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イスパノフォビア~情報戦に敗北した国

2012-08-04 | つれづれなるままに

オリンピックも佳境に入った今となってはもう旧聞に属する話ですが、
サッカーのオリンピック予選で日本がスペインを1-0で破るという波乱がありました。
「グラスゴーの奇跡」などと日本のメディアが評したのを、逆に海外、特にスペイン人には
「奇跡というのなら、試合が4-0まで点が取られなかったことが奇跡だ」
「スペインが酷過ぎたので当然の結果」
というような意見が大半で、要するに「あんな内容なら負けて当然、奇跡なんかじゃない」という
自虐的なコメントが多かった模様です。

この日本の勝利を「無敵艦隊を破った戦艦大和」などと表現していたのは中国メディアだったとか。
ちょっと待った(笑)

スペインが艦隊なのに、どうして日本が大和だけなの?
ここは「聯合艦隊」くらい言ってもらわないと、バランスが悪すぎるんですけど。



さて、その無敵艦隊ですが、無敵(invincible)であったのは、イギリス、オランダの艦隊に
英仏海峡でコテンパンに負けてしまうまでだった、と言うだけのことらしいですね。
「無敵艦隊」という呼称は、むしろイギリスの側から揶揄的に用いられたようなもので、
スペイン自身は「神の祝福を受けた艦隊」と称していたようです。

しかしとにかく無敵艦隊が無敵であった頃、スペイン帝国は史上最も繁栄の時期を迎えていました。
16世紀中期から17世紀前半までのこの80年間、この頃のことを「黄金の世紀」と称します。
そして「陽の沈まぬ国」と称えられていました。

アメリカ大陸の発見後、新しい広大な領土を得たスペインは、1521年にはアステカ帝国、
1532年にはインカ帝国を滅ぼして、南アメリカのほとんどを植民地としていました。
フィリピン、アフリカにも植民地があったため、いつも領土のどこかに陽が当たっていたのです。

しかし。
無敵艦隊も負けたように、一つの国が栄え続けたことは歴史上無い、
というこの世の倣いにそむかず、スペインはその後没落の一途をたどります。

ここでは本題でないので省略しますが、この後のスペインの凋落っぷりは、
19世紀までにスペインはほとんどの植民地を失い、世界での覇権を失うわ内戦は起こるわ、
やっと戦争が終わった現代においてもG8にも入れてもらえないと言う・・・・

G8の日本名称って、知ってます?

主要国首脳会議ですよ。
かつて陽が沈まないといわれたほどの国が世界のトップ8にも入れなくなってしまったのです。
さらに2000年代、欧州連合加盟後順調に経済成長を続けてきたはずが、
ついに2012年「スペイン経済危機」へと・・・。

いつだったかの国会で日本の経済状況を責められているとき、与党の誰かが

「スペインと一緒にしてもらっては困る。そこまで落ちぶれていない」

と言ったので思わずお茶を吹いたことがあります。
そう、それが今のスペインに対する世界の認識なのね・・・・。

今現在も欧州では大丈夫でない国の方が多いとはいえ、このダメダメぶり。
スペインの経済危機が報じられたとき、

「昔無敵艦隊とかいってすごかったのに、どうしてこうなった」

というような会話をTOとした記憶がありますが、今回の危機はバブルがはじけたため、と、
理由は欧州全土を飲みこむ流れの必然からきているとしても、
スペイン帝国時代の没落は、「はっきりとした情報戦の敗北」が原因であったと言われています。



もしかしたら皆さんの教科書にはこのような銅版画が載っていたかもしれませんね。
「陽の沈まぬ国」がいかに植民地を獲得したかを端的に表わす言葉に

「まず、商人が行く。そして宣教師が行く。最後に軍隊が行く」

そして、この絵に見られるような原住民の殺戮と迫害がはじまると言うわけです。

インディオの妻子を捕らえ、身代金を持ってくるまで水も食べ物も与えなかった。

荷を運ぶため鎖でつないで遠征に連れていき、立てなくなったら首を切断して鎖から外した。

犬にインディオを食わせてその数を競った。

インディオ同士を戦わせ、彼らに食べ物を与えずお互いを食べ合うようにさせた。


ありとあらゆる残虐な行為が、インディオを人とも思わぬスペイン人によって行われ、
その状況はこの世の地獄とでも言うべき酸鼻を極めるものであった・・・・・。


ちょっと待った(笑)


これがその通りに行われていたのかどうか、誰が後世に伝えたのでしょうか。
というか、この話、何かに似ていません?
そう、「南京大虐殺」です。
当時新聞が全く伝えていない、信じられない一般住民虐殺の様子を検証なしで本にしたのが
本田勝一というジャーナリストであることは今では有名です。
虐殺をしたと書かれた遺族からの訴えもあり、その信ぴょう性は疑わしい、ということも
今日ではかなり明らかになっているのですが、この「インディオ虐殺」における
「本田勝一」に相当する人物がいた、ということが明らかになっています。


