退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「夢の跡」について

2015-03-03 02:53:50 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

春日太一「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」を読む。

「天才 勝新太郎」の著者による「東映京都撮影所の歴史の断面」。
「柳の下のドジョウ」を追うスタイルは「東映のDNA」なのか。

「前近代の魅力」がここにはたっぷり。
「徹底した非合理性」は「合理性」を超えることもあるというお話。

ただしそれは「夢の空間」で残念ながら長続きはしない。
「二度と戻れない祭り」だと思ってよさそう。

もっとも「平板な合理性」を生きることと比べてみると
この「強度」は途轍もなく魅力的ではある。

われわれは自分自身の「祭り」をするのかどうか。
「芸事」に携わる者はおそらく常にその場所を目指すのだろう。

登場人物たちの「キャラクターの濃さ」よ。
ある種の「三国志」だと思えばなるほどと落ち着き。

「王様」は結局「家来」に支えられているという「仕組み」があらためて身に染みる。
「映画村」からは伺い知れない「世界」があったことを知ろう。

夏草や 兵どもが 夢の跡。

芭蕉が描いた「事実」はおそらくどこにでもある。
「栄枯盛衰」が「世の常」だと思えばすべては「夢の如し」。

やはり「歴史」を知っておいた方が人は「賢く」なれる。
けれども人は常に「今を生きるのみ」。

「圧倒的に狭い自分」からしか物事を判断しなくなって久しい現在
せめて他人に「何事か」を感じさせる存在でありたいものではある。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする