退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「気候と環境」について

2015-03-05 02:14:23 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

ハイディ・カレン「ウェザー・オブ・ザ・フューチャー」を半分くらい読む。

「気候変動」に関するわれわれの「実感」はどうしても薄くなりがち。
「未来予測」を含めながらの筆致はひたひたと迫る感じ。

気候にとって「炭素循環」や「海流」がかなり大きな影響を与える模様。
「ハインドキャスト」という過去の事実をコンピュータによるモデルで確かめる方法になるほど。

モデルの精度を高める意味での重要さに納得。
もちろんどのようなパラメータ=要因を重視するかによって結果は変わるものの。

「第Ⅱ部」で具体的な地域に関するあれこれが描かれるのだけれど
ここへきていささか「緩む」のが残念。

とりあえず明日に期待。
読み手として「カラクリ」の方に興味が偏るきらいがあるか。

話を変えて。

「反知性主義」がどこから生まれてくるものなのか詳細は不明だが
基本は「白黒はっきりしない」というあたりにありそう。

われわれがいかに「世界」を知らないかという「事実」以前に
「自分の認識」が「世界の中心」になってしまう厄介さよ。

「あいまいさを生きる体力のなさ」とでもいったらいいのか。
感覚器官が「情報を遮断するクセ」のある「人間の体質」のなせる業とも言えて。

「世界」に対して圧倒的に「無力」であるという「基本」は押さえておきたいもの。
だからこそ人は「完璧な存在」である「神」を創ったりして。

ところが巷では「自分にできないこと」あるいは「部分的によくできたこと」を
いたずらに「神」などと呼ぶ輩が増え。

どの分野にも「好ましいプロフェッショナル」という存在はあるのだから
いいかげんに「自分の基準」は捨ててそうした存在を「基準」としたらいいのだが。

その一方安易に他者を「神」と呼ぶ「自分のザマ」を振り返ろう。
「年齢なりの子ども」なら仕方がないがどんな「貧しい世界」を生きてきたのか。

いわゆる「貧困」とは別の「どうしようもない貧しさ」よ。
こうした「生きもの」を育ててしまう環境を何とかするのも大事なこと。

何度でも繰り返すが「資源としての人」をきちんと育てよう。
人は実に簡単に「怪物」になれるのだから。
コメント
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