イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

聖なる地とは何を、どこを指しているのか

2009年01月24日 | 他の解説
聖なる地とトーラー的約束:

「聖なる地」の定義は、イスラエルの子孫の歴史の中で重要かつ複雑に多様化しており、トーラーが述べるところによると、「聖なる地」とは彼らが所有することを約束された地である。そしてこの約束は、―トーラーが述べるところによると―預言者イブラーヒームの時代に始まり、ムーサーの時代に実行されるまで続いた。

 聖クルアーンの食卓章の中に「アルドゥ・ムカッダサ:聖なる地」が登場する。その中でムーサーはイスラエルの子孫にそこに入るように呼びかける。代わって「アルドゥ・マウウーダ:約束された地」は何度もトーラー内の創世記に出てくる。また出エジプト記などにも繰り返し出てくる。

 ほとんどの学者と解説者が、クルアーンの意味することとトーラーの意味することを間違って理解することによって生じた宗教的間違いと歴史的間違いに陥っている。

 アッラーの御言葉:「またムーサーが、自分の人びとにこう言った時を思い起せ。「わたしの人びとよ、あなたがたが授かったアッラーの恩恵を心に銘じなさい。かれはあなたがたの中から預言者たちをあげ、あなたがたを王となされた。外のどの民にも授けられなかったものを、あなたがたに授けたのである。(20)わたしの人びとよ、アッラーがあなたがたのために定められた、聖地に入れ。あなたがたは、踵を返して退いてはならない。そうしたらあなたがたは失敗者になる。」(21)かれらは言った。「ムーサーよ本当にそこには、巨大な民がいる。かれらが出て行かなければ、わたしたちは決してそこに入ることは出来ない。もしかれらがそこから去ったならば、わたしたちはきっと入るであろう。」(22)主を畏れる2人は言った。―アッラーは2人を御恵みになられる―「(村の)正門から入ってかれらに当れ。一度入れば、本当にあなたがたこそ勝利するであろう。あなたがたがもし(真の)信者ならば、アッラーを信頼しなさい。」(23)だがかれらは言った。「ムーサーよ、本当にわたしたちはかれらがそこに留まる限り、決してそこに入れない。あなたとあなたの主が、2人で行って戦え。わたしたちはここに座っている。」(24)かれは申し上げた。「主よ、本当にわたしはわたし自身と兄弟の外は制御出来ません。ですからわたしたちを、この反逆の民から引き離して下さい。」(25)(主は)仰せられた。「ならばこの国土を、40年の間かれらに禁じよう。かれらは地上をさ迷うであろう。だからあなたがたは主の掟に背く民のことで悲しんではならない。」(26)」(食卓章20-26節)

 「われはかれと(その甥の)ルートを、万有のためにわれが祝福した地に救い出した。」(預言者章71節)

 「またわれは、猛威を奮う風(を起す術)をスライマーンに(授け)、かれ(スライマーン)の命令の下に、われが祝福する地に吹かせた。われは凡てのことを知るものである。」(預言者章81節)

「かれに栄光あれ。そのしもべを、(マッカの)聖なるマスジドから、われが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに、夜間、旅をさせた。」(夜の旅章1節)

 「われはかれらと、われが祝福した都市との間に、(旅人が)見付け易い幾つかの町を設け、その旅程を定めた。「昼も夜も安全に旅をしなさい。」」(サバア章18節)

 「祝福された地」と「聖なる地」が登場するが、両者は一つなのか?アッラーがイブラーヒームに約束された地について語るトーラーの言葉を並べ終えるまでその答えを出すのを延ばそう。

 創世記17節:「わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。」

 創世記26節:「あなたがこの地にとどまるなら、わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福し、これらの国をことごとくあなたと、あなたの子孫とに与え、わたしがあなたの父アブラハムに誓った誓いを果そう。」

 創世記28節:「あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。」

 出エジプト記3節:「それでわたしはあなたがたを、エジプトの悩みから導き出して、カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜の流れる地へ携え上ろうと決心した。」

 出エジプト記33節:「はモーセに言われた、「あなたと、あなたがエジプトの国から導きのぼった民とは、ここを立ってわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地にのぼりなさい。わたしはひとりの使をつかわしてあなたに先立たせ、カナンびと、アモリびと、ヘテびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとを追い払うであろう。あなたがたは乳と蜜の流れる地にのぼりなさい。」など。

