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聖月を過ごすとは(2)

2019年08月04日 | 心の強化プログラム

アッラーは仰せです: 

【本当にアッラーの御許で,(1年の)月数は,12ヶ月である。アッラーが天と地を創造された日(以来の),かれの書巻のなか(の定め)である.その中4(ヶ月)が聖(月)である。それが正しい教えである。だからその聖月中にあなたがたは互いに不義をしてはならない。】(悔悟章36節) 

「不義をしてはならない=自我を損なう」:自我を許された方法以外で使用することを指します。アッラーは人間とジンを彼に仕えさせるためだけに創造し給いました(【ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。】(51/56))が、自我に崇拝行為をさせずに悪行をさせること、これが聖句で言われる「自我を損なう」行為です。またこの行為は常に禁じられますが、聖月におけるその禁止が強調されることで、信仰者はその期間、更にアッラーに向き合おうとしなさい、お近づき行為に励みなさい、との意味があります。 

人間は生きている間、アッラーに仕えているか、その逆です。アッラーが私たちに罪を禁じ給う啓示は、私たちが常にお仕えしている状態にあるようにとのご命令です。「良き行為を成せとの命令は、すなわち、「魂を養うこと」です。なぜなら人間は魂と体でできており、体が成長のために栄養を要するように、魂もその向上のために栄養を要するからです。 

体が要する栄養の元来の姿は、人間が泥から創造されたことから理解できます。つまり身体の栄養は大地(植物や草を食む家畜等)から得られます。そして魂は、アッラーからやってきています。これについては聖句で幾度となく述べられています:【あなたの主が,天使たちに,「われは泥から人間を創ろうとしている。」と仰せられた時を思え。 (71) 「それでわれが,かれ(人間)を形作り,それにを吹き込んだならば,あなたがたは伏してかれにサジダしなさい。」】(38/71-72)聖句は私たちに人間は土泥でできた身体と、アッラーの吹き込みによる魂でできていることを教えてくれています。そしてこの2要素はそれぞれ栄養を要します。身体の栄養は身体を保ち、魂の栄養は人類全体を保ちます。 

人間が全ての願望を叶ようとすると、同じことをしようとする他人とぶつかります。そこで「魂の栄養」が体の欲求に制限を設けます。そして人間一人ひとりが個人の行為を制限することで、他人との関係に距離を保ちます。 

魂の栄養」は、体の欲に勝ちます。個人がその願望を叶えようとするところに「魂の栄養」は決まり事を定め、個人が他人を敬うようにしたり他人の満足や幸福のために努めるようにさせます。 

アル=アウス、アル=ハズラジュ2部族も、魂の栄養」を得た後は、他方を優先するようになりました。その例は、数々の戦の中にも見られました:負傷した戦士に水が運び込まれると、「私よりも兄弟を先に」と言いました。すると水が運び込まれた二人も「私より兄弟を先に」と言い、3人も同じことを言いました。最後の者に水が届けられると、その者はすでに亡くなっており、その前の者もすべてが亡くなっていたのです。彼らは自分の兄弟がまず水を飲むことを望みました。誰もが要しているだろう戦場における少量の水です。「魂の栄養」を得る前の彼らはお互いを殺そうとしていた人たちです。そして「魂の栄養」を得た後の彼らは、自分よりも他人を優先する人になったのです。599節は彼らに関して啓示されました。自分自身に先んじて(かれらに)与える。仮令自分は窮乏していても。】自分が必要としていても兄弟を優先しました。 

この期間に行う崇拝行為や善行の「形」について意味しているのではなく、社会の中で私たちが愛し合えるようにしてくれる「魂の栄養」について意味しているのです。 

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