退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『現場』に敏感な理論家とあれこれの影響は見えるがあまり面白くないベネズエラ映画」について

2024-03-05 02:47:19 | Weblog
晴れときどきくもり。少しだけパラつく。

斎藤幸平「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」を読む。

「人新世の『資本論』」を読まないままの「初顔合わせ」。
「現場」を知ろうとする著者の真摯さはわかるものの。

「資本論」を書いたマルクスは「現場」を知っていたのかどうか。
むしろ「自らの理論」に集中したのではないかと思われるのだが。

とはいえそれが著者の「信念」ならそれもよし。
「功を奏すること」を望むのみ。

「現実」は複雑なのでいたずらに「悲観的」になるのはよろしくないとして。
あまり「楽観的」になれないのも事実。

サミュエル・エンリケス「用心棒の男」(’15)を観る。

お話の展開からすると基本は黒澤明「羅生門」(’50)。
「アンナ・カリーナ」や「アルファヴィル」(’65)のポスターからゴダールも好きらしく。

大富豪ディエゴが日本語を話したり。
「コバヤシ・ハナ」という女優が「コーヒー・ルンバ」を歌っていたり。

「カバンの中身」はあくまで明かされないまま。
主人公はそれを守る。

ただし全体に面白いかと言われると微妙。
「時制の工夫」も含めて。

98分という「好ましいはずの長さ」を持て余した次第。
ベネズエラ映画はおそらく初めてのはず。
コメント
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