ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

短剣を吊りて来ませよ

2012-08-15 | 海軍


久しぶりにお兄さまに会える!
「富貴子さんの素敵なネイビーのお兄様」といって
クラスメートの間でファンクラブまでできている自慢の兄。
あ、出てきたわ。でも何だか変だわ。
なんだかスタイルが間が抜けているというか・・・・・アッ!
「兄さん、短剣は?」
「おう、富貴子・・・え?短剣・・・・・

忘れてきたああ」

これは実は実話です。

海軍軍人の誇りの象徴をうっかりどこかに忘れてくるこのお兄様は特殊な例としても、
一般人ですらそれが無いと「何か違和感」」を感じるほど、
短剣は士官姿に画竜点睛となるアイテムでした。



象徴としての刀だからこそ、官給の仕様に甘んじることなくオリジナルをしつらえる士官がいた、
という話をかつてしましたが、それは元々受け継がれる名刀があるような家の出身である場合です。

兵学校71期卒で第四〇五飛行隊付、第八次「多」号作戦で戦死した江尻慎大尉は、
兵学校時代、家伝の名刀「辻村兼若」を軍刀に仕立てることについて、
家との手紙のやり取りでかなり詳しくこのようなことを語っています。
この場合は、短刀でなく軍刀の話のようです。

軍刀に関してお考え違いしないでください。
儀式刀は別として、指揮刀と軍刀は同じもので、
軍刀兼指揮刀であれば、儀式刀のほかは一本でいいのです。
ですから、兼若を儀式刀にし、助広を軍刀とすれば他には必要ありません。
さらに最近は刀剣の不足により、教官方も軍刀を以て
儀式刀に代用する方が多いので、軍刀一本でも結構です。
指揮刀を特に購入する必要はありませんのでよろしくお願いします。

軍刀外装は陸軍とは違います。
つまり、陸軍の鞘は茶色のようですが、海軍はだいたい黒か紫紺なのです。
また、柄だけ軍刀式に改装し、鞘は昔のままの上に
黒皮をかぶせただけのもあるようです。

なので、海軍軍刀の取り扱いに慣れた刀剣商に相談すれば、
適当にやってくれるものと思われます。
それらしき刀剣商が分からなければ、水交社に依頼すればいいということです。
なお、服装、拳銃、眼鏡などは一切ご心配ご無用です。

長い引用ですが、陸軍軍刀や当時の金属不足にも触れており、
興味を持たれる方のために
その部分を全部掲載しました。

江尻家は旧家であったので、このようなちゃんとした刀が家に伝わっていたようです。
一口に海軍軍人、兵学校生徒といってもその出自は様々ですから、
うっかり置いてきてしまったり、錆びさせてしまう者がいる一方、
「武士出身」士官もいたのです。


同じ軍服でも、ヨーロッパの一流仕立屋に特別注文していた陸軍の西竹一少佐や、
三越に軍服を仕立てさせていた軍人もいたようなもので、
何にでも「こだわる人はこだわる」ということです。
「こち亀」の中川巡査も、制服はピエール・エロダンデザインの特別誂えでしたし(笑)


ネイビーや白の軍服に短剣。

その姿が当時の女性、お嬢さんのみならず粋筋のお姐さん方のハートを鷲づかみにしたという話は、
くどいくらい語ってきました。


孝は短剣を外すと仏壇の前に正座し、両手を合わせて挨拶をした。
まだ小学生の光子は短剣が珍しい。
「あら、これが有名な短剣なの。ピカピカして、本当に切れるのかしら」
「なあに、切れはせんよ。鉛筆を削ったり、果物の皮をむく程度よ」
孝は短剣の刃で自分の頬をこすってみせた。
「ああ、恐ろしか・・・・」
光子は目を丸くして兄を眺めていた。

(「蒼空の器」豊田穣著より)



鴛渕孝大尉の妹光子さんが、豊田氏のインタビューで語った内容であると思われます。
兄弟が兵学校生徒となった女性、たとえ小学生にとってもそれは興味の的だったようです。


さて、冒頭画像の歌の文句は「軍隊小唄」海軍バージョン。
これは、当時の軍歌にありがちなパターンで、似たような歌詞で陸海空の替え歌をもつもの。
「女は乗せない」の後が、「戦車隊」になっているものもよく聞きますね。
これが、今見ると、「あるある」の宝庫なので、少し寄り道ですがこの歌詞を挙げます。


1、いやじゃありませんか軍隊は カネのお椀に竹の箸
  ほとけさまでもあるまいに 一膳飯とは情けなや

2、腰の軍刀にすがりつき つれてゆきゃんせどこまでも
  連れてゆくのはやすけれど 女は乗せない戦闘機

3、女乗せない戦闘機 みどりの黒髪断ち切って
  男姿に身をやつし ついていきますどこまでも

4、七つボタンを脱ぎ捨てて 粋なマフラー特攻服
  飛行機枕に見る夢は 可愛いスーちゃんの泣きぼくろ

5 大佐中佐少佐は老いぼれで といって大尉にゃ妻があり
  若い少尉さんにゃ金が無い 女泣かせの中尉殿


特に5番の「我が意を得たり感」は半端ないですね。(個人的に)



2番の「男姿に身をやつし」ですが、アメリカでは身をやつさなくても、

女性が、それも愛する夫の操縦する戦闘機に乗った例があります。
アメリカのP-38戦闘機乗り、いわゆるトップガンであったリチャード・ボングは、
美人の愛妻
マージ・バッテンダール・ボングを後席に乗せて出撃しました。
マージは

「死ぬのも全然こわくなかったわ。夫と一緒でなければ乗らなかったと思うけど」


などと、感想を述べています。

「連れてゆきゃんせどこまでも」と頼んだのがマージだったのかは本には書いていません。


ところで、たかが唄の歌詞につっこむのも何ですが、艦のコンパスを狂わす長刀がNGだったように、
一般に戦闘機乗りは、計器が狂うので刀を機内に持って乗ることはありませんでした。
しかし、陸軍の特攻では長刀を携えて機上に上がるシーンが多数残されていますし、
海軍特攻でも梓特攻の銀河隊の隊長が長刀を持って最後の写真を撮っていたりします。

あくまでも「通常の戦闘に向かうときは」ということで、特攻に向かうときは
あえて軍刀を携えていったのかもしれません。


とはい平常の戦闘では、自決用というなら、海軍はむしろ拳銃を装備していたようですから、
「腰の短刀にすがりついてお願い」しても、二重の意味で無理だったわけですね。


最後にある歌を紹介しましょう。

 短剣を 吊りて来ませよ

     海のごと 深き夜空に 迎え火を焚く


平成の世になってから詠われた詠み人知らずの一首だそうです。


毎年心をこめて焚く迎え火のひとは、彼女の兄か弟か、婚約者であったのか、
あるいは夫でしょうか。


そのひとは、南洋か、沖縄の、夜空の色と同じ紺碧の海に散ったのでしょうか。


戦後数十年が経ち、かつての乙女が今や銀髪の老婆となっても、

彼女の瞼にその日現れるその海軍士官は、
いつも若々しい頬に微笑みを湛えているのでしょう。


そして、純白の第二種軍装の男の腰には、
かつて憧憬の的だった海軍短刀が凛凛しくも佩されて、

そのうつくしくもせつない記憶が老いた彼女の瞳ををまた濡らすのかもしれません。