退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「環境の変化」について

2011-08-09 01:04:17 | Weblog
晴れ。久方ぶりに深夜にちょいとセミが鳴く。

「哲学の饗宴」面白くなってきたので再読決定。

やはりこちらの頭の調子のせいか。

明日明後日と仕事に行くと盆休みが始まる。
今年は都合八日ある模様。

それにしても今やほとんど仏教とは無縁であるはずなのに
なぜかお盆だけは人々の「暦」からなくなることはない。

クリスマスはある種商売っ気を感じさせるだけに
その理由はいったい何なのかと聞いてみたいところ。

「祖先崇拝」の気持ちがどこかに残っているのだろうか。
まあ、とりあえず休みがあるのは悪くないことだけれど。

今年の季節労働もようやく峠を越すところ。
引っ越しから一年になるはずの来年の今頃は何を思っていることやら。

あるかどうかもわからない「老後」のために
チマチマとわずかな「蓄財」に励んでいるはず。

今の上司に言ってもどうにも信じてもらえないのだが
借金もない代わりに貯金も年金もない。

おそらく「普通の感覚」からすると信じられないほどの「無謀」なのだろう。
そこはそれ「ヤクザ」ということで。

わずか66年前の敗戦時にたいていの人々は何も持っていなかったのだから
別にどうってことはなかろうと思っているのみ。

流行歌にあるような「守りたい」存在もなければ
是が非でも手に入れたいといった類いの「物欲」もなく。

今回実家に戻ることになって
ますます「地味」に暮らすことになりそうだし。

ただただ面白そうな本を読んでいればいいだけ(ちょっとだけDVDも)。
ひょっとしたら今のひとり暮らしよりもむしろ「充実した環境」になるのかもしれない。

ただし何かとうるさい母親との暮らしは
それなりの「ストレス」も生むことになるだろう。

とにかく「環境」が変わることだけは確かなことで
それが何をもたらすのかはめんどくさいのような楽しみのような。
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「さよならの夏」がそれぞれの声色を引き立てる曲だということについて

2011-08-08 03:04:14 | Weblog
毎度youtube。

手蔦葵森山良子倍賞千恵子

囁きの息の中に力強さを秘めた声とあくまで透明なハイトーンの声、
シャンソンのように歌い上げる落ち着いた声。

やや日本語の発声に外国語らしさがあるものと「正しい日本語」を思わせるもの、
地に足の着いたドラマを感じさせて響くもの。

たとえばここに椎名林檎バージョンを加えたりすると
ちょいとストリート風のギザギザした雰囲気が出るのだろう。

あるいは松田聖子なら彼女独特の甘えて上ずったような声が
別な「夏」を演出するはず。

桜田淳子ならいかにも「学園風」。
UAであやしげに。

深田恭子だと少し背伸びした感じ。
小泉今日子はやや暗いムードも出そう。

中森明菜ならドロドロした背景もあり。
「純粋」を出せたはずの昔の杉田かおるとか。

この曲にどうしても合わない人も当然いて。

あれこれ考えると楽しい。
あー、井上陽水が歌うとなんだかイヤらしくなりそう。

「黒一点」を交えたあたりでとりあえず終了しておく。
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「遠きにありて思うもの」について

2011-08-08 01:35:14 | Weblog
晴れ。朝からバタバタする。

「哲学の饗宴」はまだ読み終わらず。
どうやらあまり内容には歯が立ってない感じ。

あれこれ落ち着かないので
頭がまともに動いてないということにしておこう。

マル激のNコメを観る。

福島では夏休みを機会に「疎開」する子どもがさらに増えるらしい。
もちろん「内部被爆」のことを考えるとどうしようもないこと。

ただ住み慣れた環境を一気に奪われてしまう子どもたちのことを考えると
やはり「原発事故」というものの影響の大きさを考えざるをえない。

友だちと唐突に離れ離れになる寂しさを抱えながら
彼ら彼女らは生きていかなければならない。

ちなみに戦争当時の疎開を描いた作品で知っているのは
小林信彦「冬の神話」のみ。

イジメあるいはそれに類することが各地で起きる(すでに起きている)ことも予想され
それぞれの苦悩がしのばれる。

もちろん「幸福な出会い」もあるとは思われるので
できるだけたくましく生き延びてもらいたいと思うのみ。

そうしたことを子どもにある意味「強制」せざるをえない大人たちの苦労もあり。
少なくとも数万単位の人々の「現状」がそうであることは知っておきたいもの。

やせがえる 負けるな一茶 これにあり とかつて詠んだ俳人がいたことを思い出す。

この「応援歌」は時代を超えるものだと思うので敢えて。
少しだけ笑って受け止めていただければ幸いだけれど。
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まだ当分は続きそうな「お気楽」について

