晴れ。風強し。
遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」を読む。
われわれの身体がいかに「ありあわせのもの」から凸凹に造られたかというお話。
もっともそこには数千万年といった「単位」が普通にあったりする。
顎関節から耳の骨あるいは鰓から顎へ。
はたまた鰭にたまたま骨があったことから手足が出来たことなど。
その一方「短期間に『結果』を求める研究」がのさばる愚についての指摘も。
「資本主義」をいたずらにあちこちに当てはめてはいけないにもかかわらず。
本書が出たのは11年ほど前。
この「サムライ」は今どうしているのだろうと思ったら。
東大の総合研究博物館にいる模様。
2年前には「怒り新党」にも出演したようで道理でどこかで観た記憶が。
とりあえず「現場」で活躍しているようでまずは目出度い。
この種の「人材」を知ると「未来」に希望が持てる次第。
職種を問わず「プロとしての覚悟」を知るのもいいだろう。
「いつでもどこでも『力』を発揮できる」のがそれ。
このレベルを「常識」にしたいところ。
だって「当然のこと」だもの。
その一方。
身近な若者たちはすぐに「バグる」もしくは「フリーズする」。
まるでヘボなプログラムあるいはパソコンのように。
ついさっきまで出来ていたことが唐突に出来なくなったり
注意したばかりのミスを直後に繰り返したり。
後者は「脳内ひきこもり=相手の話す内容を聞いていない」せいだと理解するとして
前者はいったい何が原因なのか。
おそらく「十分にわかった上での行動」ではなく
たまたま「出来ていたのだ」というのは何となくわかるものの。
どうやら「同じ作業」を繰り返せない「体質」があるようで
彼ら彼女らには一様に「ルールもしくは順序」というものを重んじない特徴があることは確か。
当たり前の話だが「同じ作業」は「同じ手順」で繰り返されるからこそ
「半ば眠っていても」無意識の内にできるようになる。
その「単純」が「実行できない」らしい。
繰り返すがどうなっているのか。
まるで常に「一寸先が闇」であるかのよう。
もっとも突き詰めて考えればそれは「正しい」のだけれど。
「不安」に脅えながら一向に「安心」を求めず
「不確かさ」に対抗する「型=フォーム」も持たず。
むしろこれまで「積み上げたはず」のそれを一気に投げ出して「デタラメ」をしたり。
まるで「確かなもの」など何もないといった趣き。
「身の回りの世界」がそれだけ「不安」に満ちているのだろう。
だとすればそこで「安定志向」を非難する前に。
そうした「世界」を「現実」にしてしまった「大人たち」の責任を問う方が先かも。
「ホームベース」がないのに「冒険しろ」というのはただの「無茶ぶり」だと知ろう。
遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」を読む。
われわれの身体がいかに「ありあわせのもの」から凸凹に造られたかというお話。
もっともそこには数千万年といった「単位」が普通にあったりする。
顎関節から耳の骨あるいは鰓から顎へ。
はたまた鰭にたまたま骨があったことから手足が出来たことなど。
その一方「短期間に『結果』を求める研究」がのさばる愚についての指摘も。
「資本主義」をいたずらにあちこちに当てはめてはいけないにもかかわらず。
本書が出たのは11年ほど前。
この「サムライ」は今どうしているのだろうと思ったら。
東大の総合研究博物館にいる模様。
2年前には「怒り新党」にも出演したようで道理でどこかで観た記憶が。
とりあえず「現場」で活躍しているようでまずは目出度い。
この種の「人材」を知ると「未来」に希望が持てる次第。
職種を問わず「プロとしての覚悟」を知るのもいいだろう。
「いつでもどこでも『力』を発揮できる」のがそれ。
このレベルを「常識」にしたいところ。
だって「当然のこと」だもの。
その一方。
身近な若者たちはすぐに「バグる」もしくは「フリーズする」。
まるでヘボなプログラムあるいはパソコンのように。
ついさっきまで出来ていたことが唐突に出来なくなったり
注意したばかりのミスを直後に繰り返したり。
後者は「脳内ひきこもり=相手の話す内容を聞いていない」せいだと理解するとして
前者はいったい何が原因なのか。
おそらく「十分にわかった上での行動」ではなく
たまたま「出来ていたのだ」というのは何となくわかるものの。
どうやら「同じ作業」を繰り返せない「体質」があるようで
彼ら彼女らには一様に「ルールもしくは順序」というものを重んじない特徴があることは確か。
当たり前の話だが「同じ作業」は「同じ手順」で繰り返されるからこそ
「半ば眠っていても」無意識の内にできるようになる。
その「単純」が「実行できない」らしい。
繰り返すがどうなっているのか。
まるで常に「一寸先が闇」であるかのよう。
もっとも突き詰めて考えればそれは「正しい」のだけれど。
「不安」に脅えながら一向に「安心」を求めず
「不確かさ」に対抗する「型=フォーム」も持たず。
むしろこれまで「積み上げたはず」のそれを一気に投げ出して「デタラメ」をしたり。
まるで「確かなもの」など何もないといった趣き。
「身の回りの世界」がそれだけ「不安」に満ちているのだろう。
だとすればそこで「安定志向」を非難する前に。
そうした「世界」を「現実」にしてしまった「大人たち」の責任を問う方が先かも。
「ホームベース」がないのに「冒険しろ」というのはただの「無茶ぶり」だと知ろう。