l'Ennahdhaははずされています。
 現在の動きを楽観的、好意的に見過ぎるのもなんですが、逆にイスラム原理主義の伸長の脅威と同一視してしまうというのも、少なくとも現時点では時期尚早かと思います。
 ベンアリ大統領は言論の自由を抑圧していましたが、とくに原理主義は厳しく抑え込んでました。今回の蜂起に直接原理主義勢力が積極的役割を演じたということはないと思います。彼らが状況を利用しようとするのは、これからでしょう。
 しかしこの種の暴動のあと原理主義政党に自由な活動を許すとどういうことになるか、1988年以降のアルジェリアのこと、アルジェリア人が原理主義の暴力にどれだけ苦しんだかをみなよく憶えてますから、なんとしてもそれは避けたいと大多数の人は考えるはずです。

 チュニジアがこのあたりをうまくクリアしてくれるなら、そして今の国の成長にふさわしい政体を樹立することに成功するなら、ジャスミン革命は世界史上の画期的事件としてその名をとどめるでしょう。

 センター試験にも頻繁に出題されるようになるでしょうね。いや、出題されるようにならないといけません。




 
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 チュニジアでは軍と前大統領護衛隊が銃撃戦を展開したという報道がありました。
 ベンアリ政権が倒れたのは、大統領が軍の支持を失ったことが決定的だったのでしょう。

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動くときは動くものです

 状況というのは、動くときにはあっという間に動くものです。
 23年政権を維持し、盤石の構えに見えたチュニジアのベンアリ大統領が、あっけなく亡命してしまいました。ちょっと信じられないです。大統領が向かったのはサウジアラビアだということです。

 状況が動いているうちにチュニジア人たちがどこまでのことを達成するか、注目したいものです。暫定大統領となったMohammed Ghannouchiはベンアリに忠実な人物とされていますから、チュニジア人が血を流してえた勝利が適当にごまかされてしまう危険は大です。

 写真(↑)はわたしがチュニジアを訪れた時に買った新聞 La Presse de Tunisie (1999年9月24日号)第一面です。左側の写真はベンアリ大統領が農業経営者を集めた集会についての報道で「ベンアリ:チュニジアの成功は農業部門の競争力獲得にかかる」という見出し。右側の写真は大統領が模型を見ているところで「チュニス湖:大統領、北東地域の整備にゴーサイン」とあります。

 言っては悪いですが、おもしろくないです。わたしのような人間が読んでも得るところはないものです。

 アルジェリアは1988年に多くの血を流しましたが、少なくともそれによって独立メディアを誕生させることができ、読んで面白い、意味のある報道がアルジェリア発信で得られるようになりました。わたしがときどき引用する El Watan紙もその代表的なもののひとつです(ライについてもよく報道してくれますしね)。
 アルジェリア人は、あと一息 encore un effortです。

 今回のチュニジア、アルジェリアの暴動は他のアラブ、アフリカ諸国に飛び火する気配も見せているようです。(それにしてもモロッコは、動かないだろうか・・・)

 ヨーロッパ史でいうとフランスが引き金になって各地で革命が起こった1830年や1848年の情勢を想起させるところがあると思います。
 でも現在の世界史の前線は、まちがいなくこのあたりにあるのです。

 いまアラブ、アフリカ諸国に注目して勉強しなくて、どうしますか。

[追記] ガヌーシ首相には正式な職務移譲がなされていなかったということで暫定大統領はFoued Mebazaaになっています。
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チュニジアの暴動


 (いちおうこのブログには「チュニジア」というカテゴリーがあるのです。でもまだエントリーがひとつしかありませんでした。オリンピックでチュニジア選手が金メダル取ったときご祝儀でたてたカテゴリーだったので)

 チュニジアでも暴動が起こってます。こちらはアルジェリアよりもっと弾圧がきつく、既にすくなくとも35人が死亡、とアルジェリアの新聞El Watanは伝えています。

 世界経済が冷えこんで「先進国」も困っていますが、その影響をチュニジアのような国では、若者が命で支払うことになります。
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チュニジアに金メダル

 オリンピックの水泳男子1500m自由形で、チュニジアのメルーリ選手が金メダル取りましたね。
 チュニジア史上初の金メダルだと思います。おめでとうございます。
 ご祝儀でカテゴリー追加しました(↑)。f(^o^;)

 アルジェリアの人たちは、うらやましく思ってるでしょうね。 (T_T)

 ・・・ あ、ところで女子マラソンではアルジェリアのスアド・アイッサレム選手が13位の中村選手より先にゴールインしてましたね。10位くらいだったんでしょうか(ウェブで調べても正確な順位がわかりませんでした。(^_^;) 明日のEl Watanに載るでしょう)。

(土佐選手は故障だったんでしょうね。ゆっくり治療に専念していただきたいものです。中村選手は2回目のマラソンでよく頑張りました)

[追記] 正しい綴りはAit Salemですから「アイト=サレム」選手でした。よく考えたらオリンピックそのものの公式サイトに詳細なデータが載ってるはず、と気がついて探したら、ありました。ここ(英語)。9位でした。
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