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かなだはなかなか、かな? 2


 これがアングリカン、だったと思いますけど違ったらごめんなさい。

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かなだはなかなか、かな? 1


このエントリーから続きます)

 そんでもってモンクトンの続きですが、各宗派の教会の集まっている四辻がありましたよ。

 これがプロテスタント、だったと思います。違ったかな?

 明らかに違うと思われる場合は、ご指摘ください。よろしくお願いいたします。

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Rwanda ルワンダ


 "Rwanda" on the first page of Japanese newspaper
 "Rwanda" a la une du journal Nihon-Keizai-Shinbun.

 今日は日経は第一面に「ルワンダ」の名前が載ってました。おっ、と思ったのですが、お話は「女性」パワー活用の文脈でした。

 女性の話のみならず、ルワンダは経済発展の面でアフリカの中でも注目すべき国だと思ってます。

 ルワンダは例の大虐殺があった国ですが、その文脈で語るのはよいとして、それだけでは不十分という時代に入ってきていると思います。潜在的経済的パワーとしてウォッチングするという観点が広まってしかるべきです。それでなければ日本の人々は世界の現勢を見誤まってしまいます。


 わたしのアカネ教科書のlecon 8とlecon9にアフリカ某国の外交官が出てきます(↓)。彼を導入したとき、いちおうなんとなくルワンダのことが頭にありました。もっともルワンダの外交官がサイードという名前なのはちょっと不自然かも、等々ありますから結局架空の国の話なのですが。



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女性面


 日本経済新聞が、今日から「女性面」をスタートさせました。
 Le journal Nihon-Keizai-Shinbun a commence a consacrer une page entiere aux FEMMES.


 なるほど、結局日本はこの観点からも世界の趨勢に遅れ気味ですからね。



 ちなみにこの日はドイツのクラフトワークの来日、それからドイツの「ドレズデン=エルベ渓谷」が住民の意思による道路建設決定のため世界遺産認定を取り消された話が載っていて、なんとなくドイツの人々の心のありよう、たたずまいが感じられたような気がしました・・・   

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初の、って・・・


 新聞記事ついでにもうひとつ。

 同じく日経の16日付けですが、天皇皇后両陛下が長野県に「初の私的旅行」をされたという記事が、実に小さく載ってました。

 あの、「初の」って、いつからの「初」なんでしょう?
 ご結婚以来ということ?
 それとも天皇即位されてからということ?

 これは「お二人では初」という意味だと思いますが、そもそもこれまで歴代の天皇に「私的旅行」ってあったことになるのか・・・わたしはよくわからないです。
 ひょっとして「初」って、神武天皇以来とかいうことないでしょうね。それだったら怖い・・・ 
 
 要するに陛下はこれまで「奥さん」とプライベートで旅行することすら「できなかった」のを、今回敢然と行った、ということです。
 天皇制とは何か、と知識人はこれまで膨大な議論を重ねてきたのに、ある意味非常に画期的なこのご旅行に、みんな何も言わないとは。

 日本も、おかしな国だな・・・
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アフリカ、中国、日本


 フリーメイソンとアフリカの興味深い関係についてはまたいずれ書きます・・・

 今日、4月21日の日経新聞に「アフリカ経済の未来」という記事が出ていました。

 「国連人口局の世界人口予測を見ると、22世紀前半、世界の人口分布は、アフリカが40億人、アジアが40億人、その他が20億人になるようだ」

 「中国やインドを含むアジア社会は、これから高齢化社会に向かっていく。しかし、百年後のアフリカ社会の担い手は、なお青壮年時代である」

ということです。それなのに、ああわがニッポンは:

「アフリカ在住の日本人は数千人にすぎないが、中国人はすでに百万人に達したともいわれる。外交官から労働者まで、その層は厚い」


ということですね。ああ、もう中国にはかなわない、ニッポンは没落するしかないか・・・

という状態のまま「そんじゃ、あと洪水来るかもしれんけどわたし知らんけん、頑張ってちょうだいね」と、ルイ十五世かポンパドゥール夫人みたいなこと言って若者に疲弊した日本を渡すだけ、というのじゃちょっと無責任。

 ここは考えどころ。

 金がないなら知恵を出せ、知恵がないなら汗を出せ、それも嫌なら・・・

 やめてしまうわけにはいかないので、知恵と汗を出しましょう。

 「ただし、アフリカに深く食い込んでいる分だけ、中国資本は反中感情の広がりを含む投資リスクにも直面している」

のはたしかです。今の中国はたしかにパワフルですが、身から湧き出るパワーをどこかに向けないと自分が爆発してしまうようなところがあるのだと思います。そういうパワーは、コントロールする気があっても、なかなかコントロールはきかないものだと思います。
 そういう中国、あるいは韓国の進出の仕方をよく見据えて、自分にできることをよく考え、真にアフリカのためになることを考えるなら、日本はアフリカでまだまだ真っ当な競争ができるはずです。

 しかし、中国を、韓国を、そして日本を知るのは大事ですが、日本の人がアフリカで活躍しようとするなら当然ながらアフリカそのものをよく知らなければならないでしょう。
 そういうのが、少なくとも日本の「グローバル人材」と目される人々に求められるところだと思うのですが、