バルトロメ・デ・ラス・カサス。


15世紀、ラス・カサスは従軍司祭としてキューバの侵攻に加わりました。
そこで見たスペイン軍の軍事行動に激しい良心の呵責を覚え、「良心的スペイン人」として、
「平和的植民活動」を行おうとするなど、インディオの人権?を取り戻すべく活動を始めます。
(この「平和的植民地」は、どういう理由でかインディオ達からそっぽを向かれてしまったようです)
ラス・カサスは次第にスペイン人たちから激しい反発を買うようになってきます。
彼は支持者の庇護の下、そこで目撃した惨事を事細かに書に著すようになり、それがきっかけで
「インディオスの報告者」「インディアンの代弁者」として彼の名は歴史に残ることになります。


ラス・カサスの情熱は、あくまでも人道的良心に基づくものであり、
インディオたちの人間としての権利を守ることでした。
ですから、その著書「インディアスの破壊についての簡潔な報告」などによる供述が、
ついつい伝聞や事実の曲解、さらに誇張やあるいは虚偽に走ったとしても、それは本田のように
「祖国を貶めるため」という目的のもとにされたわけではなかったでしょう。

あくまでも祖国による非人道行為のみを糾弾し、それを阻止する、
ラス・カサスの意図はここにしか無かったはずです。
しかし、この著書群は、ラス・カサスが全く意図しなかった方向に利用されはじめました。
本田の「中国への旅」が内外の反日勢力に利用されたように。


彼の死後、それはスペイン帝国の勢いに陰りが見えてきたころでもあるのですが、
その著作は各国語に翻訳され出版されはじめました。

スペインの敵であったイングランドとオランダはこの「告発」を歓迎しました。
いかにスペイン人が残虐な「神の教え」に背く行為をインディアスで行ったか。
両国はこの「黒い伝説」を大々的にプロパガンダとして利用するようになります。


上記に掲載した銅版画、これはスペイン自身ではなく、情報戦を戦う英蘭両国が、
「見てもいないのに見たかのように残虐行為を絵にして各国にバラまいた」ものなのです。

大衆はいつも目に見えるもの、分かりやすく「絵」今なら「写真」に目を奪われます。
日本でも死体写真を掲載した写真週刊誌が出た当初、人々がそれを道義的に非難しながらも、
掲載された写真を食い入るように見ずにはいられなかったように。
このような銅版画がそれこそ想像の限りを尽くして製作され、ヨーロッパに撒かれました。

効果はてきめん。
イギリス、オランダを筆頭にヨーロッパ中がスペインを非難するとともに、スペイン人自身が
その残虐性を恥じ、自信を失い、自国を誇ることもできなくなり虚無性に苛まれてしまったのです。

ちょうどそのころ(1588年)、無敵艦隊がイングランド海軍に敗戦を喫します。
スペインの没落は顕著となり、代わりにイングランドはアルマダ開戦の結果をなぞるように
国力をたかめ、その後七つの海を制覇する大英帝国へと発展していきます。

ヨーロッパには
「ドイツの悪口を言うのはフランス人、スペインの悪口を言ったらそれはスペイン人」
というジョークがあるそうです。

イギリス人とフランス人もかなり仲が悪いと聞きますし、一度ノルウェー人と話したとき、
フィンランド人はケチでスウェーデン人は自分勝手だ、みたいなことを言っていました。
上手くいっているように見えるアメリカとカナダもお互いを馬鹿にしあっているようですし、
つまり実質隣国と上手くいっている国というのは世界に存在しないと言っていいと思いますが、
特にフランス人のドイツ嫌いは傑出しているのでしょうか。

そういえばスペイン人の友人は、「ポルトガルには何もない」と馬鹿にしていましたっけ。
かつてスペインから独立したポルトガルですから、仲が悪いのは納得できます。
しかしそれ以上にスペインを悪く言うのはスペイン人自身であるというのです。

スペインはいつしか「自虐の国」となり、「イスパノフォビア」とそれを表わす単語までができました。
「イスパノ」はスペイン、フォビアは嫌悪とか恐怖症などと訳したりします。


スペイン人たちがイングランドとオランダのプロパガンダにまんまと乗せられて自国嫌いになり、
だから国は衰えてしまった、それは「イスパノフォビア」のもたらしたものであった、
と考える歴史家がいます。

このことについてはわたしなりに考えたことがあるのですが、それは次に予定している
「ジパノフォビア」(日本嫌い)について語るときに譲りたいと思います。



かつてワールドカップで優勝したことすらある「無敵艦隊」のスペインサッカーが、
昨日今日出てきたような東洋のサッカー後進国に敗れてしまった。
この瞬間、かつて本物の無敵艦隊が敗れた時と同じくスペイン人たちが申し合わせたように
自虐的になっている、というのは何か符号めいて見えます。

経済絶不調のスペインが、この敗退からさらに自信を失い、
国力衰退の一途を辿るようなことになりませんように。




ラス・カサスの著書に記された「スペインの残虐ぶり」ですが、検証すると、
やはり南京大虐殺の「二十万しかいない都市で三十万虐殺」や「死体がどこにも無い」
に相当する矛盾が随所に見られるそうです。

ラス・カサスが主張を通すためにかなりの捏造を加えたのはどうやら事実であるようです。