 アッラーが預言者イブラーヒームにされた約束に基づいた、イスラエルの子孫に与えられると約束された聖なる地についての聖クルアーンとトーラーの言葉に類似点を見出すことが出来るだろう。

 ただ聖クルアーンは、アッラーがイブラーヒームとその子孫に土地を所有させる約束をされたと述べておらず、そう感じさせる表現も使っていない。もしトーラーの言うように主がイブラーヒームにカナンの地を所有させると約束されたのであれば、なぜアッラーは御自身の約束を完遂されなかったのか。イブラーヒームもイスハークも彼の子孫も誰もこの地を所有することはなかった。またアッラーはイブラーヒームと彼以降の彼の子孫を一つにされるとも約束されたが、イスマーイールもイブラーヒームの息子なので(地を)所有する権利があるのではないか。

 (以前の)創世記の議論の際に:至高なるアッラーはイブラーヒームとルートを不信の民から人間万有のためにアッラーが祝福された地へ救われたことが数回に渡ってクルアーンに出てくることを述べたが、アッラーがイブラーヒームにこの祝福された地を所有させるという約束をされたとはない。

 「わたしの人びとよ、アッラーがあなたがたのために定められた、聖地に入れ。」(食卓章21節)このようにムーサーは自分の民に言ったのだが、「聖」で限定された地が、「祝福された地」でなければならないわけではない。なぜなら、もしそうであるなら(聖地と祝福された地が同じであるなら)ば、きっと「聖」という言葉が何度も出てくるからである。アッラーが限定された民族のためでなく万物のために祝福された地の「祝福」は、宗教的精神的な祝福を意味し、物質的所有や独占を意味しない。もし所有を意味しているなら、全ての人がその地が自分たちに属すると主張したことだろう。ムーサーの言葉のところで停止しよう。「わたしの人びとよ、アッラーがあなたがたのために定められた、聖地に入れ。」この言葉の示すところはこの前後を読むことでしか理解できない。まず「入れ」という言葉は、征服しろ、攻めろ、そこにいるものを殺せ、という意味も、戦いを命ずる意味も含まない。「入ること」には一つだけではなく、様々な意味がある。もっと深い解説に入る前に、クルアーンにあるイスラエルの子孫が言った言葉:「本当にそこには、巨大(暴君、強力)な民がいる」(食卓章22節)に戻ろう。巨大な民とは誰なのか。彼らがいた聖なる地とは何なのか?

 彼らをカナンの民と仮定しよう。彼らが暴君であったとは知られておらず、もしそうだったとしたらアッラーはイブラーヒームとルートを彼らの地へ救われなかっただろう。またクルアーンもトーラーも、イブラーヒームがカナンの民に酷い目に合わされたと述べたことがない。

 (中略)

 次のクルアーンの節を見てみよう:「ならばこの国土を、40年の間かれらに禁じよう。かれらは地上をさ迷うであろう。」(食卓章26節)ムーサーとその民が聖なる地に入れず、彼らにその地が禁じられたことにおいてクルアーンとトーラーが一致していることが分かる。

 クルアーンの節の流れを注意深く見る人は、ムーサーの言葉「聖地に入れ」がアッラーの御言葉「この土地をかれらに禁じよう」からそう離れていないことが分かるだろう。彼らにとってムーサーの言葉は単にムーサーから彼らに対する試練である。そしてアッラーは預言者にこの民がどれほど腰抜けで頼りないかをはっきり示されている。彼らのムーサーに対する、「かれらが出て行かなければ、わたしたちは決してそこに入ることは出来ない」という言葉を想像してほしい。巨大な民がどのようにして自分の土地から子供、女性と出て行き、地を空にした後にイスラエルの子孫に「さあ、これがきれいになった土地です。こちらにいらっしゃり、ぜひ住まわれてください。」と言うことなどあり得るだろうか。

 ムーサーの民は、ムーサーが頼れるような巨大な民のいる土地に入って戦おうとする気持ちを持たない男たちである。この問題は、彼らの隠し事の暴露、また彼らのアッラーとムーサーと交わした契約と約束の放棄の範囲を超えるものではない。

