退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「スゴい個人と凡庸な悪」について

2016-10-22 02:21:15 | Weblog
晴れ。おだやか。

クラーク・エリオット「脳はすごい ある人工知能研究者の脳損傷体験記」を読む。

重度の脳震盪によって日常生活が困難になった著者が
別の「回路」を訓練することで元の生活を取り戻す内容。

何より困難の最中大学教授を続けられたという事実と
著者の何としてでも日常生活を続けるという強靭な意志に驚く。

三段階ほど脳機能を動かす「バッテリー」があって
さまざまな情報に対処しなければならなかった後の回復には相当に時間がかかったと。

その様子を克明に記録できるだけの「力」が残っているという不思議。
元々「知能が高い」という記述はあるものの「超人的」としか思えず。

不幸にも自殺してしまう人々が少なくない中で
あれこれ迷いつつも決して絶望しきってしまうことがないのだから。

それにしても何気ない日常の行動に迷った挙句
数時間もかけてやり遂げてしてしまう「タフさ」の源は「研究者としての好奇心」なのか。

いやはやタイトルは「脳はすごい」だけれど「著者はすごい」が正しいと思われる。

深夜NHKスペシャル「村人は満州へ送られた~“国策”71年目の真実~」の再放送を観る。

「敗色濃厚」になってもお構いなしに動き続ける「官僚機構のマシンぶり」たるや。
ただの「ノルマ達成」が村人たちを平気で犠牲にして。

それと引き換えに「補助金」を渡す「相手の足下を見るやり口」は当時も変わらず。
「生命線」を通達なしに勝手に引き下げ開拓民を見殺しにする関東軍も。

勝手に取り上げた土地を提供したことが原因で
その「事実」を知らない開拓民が地元農民に迫られ集団自決に追い込まれる酷さ。

「命令に従っただけ」という「凡庸な悪」がナチス同様ここまでの惨劇を引き起こす。
「戦争という非常時の怖ろしさ」をあらためて知っておこう。
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