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海軍士官の妻

2012-08-07 | 海軍





セシル・ブロックという英語教師が、江田島の海軍兵学校で教鞭を取った
三年間の想い出をもとに著した本「英人の見た海軍兵学校」の初版を持っています。
奥付に記された発行年月日は昭和18年の8月。

本の序には海軍大本営報道部、某海軍少佐の
「大東亜戦争開戦劈頭のハワイ海戦、マレー沖開戦以来、帝国海軍の挙げた戦果は
実に全世界を震撼する嚇々たるものであった」
などという言葉が入っており、戦時の出版であることをあらためて実感します。
(このセシル・ブロックの本についてはまた別の日にお話します)

26歳の独身青年であったブロック先生の観察は、兵学校生徒だけでなく、
一般の日本人や日本の風土にも及ぶのですが、その中で興味深いのは、
日本の婦人に対する素直な驚きが描かれた部分です。

婦人、と言っても、ブロック先生の見る日本婦人のほとんどは、
江田島の官舎にいる、教官の妻たち。
つまり、海軍士官を夫に持つ婦人たちです。

ブロック先生が仲介役となって、本国イギリスの巡洋艦バーウィックが友好のため
江田島を訪れたことがあります。
このとき、歓迎の午餐会が催され、兵学校教官の妻たちも列席しました。

会場では、すでに男性の賓客は席についており、婦人たちが入る番なのですが、
校長夫人がやってくるまで誰も動こうともしません。
平社員や講師助教授が、上司や教授の夫人にペコペコしなくてはならない、
この「夫の地位は妻の地位」の構図はここでも当然のように生きていたようですが、
日本社会では当たり前のことでも、ブロック先生の目には実に奇異なことに映ったようです。

余談ですが、うちのTOがある社会貢献型クラブに入会した時のこと。
「会員婦人会という、親睦を兼ねた、ボランティアの会があるのだが、参加しませんか」
というお誘いを同時に頂きました。
会長は誰が聞いても知っている大会社の社長夫人。
皆で集まって何をするっていうのですか、と、こわごわ聞いてみると、
「老人ホームに寄付するおむつを皆で縫います。茶話会や歌舞伎鑑賞も」

もう、瞬時に慎み畏み御辞退申し上げた次第ですが、ただでさえ怖い女性だけの団体の、
しかも名士やら有名人やらの奥さんがひしめいている世界にわざわざ飛び込んで、
その大奥のような女社会の荒波に揉まれようっちゅう勇者がこの世にいるであろうかと
心から疑問に思った次第でございます。(いるから会が存在してるんですが)

教官の奥さん同志の「女の戦い」については、ある士官がこのように語っています。

「教官の夫人同士の見栄の張り合いが傍目にも目立ち、どんなものを着るかとか、
何を持っているかがお互いの関心事になったりする傾向をかねてから憂えていたので、
自分の妻にはそのような集まりに出かけることそのものを禁じた。

ところが、そのときにははいはいと言うことを聞いていた妻が、戦後になって
『あの時に午餐会に参加できなかったのは残念だ。あなたのせいだ』
と言いだし、そしてその愚痴を聞かされ続けて現在に至る」


さて兵学校の午餐会ですが、校長夫人が副官に促されて歩きだした後、誰が後に続くのかで
婦人たちの間に騒ぎが起こります。


夫人達は、たがいにお辞儀をしあい、片手を丁寧にゆつくり動かしながら、
「どうぞ、どうぞ」
と言ひあつてゐるばかりであつた。
やがてその中の一人が、水の中へでも飛び込むやうな様子をして進み出、
他は皆これに従つて中に入つた。

ブロック先生、呆れてます。
誰か一人が、もし、何のためらいもなく校長夫人の後に従うようなことがあったら、
後から彼女は皆に「でしゃばり」と言われるかもしれないことを、
そしてそれが彼女らの最も恐れることであることを、
おそらく若いイギリス人であるブロック先生は夢にも知らなかったに違いありません。
しかし、それからがまた大変。

彼等が食卓のところに来ると、またまた何度もお辞儀をし、
「どうぞどうぞ」と言いあって後、上官の夫人から順次に着席した。

ちゃっちゃと上官の夫人から座ったらんかい、というブロック先生の声が聞こえてきそうです。
でも、その上官の夫人といっても、いろいろその中で順列があるわけで、
若し何のためらいもなく席に着いたりしたら後から皆にでしゃばりと(以下略)

今書いていて思ったんですが、こういう風に物事を見る人間は、少なくとも
「上流婦人ボランティアおむつ作りの会」には絶対参加すべきではありませんね。

ブロック先生は知っていたかどうかわかりませんが、
当時海軍士官の奥さんになれるのは、いわゆるちゃんとしたお家のお嬢さんだけ。
家柄は勿論、社会的に地位が高いとされている層に「別嬪さん」が集結するのは自然の理。

この午餐会の写真が残されていますので、ちょっとご覧くださいます?




