退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「新しい視座による『発想の転換』と好ましい研究者あるいは生き延びてほしい若者」について

2019-09-11 02:06:00 | Weblog
晴れ。36度。

昨日は何も書かずに寝る。

どうやら疲れていた模様。
意識と体力のギャップ再び。

平田オリザ「わかりあえないことから」を読む。

人はついつい適当なレッテルを元に「同じ」だと思う。
いやここでの「人」は「日本人」に限った方がいいか。

それでも現実には「わかりあえないこと」の方が多い。
ならば「わかりあえること」を「珍しいこと」だと捉えれば。

そして人が「さまざまに演じる存在」であることをあらためて。
相手によって態度が変わることを思えば。

「西洋近代演劇」を間違って「輸入」してしまったという視点にふむふむ。
とりわけ西洋語の発声をそのままマネしてしまった「罪」は大きそう。

「不自然な芝居」とはそこから生まれるのだと。
著者の舞台は残念ながら未見なので機会があれば是非確認したいところ。

鹿野雄一「溺れる魚、空飛ぶ魚、消えゆく魚」を読む。

アジアモンスーン地帯は「淡水魚のホットスポット」だとのこと。
まだまだ確認されていない魚がいる一方で絶滅していく魚も。

各地に出かけながら論文を仕上げる際に
その詳細が削られることを残念に思う著者はいかにも「現場の人」。

もっとも「データの処理」に関してはキッチリしている模様。
現場を重視しつつ武器についても詳しい「戦争ジャーナリスト」のような。

「研究者」たる者こうでないとといった趣き。
「好き」ってこういうことなんだとも声を大にして言いたいところ。

さて。

知り合いの若者は相当な「釣りキチ」。
琵琶湖や九頭竜湖にもしばしば出かけるフットワークのよさを持つ。

彼が作った「カエルの動きをするルアー」は
無意識に「バイブレーター」にそっくりだがその事実は言わずに置いた次第。

メルカリを使って「費用」も稼いでいる。
「需要」あるところに「供給」をして。

残念なのは彼の話に同級生が一切乗ってこないこと。
「釣りキチ」のオヤジたちとは相性がいいのだけれど。

「趣味を同じくしない」ので仕方がない。
こちらは適当に話を聞きつつ「なぜ彼の話が独り言になるのか」を指摘したり。

それだけ「好きになるものがあること」は「しあわせ」なのだと付け加えて。

「従来の制度」の中で何とか生き延びて頂きたいもの。
そこさえ突破すればあとは「天国が待っている」と伝えて。

いわゆる「常識」に関して彼の知識は圧倒的に「貧しい」が
そんなことを「どうでもいいこと」にするくらいの「好き」がそこにある。

「好ましい若者」ぶりよ。
アイザック・ウォルトン「釣魚大全」の存在を教えておく。

たぶん彼は決して読まないとは思いつつ。
コメント
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