退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「絵画と写真」について

2013-09-19 03:17:25 | Weblog
晴れ。少しだけ暑さが戻ったような。

山内宏泰「上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史」を読む。

本書を読むだけで美術館に行った気分になれるのがお手軽。
しばし「アームチェア・ディテクティブ」になった気分。

ただ女子のモデルを入れ込んだ写真を載せるくらいなら
もっと大判の絵画の写真が見たいところ。

おそらくは実際に出かけさせるための「手段」だとは思いつつ
いささか物足りない感じがするというのは「贅沢」か。

引き続き飯沢耕太郎「写真とことば」を読む。

土門拳・木村伊兵衛・濱谷浩・森山大道・荒木経惟・桑原甲子雄
東松照明・一ノ瀬泰造・中平卓馬・星野道夫。

採り上げられた「25人の写真家」で名前を知っているのはそれくらい。
萩原朔太郎がその手の人物だとは不勉強にも知らず。

全体に年齢が高いこの「選択基準」はどういうものなのだろう。
文章については興味深いものもあればそうでないものもあり。

そもそも絵画も写真もまずは実物を見なければ始まらないのは事実。
もう少しそっち方面に時間を割くことも考える必要があるかも。

ふと昔伊東にある「池田20世紀美術館」に何度か足を運んで
結構時間をかけてあれこれ見た記憶がよみがえる。

映画「冬の華」の藤田進ではないけれど
シャガールの「パレード」がいたく気に入ったことは確か。

あとはミロの切り絵や靉嘔(あいおう)の虹シリーズ
ムンクや「北山泰斗」という画家の名前と作品など。

かれこれ30年以上前のことなので
記憶が正しいかどうかは不明なのでよろしく。

今ではすっかり旅行はご無沙汰。
どうせブラブラしているのだからたまにはひとりで出かけるのもよさそう。

ただし腰が重いタイプなので
実現するかどうかは定かではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「希望と願望」について

2013-09-18 03:18:19 | Weblog
快晴。いわゆる日本晴れ。

津田大介「ウェブで政治を動かす!」を読む。

著者の「客観的なスタンス」と「まとめ」は好ましい。
勝手ながら頼りになる「情報提供者」としておく。

「可能性」は「希望」だからどこまでも追いかけたくなる。
たまにそれが「実現」したように思えたりするあたりがミソ。

「現実」は常に「裏切るもの」。
なぜなら「理想」は実現しないからこそ「理想」だから。

そのことさえ押さえておけばあとは少しずつ「近づく」だけ。
もちろんその間にあれこれあることは承知の上で。

たとえば「あてのない散歩道」。
それくらいに思っておけばいいのかもしれない。

いたずらに否定することより
「どうしたら出来るのか」を考える方が楽しいのは事実。

とはいえ「悪口の愉しみ」も忘れたくはなく。
いやはや「欲望」というのはやっかいではある。

一直線な道はむしろ眠気を誘い
曲がりくねった道は「よそ見の喜び」を生む。

「楽しくなけりゃ人生じゃない」と思いつつ仏頂面で過ごす毎日は
自らが「矛盾の束」であることを教えてくれて。

深夜「イン・ハー・シューズ」を再見。

「女子の知恵と付き合い方」は男子のそれより深く現実的。
「重ねた年は伊達じゃない」ことをあらためて認識する次第。

宮澤賢治でなくとも「ソウイウヒトニワタシハナリタイ」。
あいにく本日も未熟者ではあるけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自然の猛威と器の小ささ」について

2013-09-17 03:43:54 | Weblog
くもりのち晴れ。夜風が少し冷たいほど。

それにしてもこのところの台風や大雨、竜巻の威力の大きさ。
一夜にして命や家を失う人々が増える恐ろしさよ。

いずれ予知できたとしても
襲われた土地から逃げるわけにもいかないのが難点。

自然が「一寸先は闇」を教えようというのか。
それもひとりひとりの身にしみるまで。

吉田則昭「緒方武虎とCIA」を読む。

気宇壮大な青年期を過ごした男は朝日新聞に入り出世
戦時中は情報局総裁、戦後公職追放を受けやがて保守政治家として活躍する。

親しい者の書いた伝記がその人物のイメージを決定的にすることがあり
新たな資料によってそれがいくぶん違ったものにもなったりもする模様。

著者はあまり「解釈」をせず
あくまで「資料」を紹介するに留まっているのが素人には面白くないところもある。

それにしてもわが国の歴史は「古代」以来
自国の資料でなく外国の資料によって知ることが少なくないというのが「ルール」なのか。

たとえば年月を経さえすれば資料を「公開」する制度を持つアメリカと
その時の「失敗」を「隠蔽」するために資料を消すわが国の違いたるや。

別にことさらアメリカを持ち上げるわけではなく
「歴史」や「民主主義」に対するわが国の「意識の薄さ」を思うのみ。

「結果」を「後世」に委ねるのではなく
その時その時の個人あるいは組織の都合でないことにしてしまうのだから。

もちろんそれは「失敗」を隠すためで
そのあたりはもう少し「堂々と」できないものかと思うのだが。

われわれも含めて「器の小ささ」をもっと自覚した方がよさそう。
「よく吠える犬」にはなりたくないもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「好ましいキャラクター」について