全員とは言いませんが、なんだか綺麗な人ばっかりではないですか?
ブロック先生もこのあたりには素直に感動し、

「一体日本人女性ほど礼儀正しく親切で魅力ある夫人は見たことがない」

赴任した時に訪れた教官たちの夫人についても

「美しい日本婦人がどこにいっても女中の後に出てきて」

などと、激賞しています。
彼女らが決して「日本の平均的夫人」ではないと知っていたかどうかは、わかりません。
しかし、ブロック先生が彼女らを美しいと思うのは、
夫人達がいつも和服を着ていた所為でもあるかもしれません。

立派な制服が軍人の士気に大きな影響を与える、というイギリスと違って、
日本の海軍士官の軍人はたいてい生地も仕立てもあまりよくない軍服を着ている。
そもそも、元来日本人に洋服は似合わないのだ。
彼らは機会さえあれば和服を着たがるし、男でも女でも和服を着た姿は品位がある。

「洋服の国の人」であるブロック先生の、日本人全般に対する批評は辛辣です。
しかしこれは、特に当時の日本人に対する評としては、正鵠を射ているともいえましょう。

特に江田島のような礼節のやかましい場所では、
日本婦人はさらに従属的な待遇を受けている。

彼女らの唯一の存在理由は男性に奉仕することであって、然も日本の男は
彼女らを召使のように取り扱う。

海軍士官の夫人である彼女らを見て、「男に仕える日本女性」の伝説が
このイギリス青年に一層強く印象付けられたようです。

そこで冒頭の漫画です。
「女性は男性の付属品であり従属物である」というのは社会通念でもありましたから、

「士官に敬礼したら後ろを歩いていた夫人にもニコニコして頭を下げられ、
『かみさんに敬礼したんじゃないわい!』と屈辱を感じる」
下士官兵がいても、全く当時としては不思議ではありませんでした。

ところで、軍隊内の中で敬礼したの欠礼したのと、争いの種になるほどに、
この「敬礼問題」は精神的にいろんな禍根を残したようです。
連合艦隊の停泊地では、別の艦のペンネントを目印にイチャモンをつけ殴り合い、
見物人は自分の艦の水兵を応援し、などということがしょっちゅうあったと言います。
それは大抵、敬礼がきっかけで始まりました。

まあ、ベルサイユ宮殿の中でもマリー・アントワネットが声をかけるのかけないので、
国体ひいてはフランスとオーストリアの仲すら危うくなった、って話もありますし、
我々の日常生活においても、
「先に『おはようございます』という言わないで軋轢が起きる」なんてレベルの話もあります。

社会の潤滑油のはずの挨拶がもめごとのタネになるというのも人の世の常。

旦那が士官でもカミサンは上官じゃねえ!一緒になって敬礼に反応するなよ!
下士官などは、上陸地で夫婦連れの士官に出会うたびにムカついていたようです。

士官の奥さんにしてみれば、向こうが挨拶しているのに知らん顔するのは失礼、
という感覚かもしれませんが、知り合いならともかく、軍隊内の部下ですからねえ・・。
それが余計なこととは夢にも思わない人が多かったのでしょう。

部下思いだった戦闘四〇七飛行隊長の林喜重大尉は、上陸のとき軍服を着ませんでした。
街を歩いていて年配の下士官が家族と一緒に歩いているのに遭遇すると、
年若い自分にも彼等は敬礼をせねばなりません。
それは家族にも見せたくない姿であろうと、気を遣ってのことであったそうです。

冒頭漫画の水兵の歯ぎしりも、プライドが大きな意味合いを持つ軍隊社会なればこそ。
因みに、下士官の夫人達は、そのような場合、知らん顔をしていることが多く、
下級の者にとっては、こちらの対応の方がずっとありがたかったということです。