2011-08-07 01:31:05 | Weblog
晴れ。お腹の調子が今ひとつ。

「哲学の饗宴 大森荘蔵座談集」をちょっとだけ読む。

今から17年前くらいに出た本のよう。
「自分の正しさ」などいたずらに主張せず意見を交換する姿は好ましい。

この「当然」が「当然」でなくなって久しいので
現在からすると余計に貴重なものに思える。

内容については読み終えてから書くことにする。
しばらく時間がかかりそうだけれど。

明日は朝から引っ越し関係の荷物の処理など。
本来はガランとした何もない部屋が好きなはずなのにこの二十年余りでずいぶんと余分なものがたまった。

とはいえ本棚やラック類はすでに解体してあり
二槽式の洗濯機と小さな冷蔵庫が敢えていうなら「大きめ」のもの。

これから実家に戻ることになるのだけれど
今度ひとりで住む時には本格的に何もない部屋にすることを固く心に誓う次第。

もっともいつのことになるのやら不明。
とりあえずこの年齢まで「経済」を無視してきたツケが回ってきたということか。

「経済」をどうでもいいものにするためには
それなりに「普通の暮らし」を確保すべきだったとすれば不覚の至り。

ただし本気で「後悔」などしないのがいつもの「自分」。

そのうちなんとかなるだろう。

そう嘯いたままやがて寿命がくればラッキーで
その程度の「ささやかな幸運」ぐらいは持っていたいものではある。

乞う、ご期待などと言いつつ
何も期待していなかったりもするのがややこしい。
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「虚実」の「皮膜」について

2011-08-06 01:33:03 | Weblog
晴れ。空に厚味のある白い雲。

金井美恵子「猫の一年」読了。

後半はやや印象が変わる。
「ヒデさん=元プロサッカー選手中田英寿」ネタの連続。

彼と彼を「評価する」周囲の男たちの「ウソっぱちぶり」が執拗に。
個人的には「『バブル』でもないのに『虚業』をしている人」だと思っている。

「世界の中田」という過去の「ブランド」よりは
「世界のナベアツ」や「世界の山ちゃん」の「現在」の方がずっと好ましい。

何より海外で彼以上に活躍し評価されている選手たちがいるのだから
「世界を知っている男」としての意味はとっくに失われているはず。

その「事実」が無視されて「ブランド」が成り立つのならば
「日本」という「閉ざされた市場」は相当にいい加減であることだけは明白。

「キング・カズ」という呼び名も着ている服のセンスも好きではないけれど
いまだに「現役」であり続ける三浦知良の「実業」が相対的に浮かび上がって見えるというもの。

問答無用に「世界レベル」と競争できるのがスポーツの「よさ」であり
とりわけサッカーについてはかつて「彼方」にあった「世界レベル」を誰もが知るようになった。

たとえ試合のごく一部であったとしても(もちろん試合すべてを見ることもできる)、
プレミアリーグ、リーガ・エスパニョーラ、セリエAとJリーグの「差」は誰が見ても歴然。

そうした「開国」はとっくの昔になされているのに気分だけがいつまでも「鎖国」なのは
敢えて「鎖国」であることにしておくことで「利益」を得る者のためとしか思えないのだが。

たとえばサッカー解説者のセルジオ越後は「辛口」という評価らしい。
「当然」を話すと「辛口」になるのが「日本という磁場」だと知っておこう。

その程度の「メディア・リテラシー」がないと
「わがムラ」の「外の現実」はわからないのが「普通」。

映画「マトリックス」同様
「楽しい擬似現実」で遊んでいたい向きはご自由に。

ただしそういう人とはあまりお付き合いしない方針なのでよろしく。
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「途中経過」について

2011-08-05 01:47:17 | Weblog
晴れ。部屋の片付けで汗をかく。

金井美恵子「猫の一年」を読み始める。

今のところ著者の「意地悪さ」が生み出すものの印象が変わった感じ。
「乾いたユーモア」から「湿ったグチグチ」へ。

なるほど体力があれば鼻水が出るのもかまわず「フンッ」と言えるけれど
相手が「老い」となるとそうもいかなくなるのか。

ついつい気になって先に覗いてしまった「あとがき」には
予想通り「猫の一念」とのつながりが書いてあった。

元々は「虚仮の一念岩をも通す」ということわざ由来の「一念」で
「虚仮」には「愚か者」という意味がある。

著者はどこかで吉行淳之介がその筋の女性に人気があるといったことを書いていた記憶があり
彼にはたしか「鬱の一年」というエッセイ集があったはず。

目の病気については「人工水晶体」という本も出していて
吉行作品の評価についてはともかく「似たような境遇」になった模様。

さて。

著者も言うようにやがて迎える「老い」をどのように「消化」するのかは今後の楽しみ(寿命があれば)。
とりあえずは「先人の経過」を参考にするつもり。

たとえば谷崎潤一郎、山田風太郎、あるいはクリント・イーストウッド。
好ましい「老人たち」を思いつくままに挙げてみたり。

かつて「夜になっても遊び続けろ」というタイトルの本を出したこともある著者は
果たしてどのような「変身」を遂げるのだろう。

まずは本書を読み終わって確認しておくことにする。
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「敬称」は略すが「継承」すべきものについて