2013-09-16 02:27:41 | Weblog
くもりときどき雨。台風の影響あり。

とりあえず図書館へは行ったものの
今日は何だか気分が乗らず読書はなし。

帰宅後ドラマ「いねむり先生」を観る。

伊集院静の藤原竜也は「やさしい人」として描かれていて
色川武大=阿佐田哲也の「風体」を西田敏行が見事に演じていた。

波瑠が思いがけず夏目雅子に似ているのに驚く。
小島武夫のゲスト出演もあり。

「幻覚」という「共通項」があったのか。
登場人物の中に吉行淳之介がいなかったのがもったいない感じ。

黒鉄ヒロシと井上陽水は出ていたのに。
もちろん実際に接点がなかったのなら仕方がないけれど。

実在の人物たちがいずれも「一家をなした人たち」であり
いささか「ご存じ」という形の「もたれかかり」が強すぎた印象。

彼ら彼女らについて何も知らないで観たら
ドラマとして成立するのかどうか疑問に思った次第。

もっとも原作すら読んでいないのできちんとした評価はできないし
彼ら彼女らをある程度知ってしまっている身としては知らない人の反応もわからず。

ただし。

何事にもあれこれと「やかましい」現代において
色川武大=阿佐田哲也のようなキャラクターが「アリ」だということは知っておいていい。

それを「ナシ」にしてしまうと
おそらく世の中はずいぶんつまらないものになるだろうから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「縁遠いこと」について

2013-09-14 03:30:45 | Weblog
晴れ。今日も残暑。

気楽に読める本ということで
大屋洋子「いま20代女性はなぜ40代男性に惹かれるのか」を読む。

結論は実にシンプルで
「互いに不安を抱えているから」らしい。

アホくさ。

ちょいと真剣に頭を使えばいずれ「一寸先は闇」なのは誰でも同じこと。
今日の朝目が覚めたからといって明日の朝も覚めるとは限らない。

中学3年や高校3年、あるいは大学4年でもよろしい。
「この時は二度とない」と盛り上がるのに似ている。

どの時も「二度とない」という意味では変わりはしない。
要は何事かにかこつけて「ロマンチック」になりたいかどうかのみ。

今は亡き俳優殿山泰司に倣って言うなら「やれんのう」。
もう少し「まともな物語」を描いていただきたいもの。

さて。

そもそもを言えば「20代女性」も「40代男性」もあれこれいるだろう。
どうしても「傾向と対策」を知った上で行動したいのか。

「一緒に暮らす」かどうかはそれぞれの選択で
生物学上の男女の組み合わせも自由。

四の五の言わずにお好きにどうぞ。
出会いも別れもあるのは常。

余所を見て生まれる「欲望」など
「余所」という「風景」が変われば変わり。

いやはや。

この種の「ロマンチック」はとりあえず遠慮しておきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「好きだということ」について

2013-09-13 03:24:14 | Weblog
晴れ。残暑が続く。

小鷹信光「アメリカ語を愛した男たち」を読む。

ハメット、チャンドラー、ヘミングウェイ
デイモン・ラニアン、ジェイムズ・M・ケインそしてサリンジャーなど。

「ハードボイルド」を中心に「アメリカ文学をいかに日本語に移すか」。
「翻訳不可能性」を見据えつつ探究する著者の姿勢は「もの狂い」の域か。

「言葉にできない」とか「言葉を超える」とか安直に言う筋は
こうした「実践」をしっかりと見た上での発言を求めたいところ。

ただし相当に「淫している」ので
心底お付き合いできるかというと微妙だったりはする。

何事かを「好きになる」と言うことの意味を
あらためて見直してみるいいきっかけにはなりそう。

そして実はこの「レベル」こそが「真っ当」なのだと知ろう。
「きちんとした仕事」をするとはおそらくこういうことなのだから。

昔のドラマ好きには松田優作「探偵物語」の原案を作った人物としても有名。
訳された日本語の調子には確かに「同じノリ」がある。

さて。

わが国には世界各国に関する「専門家」があれこれいるのだろうから
彼ら彼女らの「叡智」を生かせば「国際情勢」も明確になるはず。

それが「わが国」という「奇妙な磁場」をクリアするのに必要で
これからもその種の人材を育てなければならないことは必至。

「好ましいモデル」のひとりとして敢えて挙げておきたい。
なぜなら「ここまでやれるかどうか」と思うとたいていの人は気が遠くなるから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「希望」について

