退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「国を問わない『ルール』と描写の『ルール』」について

2024-04-09 02:40:55 | Weblog
くもりのち雨。深夜まで降り続く。

柴崎裕二編著「シティポップとは何か」を読む。

これだけの分量がありながら考察は思ったより浅く。
残念と言うよりなく。

「シティポップ」が評価されるのはおそらく単純な理由で。
「一定の『豊かさ』」を得た社会に暮らす若者は「同じもの」に惹かれる。

「故郷」も「家族」も「当て」にはならず。
かといって「友人」も同様だったり。

「頼り」になるのは「センス」のみ。
そこに幾許かの「孤独感」が加われば「全開」。

「消費は人を孤独にする」と言ったのは福田恒存。
それが「シティポップ」を引き寄せる仕組み。

この「法則」はおそらく国を問わず。
インターネットがそれを「繋ぐ」ことになっただけ。

バラン・ボー・オダー「ピエロがお前を嘲笑う」(’14)をおそらくは再見。

本作の基本はブライアン・シンガー「ユージュアル・サスペクツ」(’95)。
デヴィッド・フィンチャー「ファイト・クラブ」は(’99)で。

さらに言うなら。
主人公が言うことをそのまま映像にして「騙す」のは「反則」なのを忘れずに。

あとで「本当はこうでした」というのはいかにも味気なく。
それだったら「如何様=イカサマ」にも出来てしまうから。

「描写のルール」が崩れて久しく。
おそらくそのことにさえ気付いていない人々が増え。

読者あるいは観客に「公平な情報」を与えた上で「なるほど」と思わせるのが「本来」。
「偽情報」をさんざん与えた後で「実は」と言われても何だか。

この「根本的な間違い」が蔓延って久しく。
繰り返すが「劣化」はあらゆる場所にある。
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