 一つ目の仮定。ユダヤ人がムーサーから聖なる地に入ることを約束されたとしても、それはその地を占領することを意味しない。「そこには、巨大な民がいる」(食卓章22節)がその(占領することを意味しないことの)根拠となるのは「進入、入ること」が巨大な民との戦いを含んでいるかもしれないからである。しかし彼ら「巨大な民」は土地の持ち主ではなく、この地にやって来た時に戦争を経験した軍隊か兵士である。以上のことは、その民がギリシャのバルサタ(注:アラビア語発音)の民であるという意見に近くなるが、彼らが紀元前1150年、ちょうどムーサーがヨルダンとパレスティナの国境あたりに存在していた時期に海からパレスティナに向かってやってきた民であるとすべての歴史的研究が指しているからである。そのため、すべてのカナン族は一度も暴虐であると知られたことがないのである。

 二つ目の仮定。「正門から入ってかれらに当れ。一度入れば、本当にあなたがたこそ勝利するであろう。」(食卓章23節)この節は、ここで意図された聖なる地が城塞か、門を持った要塞化された小さな村であることを明言している。クルアーンの節が「正門から入って」とあることはつまり、力の中心や弱さがこの城塞か、要塞化された村の門にあることを指す。

 またクルアーンに述べられたように、神による土地の約束があるとすれば、この聖なる地が城塞か小さな要塞化された村以上のものを指さず、アッラーが万物のために祝福を垂れた地とは無関係であることが言えるかもしれない。

 また巨大な民は多神信仰の民で、ムーサーが自分の民に聖なる地に入るよう依頼したときに意図されたのがこの聖なる地を多神信仰から清め、ムーサーの純粋一神信仰を広めることだったかもしれない。

 しかしムーサーの民は誠実ではなかった。彼らの不誠実は、彼らがムーサーの命令に従わなかったとき、つまりムーサーが彼らを初めて試したときに確定したのである。

 ムーサーが彼らに聖なる地に入るよう依頼し、アッラーがそれを彼らに禁じる令が下るまでの物語は、イスラエルの子孫の預言者の命令に対する接し方を分かりやすく説明している数多くある根拠の一つである。

(ハサン・アル=バーシュ博士薯 「クルアーンとトーラー ~どこで合致しどこで相違するか」より)

http://www.biblioislam.net/Elibrary/Arabic/library/card.asp?tblid=1&id=17375

サファル

2009年01月24日 | 他の解説
ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーミ

預言者と彼の一族、教友、彼によく従った者たちに平安と祝福がありますように。

西暦2009年1月27日からサファル(陰暦2月)に入ります。サファルの前の月であるムハッラムは4つある聖月の一つで、その徳などがハディースに幾度も述べられていますが、サファル月は聖月でもなく、その徳についても目だった言葉は残っていません。残っていたとしてもそのほとんどが嘘のハディースであると証明されています。

陰暦12ヶ月の中、4月が聖月であることを次のアーヤが示しています:「本当にアッラーの御許で、(1年の)月数は、12ヶ月である。アッラーが天と地を創造された日(以来の)、かれの書巻のなか(の定め)である。その中4(ヶ月)が聖(月)である。それが正しい教えである。だからその聖月中にあなたがたは互いに不義をしてはならない。」(悔悟章36節)

ちなみに「聖月に不義を犯してはいけない」ことは、アラブではイスラーム以前から常識でしたが、
彼らが月の扱いをかなり疎かにしていたことが分かっています。

彼らは聖月の神聖さを重々承知していたにもかかわらず、自分たちの都合に合わせて月の到来を遅らせたり早めたりしていました。
サファルをムハッラムに変えたり、サファルを一年おきに聖月にしたり。

また当時の多神教徒は、サファル月に悲観していた(悪運の月、バチが当たるとされた)、とも言われています。もちろん、特定の時期などがアッラーの計画を害することなどあり得ないことなので、この考えは正しくありません。

イスラームはこれらすべての醜悪な習慣、考え方を一掃しても、ジャーヒリーヤ期から残る聖月の名称や尊さは残し、それらは現代に至ります。

※参考サイト:サイド=ル=ファワーイド صيد الفوائد