 「自覚的に英語情報にアクセスしない限り、広大なアフリカ大陸で何が起きているかわからないという現状のままでは、グローバル人材の裾野も広がらないだろう」

と日経は言っています。

 わたしとしては、アフリカの半分はフランス語国なのだから「英語、フランス語情報にアクセスしない限り」と訂正して欲しいところですね。
 たしかにフランス語国といっても経済情報は英語でずいぶん取れますが、より人間が絡む領域ではやっぱりフランス語できないとダメだと思いますよ。

 この記事は:

 「『アフリカは遠いよ』と傍観し続けることの機会費用は大きい」

と締めくくられているので、「機会費用」ってなんだ?とネットで検索したら、ウィキペディアで「選択されなかった選択肢のうちで最善の価値のことである。法学では、逸失利益とも呼ばれる」と説明されているのが分かりました。
 やっぱりウィキペディアは偉大ですね。

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フリーメイソンを知らずしてアフリカは語れない


 (前のエントリーから続きます)

 そうですね、熱心な会員ではなかったですがスタンダールもフリーメイソンには入っていたはずですから、デル=リットさんが同じであってなんら不思議なことはない。むしろ当然のことですね。

 こういうの、ムーア先生みたいなヨーロッパの方はすぐぴーんとくるんですね。なるほどなるほど。

 で、そのフリーメイソンですが、わたしの関心はむしろアフリカにおけるその存在感です。

 多くの国の指導者がフリーメイソンのお仲間なのです。
 たしかにその仲間意識、思想信条を共有するという意識だけで指導者たちが友好を守り国家間の紛争が回避できる、というわけではないのですが、それでもたしかに存在し影響を与え続けていて、アフリカ情勢の底流に厳然として存在するのですね。

 Jeune Afrique誌がときたまフリーメイソン(フランス流に言うと「フラン=マソン」franc-macon)特集を組む所以です。↑

 日本の人みんながみんなこういうことを知っている必要はないのでしょうが、知っている人があまりに少ないというのは、たしかに問題です。
 安倍首相の言っていた日本の「危機管理」のためには、サハラ砂漠のはずれで時ならぬスパイごっこをすることよりも、日本でできるだけ多くの人がアフリカの人々の心情を知り、国の成り立ちをよく理解することにより重点をおくべきではないでしょうか。

 こういうのがあるから、Jeune Afriqueって、ほんとに面白いんです。時間さえあれば、全号一ページ目から最後のページまでくまなく読みたいくらいです。

 
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かなだはなかなかだ~その11  日本に注目するケベック


 前のエントリーで示唆されるとおり英語系側は非常に多様性に富んだ人たちなのですが、対するフランス語系の方は、ケベックでは非常に均質な人たちでした。フランスからわたってきた人たちの子孫が、長らくかなり純粋性を保って存続していたのです。

 去年12月にこの本の著者、Gerard Bouchardさんが来日、京都で講演された後、懇親会に同席しました。ブログにそれを書きそびれたことは悔いが残りますが、そのときブシャールさんは:

 ケベック人はいま日本人を注目している。以前は非常に均質だったケベックは時代の要請で移民の積極的受け入れ策に転じ、いまでは血に基づかないケベック・アイデンティティを形成しつつあるのだが、今の日本はその選択以前のケベックによく似ているからだ

という趣旨のことを言われたのです。

 この指摘は、ずいぶん強く印象に残りました・・・

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かなだはなかなかだ~その9 内部


 「議会」の内部は、ガイド付きグループ参観できます。

 入口にウォロフもモンカルムも陣取る建物の中で、ケベック州のまつりごとが行われます。

 ケベックの "Parlement"とか、はては"Nation" とか言っても、それは「カナダ」に関することではないのです・・・ カナダというのは本当にひとつの「くに」なのだろうか?

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かなだはなかなかだ~その8 ぱるるまん ぱーらめんと


 はい、カナダのお話に戻りますが、場所はケベック・シティに移ります。

 繰り返しになりますがケベックの歴史、カナダの歴史というのは、モントリオールにおける「住み分け」にも現れている通り、フランス語系人と英語系人の関係史ということに帰着すると思います。

 カナダという国は、周りと係争ばかり抱えている日本とは大きく違い、外との国境はいたって平穏である――隣国はアメリカ合衆国だけのようなもので(北の方でデンマーク(グリーンランド)とかはありますが)、その合衆国との関係はこの上なく良好――かわりに、内側は常に分裂の可能性を秘めた国だということになります。

 これはフランス語州ケベックの「議会」 Parlement の建物ですが、正面入口の上のいたって重要な位置にこんな人物の像が据えてあります。




 これはJames Wolfe、1759年のエイブラハム平原の戦いで自ら戦死しながらも戦いを勝利に導きケベックを屈服させた「英国の」軍人です。

 ウィキペディアによればこの像はフランスで鋳造されたものだというのですから、なかなか考えさせるところがあるではないですか。この人は「ケベック史の重要人物」としてここにいるわけです・・・

 もっとも、これを見たときには気づかなかったのですがこの像は、こちらも同じ戦いで戦死したフランス系側の将軍Montcalmの像と左右でペアになってるんですね。なるほど・・・


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