2013-09-12 03:20:08 | Weblog
晴れ。やや暑さが戻る。

島村菜津「スローフードな日本!」を読む。

好奇心と行動力で全国を駆け回る著者の
「心地よい描写」がなかなか。

何事にもついつい否定的になりがちな自分とは対照的に
土地土地の人々を実に肯定的に捉えていて好ましいかぎり。

ただし3・11以前の作品であり
その後の「異常気象」も考えると本書に登場した人々のことが心配になる。

「多勢に無勢」とはいえ
こういうところに「希望」があるのかもしれないと思わせる内容。

ポイントは「現在あるもの」で
その「資源」をいかに有効利用するかにありそう。

「総選挙」というと思い出しやすいのはAKBや政治だけれど
文字通り「地に足の着いた」人々の暮らしぶりを競うようなイベントはあっていいかも。

本書に書かれた情報はより多くの人が知るべきだと思うので
「余計な考え」がちょいと浮かんだりした次第。

「いいと思うもの」にお金をかけるのは
アイドルやキャバクラに限る必要はないのだから。

「食べ物から始まる自治精神」というのはいかにも力強くたくましい。
普段「貧しい食事」を目にすることが多いので余計にそう感じることもあるけれど。

個人的には「スローな生活」はしているとはいえ
「スローフードの本当の魅力」を知らずにいた粗忽者。

この種の「ゲリラ戦」ならやりがいもあろうというもの。
「尻を叩いてくれる人」がそばにいるともっといいのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さまようこと」について

2013-09-11 02:41:59 | Weblog
快晴。爽やか。

前から気になっていた小幡績「リフレはヤバい」を読む。

古本屋で500円也。
元の半額ということになるのか。

経済学からの評価は素人ゆえよくわからない。
以前はとりあえず「インフレ・ターゲット」をすればいいと気楽に思っていたものの。

「ドル建て」で物事を判断すべきだということや
人を育てるべきだという話には納得する。

「イベント」によって得られる「経済効果」は常に一時的なものだとするなら
「循環」を見極めて「資産を生かす」という形で対処するのはなるほど。

「金融」のあおりをいたずらに受けないためにも
「手持ちの資源」を最大限に利用しつつ育てること。

経済の世界もいよいよ「ゲリラ戦の時代」らしい。
ベトナムに負けたアメリカを思い出したり。

どこにも「正解」がないのであれこれさまようのみ。
ただわが国の「特殊な磁場」だけには敏感でありたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光と影」について

2013-09-10 03:06:22 | Weblog
晴れ。吹く風がわずかに涼しい。

永井義男「吉原入門」を読む。

「伝説の遊郭」吉原についてのあれこれ。
歌舞伎や浄瑠璃にあるような「悲劇」と「現実」の違いを確認する。

「太夫」がいられたのも一定の期間で
結局は「大衆化の波」に押し流された模様。

性病予防の方法がなかった当時のことゆえ
遊女たちも客たちも梅毒にかかり放題だったという「事実」も。

だからこそ「夢」としてあれこれの「物語」が出来上がったのだろう。
時代を問わず「ロマンチック」は「不幸な現実」という土壌から生まれるもの。

運よく身請けされた遊女たちも長生きはできなかったり。
「身の削り具合」が激しいとそういうことにならざるをえず。

もうちょいと飲んで寝ることにする。
どうも「昼間」が似合わない体質だと思いつつ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日常と非日常」について

2013-09-09 02:19:26 | Weblog
くもりときどき晴れ。だったはず。

今日はというか今日もほぼひきこもり。
唯一マンガ喫茶に出かけたのみ。

「進撃の巨人」を11巻まで読み直してみる。
以前より少しだけ「魅力」がわかったような気がする。

どれだけ苛酷であろうと現実に向き合え。
謎は明かされぬままそのメッセージが繰り返される。

なるほどこれは「現在」に似ている。
いやむしろ「実存」と言うべきか。

もっとも自分が暮らしている「世界」がそういうものなのかと問われれば
必ずしもそうとは限らないだろうとは思うものの。

観測によって「現実」が変わることはすでに物理によって明らかなのだから
それぞれの「視点」にどんな「味わい」があるかが重要。

お互いに「なるほど」と思わせるものがあれば幸い。
さらに「交じり合うこと」によって別の「現実」が生まれることも。

テレビの中では「東京オリンピック開催」が喜ばれている。
決定は深夜だったにもかかわらず「祭り」に浮かれる人々もいた模様。

「期待」に動かされる「経済」から見れば望ましいことなのだろう。
ただしその「輪」の中にいない人々にとっては「違う光景」もあり。

「イベント」よりは「おだやかな毎日」が好ましいはずなのに。
「メディア」はここでも「奇妙な一体感」を作り出して。

「生活」というものはもっと地道なもののはずなのだが。
とはいえ「生活感のない男」が言ってみたところで説得力はないか。

「どこを見て暮らすのか」。
それによっていろんな「違い」があることだけは確か。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする