退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「キャラクターと人質司法」について

2014-06-17 02:29:49 | Weblog
晴れ。おだやか。

千田有紀編「上野千鶴子に挑む」を読む。

上野千鶴子はよくも悪くも「スター」。
著作同様「キャラクター」も興味深い人物。

その彼女が「育てた学生たち」による「挑戦」を受けるという内容。
かえって彼女の「存在の大きさ」が浮き彫りになるあたりがなかなか。

しっかりと「応答」もある「横綱相撲ぶり」はさすがの貫録で
「あとがき」にある「『母』としての感謝」が普段にはない「直球」。

結局「どこか憎めない部分」を持ち合わせているあたり
「天性の資質」を思わざるをえない。

もっとも当人に言わせれば「伊達に年は取ってない」ということだろう。
果たして彼女の「後釜」になる者は現れるのだろうか。

さて。

わが国の「人質司法」は一向に改善の気配がない。
一度容疑者として捕まったら23日間も拘留・尋問される。

ここに「証拠開示」もないままの「自白偏重主義」が加わると
これはもう「冤罪製造装置」と言っていいほど。

さらにその「事実」を知っても
「犯人逮捕」のためなら「やむをえない」と考える「民度」があり。

たとえ真犯人を逃すことになっても
「冤罪」を起こすよりマシだというのが「推定無罪」の原則。

なぜなら過去の歴史において
「権力の横暴」によってあらゆる人々が酷い目にあったから。

「お上」にまかせておけば何とかなるというわが国の「平和」な過去が
その種の歴史に無頓着である理由だとすれば「皮肉」と言うよりない。

とはいえ実際に起きた冤罪によって狂わされた被告たちの人生を
どうやって償うというのか。

そして時には「物的証拠」を「捏造」したにもかかわらず
何の罪にも問われない検察・警察関係者たちはどうなのだろう。

わが国では「理解しがたいこと」がごく普通にある模様。
残念ながら「よくあること」らしい。
コメント
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