ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

大曲花火大会に行った

2012-08-27 | お出かけ

アメリカから帰ってきてその足で元海上幕僚長に会うために西日本へ日帰りし、
その週末の飛行機で秋田空港まで飛ぶという、遊説中の政治家のようなハードスケジュールです。

大曲(おおまがり)の花火大会に行ってまいりました。

ご存じの方はご存じだと思いますが、この花火大会は国内最大級の規模で行われる花火師達の
「競技会」で、正式名は「全国花火競技大会」と言います。
褒章は内閣総理大臣賞の最優勝賞はじめ、秋田県知事賞、官公庁長官賞など14あります。

この大会で賞を取ることは、次の年の仕事の受注、いかに大きな花火大会からのオファーがくるか、
そういった「営業」にかかわってきますから、花火師たちは皆真剣です。

この季節は全国各地で花火大会が行われるのですが、例えば隅田川の花火大会、
こういう有名な大会とバッティングした場合、花火師さんはどうするか。

何と、弟子が隅田川に行き、親方がこちらを手掛けるのだそうです。

去年、わたしと息子がアメリカにいる間、TOがご招待でこの花火大会に行ってまいりました。
あまりのすごさに感激し、是非愛する妻子に一目これを見せてやりたい!ということで、
このたびの参加と相成ったわけでございます。

海外から帰ってきて荷ほどきもまだ全く進んでいない先週末、我々は羽田に向かいました。
いつもそうするように、一泊空港駐車場に車を停めるつもりで・・・・・。

と こ ろ が !

これも先週末羽田を利用した方ならご存知でしょうが、どういうわけか駐車場が、
第一第二ターミナル、周辺民間駐車場、

全て満車であるうえ、順番待ちの車の列が

それぞれの駐車場に120分の待ち時間

でできていたのでございます。

飛行機の搭乗ゲート締め切りまで一時間。
迷ったり考えている時間はすでにありません。
わたしはきっぱりと二人にこう告げました。

「急いで二人とも降りて、予約の便に乗って!
わたしは家に車を置いて、タクシーで空港まで来るから、その間に秋田行きの便を押さえて」

元々の便に乗ることはあきらめ、この混乱で必ず出るはずの空席を押さえてしまう作戦です。

ことを起こしたのが早かったのが幸いし、わたしが家に向かっている途中に一時間遅れの便が
取れたという連絡が入りました。

そして往復して帰って来た時には搭乗締め切り5分前。
まさに綱渡りのスリルで、何とか秋田に到着することができたのです。



「花火大会の6時にさえ間に合えば何時でもよかったんじゃないの」
とわたしも最初はそう思っていました。
しかし、もしこの便が取れなければ、わたしは大曲に近づくことすらできなかった、ということが
後になって分かったのでした。

 

この日の秋田便は満席。
秋田の人らしいカップルが
「どうしてこんなに今日混んでるの」「花火」「ああ~」という会話を機内でしていましたが、
この花火を見るために全国から七十万人の見物客が訪れるのですから。
JRは秋田から臨時新幹線を何本か出し、改札省略などの配慮をするなどの対応に努めます。

つまり、飛行機が遅れることによって予約していたこの「こまち」に乗ることができなくなり、
しかも人口九万人の小さな町に七十万人以上が押し掛けるのですから、
当然秋田自動車道も早朝から大渋滞、周辺は通行止め。
「新幹線が駄目ならタクシーで」などという代替法が無いため、現地に辿りつくことすらできません。

というわけで、間一髪、家族の中でわたし一人が秋田のホテルでテレビの中継を観るという
悲劇は防がれたのですが、あの日実は駐車場の混雑で羽田はパニックが起こっていたようです。

帰りのタクシーで運転手さんから聞いたのですが、空港から離れて高速を降りたところで、
駅前のタクシーに声を掛け、先導してもらってコインパーキングまで行き、
車からタクシーに乗り換えて空港まで行った人がいたそうです。

一泊後羽田に帰ってきて、空港からそのパーキングまで運転手さんのタクシーに乗ったその人は
「(そこのパーキングは)一日最大料金が無いので、おそらく駐車料金は数万かかると思う」
と言いながらこわごわ車を取りに行ったとか。

運転手さんは切羽詰まって路上に乗り捨てられた車も見たそうです。
たとえ駐車禁止を貼られて車をレッカー移動されたとしても、何万円かで済めば恩の字、
と思ったのでしょうか。
しかし、その車に貼られていたのは駐車禁止ではなく「放置車両」の警告だったそうです。
多分わたしはすることもないと思うので調べていませんが、罰金も点数も高いはず。
そして「多分交通裁判所行きになると思う」(運転手さん談)

しかし、わたしも何度となく駐車場を利用してきましたが、このような事態を見たのは初めて。
もしかしてこの大曲の花火大会に主な原因があったのでは?とも思ったのですが、
どうでしょうか。

