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67章【3】解説

2014年11月14日 | ジュズ・タバーラカ解説
13.そして、おまえたちは言葉を秘めるなり、表すなりするがいい。まことに、彼は胸中にあるものについてよく知り給う御方。
14.創造し給うた御方が(秘密と公然を)知り給わないことがあろうか、彼は緻密にして、通暁し給う御方であらせられるというのに。
15.彼こそはおまえたちに大地を低く(耕し、歩き易く)し給うた御方。それゆえ、その方々を歩き、彼(アッラー)の(援け給うた)糧を食べよ。そして彼の御許にこそ復活はある。
16.おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼が大地におまえたちを呑み込ませ給い、すると途端に、それが波立つことから。
17.それとも、おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼がおまえたちに小石をまき散らす強風を送り給うことから。それでいずれおまえたちはわが警告がいかなるものかを知るであろう。
18.そして彼ら(マッカの多神教徒)以前の者たちもかつて嘘と否定した。それでわが峻拒(しゅんきょ)がいかなるものであったか。

かつて、ある不信仰者たちが預言者(アッラーの祝福と平安あれ)に敵対することで話し合っていました。彼らはお互いに、「ムハンマドの主(つまりアッラー)に聞こえないように隠れて話せ」と言っていました。そこでアッラーは彼らに仰せになりました:おまえたちが話すことを秘めても公にしても、まことにアッラーはおまえたちの内部にあることを、それがおまえたちの舌によって暴かれる前から御存知である。

アッラーが人間の秘密や心に秘めるものを御存知であることについてクルアーンが知らせているところが意味するのはつまり、人間の心にアッラーに対する畏敬の念を植え付けたり、あらゆる罪を心から追い払うことはアッラーがお決めになることである、ということです。そのため人間はどんなにその罪業を隠そうとしても、その一つもアッラーに隠されることはないのです。

続いてクルアーンは、アッラーの御知識がさまざまなものに及んでいることを示す論理的根拠を出します:「創造し給うた御方が(秘密と公然を)知り給わないことがあろうか、彼は緻密にして、通暁し給う御方であらせられるというのに。」生物を創造し給うた至高なるアッラーこそが、疑いなく、より御存知であられる、という意味です。これは、アッラーの御知識が全てに及んでいることに関する建設的・論理的・驚異的根拠です。また自動車や時計を作る者はその詳細やそれらの各部が担っている働きについて知っているものです。生き物を創り給うた至高なるアッラーはそれらの創造主である故にそれらについてよく御存知であるのです。また彼は、「緻密にして、通暁し給う御方であらせられる」つまりものごとの詳細を知り給い、それらの諸真実に通暁し給うているという意味です。

次にクルアーンはアッラーの被造物たちに対する思いやりや恩恵の解明に移ります:
「彼こそはおまえたちに大地を低く(耕し、歩き易く)し給うた御方。それゆえ、その方々を歩き、彼(アッラー)の(援け給うた)糧を食べよ。そして彼の御許にこそ復活はある」アッラーは大地を「低い」と形容し給いましたが、おまえたちに対して従順である、という意味です。人間に対する大地の従順さはすべての時代にある自然現象ですが、現代においてはそれが顕著に表れています。人間は大地をその利益のために利用してきましたが、大地から得られる利益の活用を放棄することはけしてありませんでした。それはつまり人間が利益を得るために大地を征服している、ということは、至高なるアッラーが人間のために大地を従順なものとすることでの恩恵とし給うたことの確証なのです。

「それゆえ、その方々を歩き、彼(アッラー)の(援け給うた)糧を食べよ」の意図するところは、大地の方々、隅々、山々を歩き、アッラーがおまえたちのために大地から出し給うた糧を食べなさい、です。このクルアーンによる指導は、糧を得るために大地を歩くこと、そして無関心と怠慢に依存しないことを人々にせき立てます。他には、「アッラーの糧」という表現には、生活の構成要素は全ての人間の手元に十分備わっているべきであるので、誰もそれを独占してはならないことの強調の意味があります。「そして彼の御許にこそ復活はある」審判の日には清算のためにおまえたちは生きて墓からアッラーの御許へ行く、という意味です。

人々にアッラーの彼らに対する恩恵に関する解明が終わった後は、不信仰に対する懲罰の警告に戻ります。利用に適した扱いやすい大地は、反抗する馬のように不安定になって人々を呑みこむかもしれません。アッラーは仰せです:

「おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼が大地におまえたちを呑み込ませ給い、すると途端に、それが波立つことから。」

おまえたちは安全であるから、天におします御方の御力、権力、玉座つまりアッラーを恐れないのか、という意味です。アッラーの支配は大地に及んでいるのにここで天のみが言及されたのは、大地で崇められている偶像ではなく、天にてその御力を行使し給うているのが本物の神であるとの指摘のためです。他に次のようにも解釈できます:天におわします御方である創造主が「大地におまえたちを呑み込ませ給」うことから安全なのか。つまり大地が彼らをそれに染み込ませ、その中に消し去ることから。「すると途端に、それが波立つことから」その行き来において荒れる。

懲罰は、大地が人々を呑み込むことだけに留まらず、他にもあります:
「それとも、おまえたちは天におわします御方から安全なのか、(つまり)彼がおまえたちに小石をまき散らす強風を送り給うことから。それでいずれおまえたちはわが警告がいかなるものかを知るであろう。」

至高なるアッラーがその権力で「小石(ハースィブ)」をまき散らさないから安全なのか。ハースィブ:ロトの民に振ったような天からの小石または小石を引き抜くほどの強い風。「それでいずれおまえたちはわが警告がいかなるものかを知るであろう」不信仰者たちよ、いずれおまえたちが懲罰に見舞われる際にわれのおまえたちに対する警告の真実が現れるだろう。

そしてクルアーンは、使徒を嘘つき呼ばわりしてしまったために過去の諸共同体が被った出来事を例として示します:
「そして彼ら(マッカの多神教徒)以前の者たちもかつて嘘と否定した。それでわが峻拒(しゅんきょ)がいかなるものであったか。」

おまえの民が生まれる前に存在していた者たちは自分らの使徒を嘘つき呼ばわりしたのだ、ムハンマドよ。そこで彼らに懲罰を下すことでのわれの彼らに対する拒絶がいかがなものであったか、という意味です。まことに崩壊と滅亡の跡はこの懲罰を物語っています。

参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP15~17)
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