退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『メディア誕生』のあやしさとどうにも『貧相な』映画」について

2021-04-02 02:41:18 | Weblog
晴れ。おだやか。

菊池良生「ハプスブルグ帝国の情報メディア革命」を読む。

当時の情報のやりとりは「郵便」でしか行えず。
「情報の速さ」が左右する状況が「速さのみ」を求めさせることになり。

なぜならその結果として「有利に行動すること」が可能になるから。
例えば今なら「インサイダー取引」に当たるようなものだということで。

そのようにして「経済システム」が出来上がった過去にふむふむ。
「儲けるあるいは敵に勝つ」ためには「誰よりも早く情報を知る必要」があり。

一方で「信書の秘密」は守られず必ず開封されたりもして。
やがてそれが「公開された情報」を伝える「新聞」を生み出すことにも。

「メディア」というものの「誕生」がそもそも「相当にあやしいこと」を忘れずに。
そして昔から「情報」がほぼ「貨幣」であったことも同様に。

チャールズ・エーデルマン「ザ・ディテクティブ 殺人レクイエム」(’09)を観る。

「連続殺人」と「過去のトラウマ」あるいは「多重人格」を絡めた物語。
この種の「精神分析偏重ぶり」は「過去の遺物」でないとどうにも。

後半で明らかになる「因果」も何だか。
どこにも「感情移入」できるところがなく。

過去の映画で評価されたポイントをいかにも下手にまとめたという印象。
俳優陣にも魅力が感じられず。

シェークスピアの引用も何だか。
いかにも「ダメな飾り付け」を見るようで。

すべてが「意味ありげ」なだけ。
「観てはいけない作品リスト」入りということでよろしく。
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