というほど民族大移動レベルの人の移動があることでも有名なのです。
何しろ、一年のこの一日のためにこの街には「花火の街」という呼称が与えられているそうで、
はっきり言って普段他には「何もない」町なのですから、現地も狂乱状態です。



花火会場の河原に向かって群れをなす人の波。
言うほどじゃないじゃないか、って?
いえいえ、道はここだけではありませんし、河原に近付くにつれて普通の速さで歩けなくなります。
駅前には、ビジネスホテルが一軒あるのですが、この花火大会の夜、一室の料金は
なんと10万円に跳ね上がるそうです。
(普段はおそらく1万円とかでしょう)
そして、来年の予約はもうほぼ満室なのだとか。
これはこの大曲のホテルだけではなく、秋田のホテルは軒並み旅行代理店と例年訪れる
熱心なファン、関係者によって1年前から押さえられてしまうのです。



そしてこの日の暑かったこと!
秋田県というのは東北で雪も積もるのに、夏は関東並みに暑いのです。
夏の間湿度の低い地域で楽な想いをしてきただけに、応えました。



しかし、河原にはすでにこれだけの人々が。
この、地面にシートを敷いている見物客は、早い人で一週間くらい前からテントを張り、
(そういう人達向けにテントを張らせてくれるスペースがある)泊りこみで場所を取ります。
前日深夜は勿論、2,3日前でないとこれくらい前列には場所が取れないのです。

 

観覧席前列、この板の敷いてある「升席」は有料です。
興味を持った方のためにお知らせしておくと、一マスの値段が六万円。
一マスに付き6人しか座ることはできません。

 升席客の証明カード。

このカードが首から下げられていないと、途中にある検問所を通ることができません。
しかし、この升席証明書は「プラチナ・カード」なのです。
6万円の席はまず大型スポンサーの企業優先で売れていき、残りは抽選です。
しかも、このAの11006は最前列のど真ん中。
前には誰もいない席。

なぜエリス中尉ごときがこんな特等席で花火見学をすることになったかというと、
それはひとえにご招待下さった方のお力。
というか、ご招待下さったかたが常務取締役をしている会社が、大スポンサーで、
特別花火のために巨額の出資をしていたための大優遇だったというわけです。



早くから席についている人に向けて、日没前の5時から昼花火が行われます。
昼に花火、確かにあまり見ていて面白いものではありませんが、このような感じです。



「彩色煙流の舞」「昇煙竜ドラゴン変革の舞」
こういう、何と言うか「デュエルマスターズのカードに書いているような(息子談)文句」のような、
ある意味ヤンキーっぽいタイトルが付けられています。

 「夕空に水墨画アート」。

昼なのでいっそ開き直って?黒煙で勝負する花火師さんもいました。

 ようやく山の向こうに陽が沈みます。

山のふもとに光を反射しているのは、これ全て川向うの花火師さん達のトラックの背中。
この頃もずっと大音響でBGMが流されていたのですが、「誰の選曲?」と思ったのが、
ベンチャーズ。
ベンチャーズですよ。2012年現在において。
勿論、マイケルジャクソンなんかも流れてはいましたし、このために作られた

「まいあがれ~ おおまがり~」

というテーマソング(覚えてしまって帰ってから歌ったら『人間録音機』と言われた・・・・)もあり、
演歌歌手の「秋田の名産をすべて盛り込んだらしいご当地ソング」もあり。
そしてようやく6時、大会開始。




勿論大会委員長やら商工会議所挨拶はがまんしますが、
大音響で花火と花火の間に「どこそこに座るな」「ゴミは分別して」「トイレはどこ」
などの小うるさい注意事項を何度も何度も繰り返すのにはさすがにうんざりしました。
日本人って、「ブランク・フォビア」だなあって思うのがこんなとき。

どうして煙が消えるのを待つ間くらい音を無くして余韻を味あわせてくれないのか。
周りの人々も「また同じ注意」「もうわかったって」
と笑いの種にしているんですが、きっと100年後の大曲でも同じようなことやってるんだろうな。
なぜって、それが日本人だから(笑)




この花火大会、明治20年から行われています。
勿論戦争、災害のあった年を除き毎年行われ、今大会が86回目。

去年の震災後、わずか半年後でしたが、大会は行われました。
前年この花火を観に来て、震災で被災し、それが最後になってしまった東北の人々は
おそらく千人単位でおられたのではないかと察せられます。

勿論一部自粛という意見もあったでしょうが、その一日に向かって邁進する花火師たち、
その日のために動いている数え切れない関係企業や団体にとって中止はあり得ないことですし、
大会はいつもと変わらず、むしろいつもより思い入れを込めてに決行されたものと思われます。

テーマは「鎮魂」であったそうです。