2011-08-04 01:49:41 | Weblog
晴れ。久方ぶりだがそれほど暑さはなく。

小林信彦「映画が目にしみる 増補完全版」何度目かの読了。

帯に「最後の映画コラム集」とあるのにあらためて気付く。
著者も来年は傘寿(八十歳)だものなあ。

映画関係の著作がある人で繰り返し読んで飽きない人を挙げておくと
著者、蓮實重彦、山田宏一、和田誠、山根貞男といったところか。

今年初めに亡くなった双葉十三郎や淀川長治、野口久光は別格で
森卓也、西脇英夫、そして川本三郎、加藤幹郎、中条省平、さらに町山智浩、柳下毅一郎が続く印象。

亡くなった人でいえば双葉十三郎の「ぼくの採点表」を出していた瀬戸川猛資、
「男のだいどこ」などのエッセイもあった荻昌弘、水野晴郎も加えたいところ。

もちろん女性がいないのはおかしいので
秦早穂子、渡辺祥子、金井久美子・美恵子姉妹、中野翠、石川三千花を。

これらの人々が一同に会して
あれこれと映画について語ってもらったらどんなに楽しいことだろう。

どこかの編集者がそういう企画を立てないものか。
全員参加が無理なのはもはや「事実」なのでその一部の組み合わせだけでも是非お願いしたい。

いずれも自分より年上の方たちで
彼ら彼女らがいるような「サロン」があればいいのに。

敢えて固有名詞を連ねたのはそこからあれこれ「検索」できるだろうから。
とりあえず知っている「水脈」を並べただけなのであとはよろしく。

なんとなく最後に大貫妙子「横顔」を。
ちょいと失敗が微笑ましい感じが自分に似合いそうなので。
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用のない「近況」など

2011-08-02 00:26:19 | Weblog
雨のちくもり。朝から季節労働をこなす。

出張した仕事場近くのモスでモーニングを食べ
本も読まずにボーッと煙草を吹かす。

出勤する人々を窓越しに見ているのが何だか気持ちいい。
朝の30分は昼間の1時間に相当する感じ。

昼すぎに仕事を終えて電車で慌しく移動。
降りるはずの駅を乗り過ごしたので戻ってミスドへ。

ここでもドーナツを一個食べた後
ひたすら煙草を吹かしてボーッとする。

なぜか本を読む気になれず。
カバンにあるのは何度目かの小林信彦「映画が目にしみる」の文庫だけれど。

その後いつもの仕事場でいつも通りに仕事をこなす。
帰りの電車で眠ろうと思ったものの何故か寝付けず。

帰宅してパスタとサラダの夕食。
普段はのんびり暮らしているだけにやたら「ハードワーク」な雰囲気で。

人が何にでも慣れてしまう生きものだということは承知しているものの
普通の人々はよくこんな生活を毎日続けられるものだと思うことしきり。

とはいえこれまで気ままに一人暮らしを続けてきた自分も
あと3週間後くらいには実家に戻らなければならない。

「他人に迷惑をかけたら困る」という母親への「親孝行」のつもりで
とりあえずわずかな稼ぎの中から「貯金」などをする予定。

借金はあるのかといえば昔の彼女に借りた数万だけ。
もちろん返すつもりではいたのだがそれより別れた方がある意味「安かろう」という「計算」。

当時はすぐに返す余裕はなく今さら返すのも迷惑だと思われるのでそのままに。
彼女は相当な「生活力」があるタイプなので敢えてそういうことに。

「ヤクザ」は「ヤクザ」らしく片隅で暮らせばいい。
「カタギ」に迷惑をかけるのは一度で十分。

そんなわけでしばし「季節労働」は続く。
もちろん「季節労働」が終わればまたいつもの通りにグダグダと。

それでどうにか暮らせるのだから
ありがたいことだと思うよりない。
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「志」について

2011-08-01 01:30:37 | Weblog
晴れ。今年は暑さがないのか暑さに慣れてしまったのか。

仕事帰りに飲みながらちょいとミーティング。
緩みがちなところを互いに指摘する。

「仕事をする」というのは実に抽象的な言葉なので
その中身は絶えずチェックする気持ちが必要。

日常の作業に慣れてしまうとついついいい加減になってしまうもの。
同時に「100%などない」のが本来。

むしろヴェテランになればなるほど
「こなせてしまうこと」には敏感でありたい。

価値を貨幣で表してしまえば「シンプル」だけれど
「貨幣以前」にやるべきことをきちんとすることの大事さを忘れずに。

「職人の真摯さ」を共通に持とう。
それはやがて「アーティスト」にもつながる道のはず。

「素敵な人」に出会ったのなら
「後輩」に対して彼もしくは彼女のような存在になる「義務」があるのだ。

そこにこそ人のつながりはあるし
そういう「伝統」は受け継がねばならない。

いわゆる「負の連鎖」が少なくもない現代においても
かろうじて「水脈」は存在する。

どういう形であってもかまわない。

「いいもの」は残さなければ
そのことを知った「意味」が失われてしまう。

「志」というものについて
あらためて考えてみてもいいだろう。
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